2011年に結成したDJとプロデューサーのユニットHABANERO POSSEから参加しています。決まったジャンルを持たずどのジャンルにも対応できる日本随一のオールラウンドプレイヤーと言われています。OZROSAURUSのマニピュレータとトラックメイカーを担当しています。主に作曲、編曲を務めOZROSAURUSのプロデューサーともいえます。
OZROSAURUSの元メンバー・DJ TOMO
2004年に方向性が違うということで脱退しました。脱退後はニューヨークでの2年間の楽曲制作やDJ活動を経て、日本で自身のレーベルを立ち上げました。MC MACCHOと一緒に結成当時のOZROSAURUSを築き上げた人です。
OZROSAURUS結成のきっかけとグループ名の由来とは?
どのようにしてOZROSAURUSはHIPHOP界で産声を上げることになったのか、また初めて見た人には読み方がわからないかもしれない、OZROSAURUSという名前もどう生まれたのか見ていきましょう。
OZROSAURUSは1996年MACCHOとDJ TOMOとで結成
お互い90年代からすでにMCとしてDJとして活動をして経験を積んでいた中、レコード店PROPSのスタッフとして働きはじめ仕事仲間として出会い、1996年に、新人ながらも実力を兼ね備えた「ハマの大怪獣」として、 HIPHOP界に新たな風を吹かせました。
OZROSAURUSはオジロワシと恐竜を足した造語
OZROとSAURUSの二つの文字を組み合わせた造語です。OZROはオジロワシ、SAURUSUSはMACCHO本人も忘れたようで色々な意味が込められているようですが、恐竜の名前によくつくサウルスからとっているようです。オジロワシと恐竜で名前に「強さ」を込めています。
「目の鋭さ」を強調したくてつけられた名前
ワシのように獲物を仕留める時の鋭い眼光をイメージして、オジロワシの目の強さ、目の鋭さをを名前の中で強調したくて、この名前になったそうです。
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OZROSAURUS「横浜045スタイル」を築く!
今や横浜だけではなく、日本のHIPHOP界でもその名前を知らない人はいないほど、大きく成長を続けるOZROSAURUS。その背景には彼らが築き上げてきた独自のスタイルがあったからこそです。
OZROSAURUSの楽曲は西海岸ヒップホップスタイルの影響
彼らのHIPHOPスタイルはMC MACCHOが以前所属していた、DS455というグループからのスタイルを引き継いだと言われています。そのDS455は日本のHIPHOP界で西海岸HIPHOPをいち早く取り入れた先駆者でもあります。
OZROSAURUSは横浜045スタイルを確立
彼らのHIPHOPスタイルは変わらず西海岸HIPHOPのまま、マッチョのラップセンスとTOMOのDJ スタイルが合わさり、「横浜045スタイル」としてHIPHOP界の中に彼ら独自のスタイルが確立されました。
横浜045スタイルとは
西海岸で生まれたHIPHOPをベースにした、彼ら独自のスタイルです。横浜市の市外局番の「045」をもとにMC MACCHOが発表当時から口にしていたこともあり、ファンの中でも自然と彼らのスタイルとして「横浜045スタイル」と呼ばれるようになりました。
OZROSAURUSは横浜045スタイルの代表!
彼らのスタイルが世に広まり、名前が一気に有名になったのは、2001年に発売された彼らの最初のフルアルバムである「ROLLIN‘045」がきっかけだと言われています。また、街を贅沢にクルーズする、という意味のROLLINというHIPHOPスラングも、このOZROSAURUSの最初のフルアルバムの名前からきていると言われています。