比嘉和子の現在とは?「アナタハンの女王事件」の真相とその後に迫る

比嘉和子は戦時中32人の男性の中で紅一点で生活するも、彼女を巡る争いが絶えず、13人もの死者行方不明者の存在が発覚し「アナタハン島の女王」と称された女性です。この記事では、比嘉和子を有名にした「アナタハンの女王事件」の解説に加え、事件後の様子まで紹介します。

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比嘉和子とは?

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皆さんは『比嘉和子』という1人の女性を知っていますか、彼女は第二次世界大戦の終盤から、終戦した後に起きた、数十名の人間がいなくなる(亡くなる)というミステリアスな事件の『主人公』なのです。

そのミステリアスな事件は舞台となった地名が由来となり『アナタハン女王事件』なんていう風に呼ばれて、高度経済成長期に当たる昭和の時代には、『アナタハン』が社会問題となり一世を風靡しました。

そうして彼女の名前『比嘉和子』が一躍日本中で有名となりました。そのため『昭和の有名人』として2019年令和元年となった現在でも広く知られています。

比嘉和子を有名にした「アナタハンの女王事件」とは?

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『比嘉和子』を語る上では『女王』『悪女』なんていう派手でけばけばしいイメージの異名が付きまといます。ですがどうしてそんな風に呼ばれるのか、よく理解していない方がほとんどなのではないでしょうか?

『比嘉和子』という1人の女性、人間がどういった人物で何で有名なのかをよく理解するためには、彼女が主人公となったミステリアスな事件について理解を深めなくてはなりません。

ミステリアス故に、語られる内容、判明している事情などは少ないのにも関わらず、全貌を理解しづらいのです。まずはどんな奇妙な出来事であったか分かり易く、1つ1つを紐解いてお伝えしていきます。

簡単な概要

まずはイメージしやすいように非常に簡単にこのミステリアスな事件を説明させていただきます。地球上の孤立した狭い場所に、『比嘉和子』という1人の女性と10人以上の男性が一つ同じ屋根の下で暮らしていた。

1人の女性に対して多くの男性がいたわけですから、その女性を巡って内部で争いが起きて文字通り『バトロワ』のような殺し合いが起きてしまったのです。

そもそも彼らはその狭い場所から出るという選択肢が無かったのです。それがなぜなのかというと『戦争』という時代背景が大きく関わっていて、彼らはある大きな『勘違い』をしていたのです。

現場となった「アナタハン島」は旧日本軍の植民地

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まずは『比嘉和子』が主人公でミステリアスな事件の舞台となった島は、他の大陸、地上からかけ離れた孤立している島、すなわち孤島であり火山が聳え立っていました。

場所は大雑把に言えば太平洋なのですが、それでは位置を理解しづらいので、分かり易く説明すると日本の南、オーストラリアの北、フィリピンの東、その3つの位置に当てはまる場所にあります。

連合国軍の植民地

日本だけではなく第一次世界大戦で連合国軍、つまり戦勝国の一部が領土にして植民地として生活の棲家にしていましたが、日本人も『比嘉和子』を含む何人かがその場所に住み着いていました。

大陸から離れた孤立した島の多くは異郷の地であり、様々な言い伝え、都市伝説が存在します。北センチネル島では足を踏み入れたら文字通り最期らしいです。詳細が気になる方はこちらの記事をご覧ください。

「アナタハン島開拓」を手掛けた南洋興発株式会社

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前述した大陸、地上からかけ離れた孤立した島を人が生活する棲家にできたのは、上記の企業、会社があったからなのです。この会社がどのような事業を展開していたか簡単にご紹介します。

その企業名を見ていただればそのまま事業内容になっているので、少しイメージできます。第一次世界大戦の後に日本は、太平洋の遥か南にあるいくつもの『孤島』での生活や暮らしを実現しようとしました。

しかし未知の環境であったために、物資や食料などが行き届いておらず、更に害虫などの影響により病気が広まり『阿鼻叫喚』な状況に陥ってしまいました。そこで立ち上がってのが上記の株式会社でした。

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その株式会社は人々が暮らせるように物資・食料を供給するだけではなく、人々の移動手段となる運航船なども経営、更に他の企業、会社が運営できるようなサポートを行っていたりしていました。

つまりは未知の環境をきちんと人々が住めるような開発を促進、提供するような事業を行っていた株式会社だったのです。そして話は戻りますがその会社に勤めていたのが『比嘉和子』の旦那である『正一』でした。

この旦那の仕事の都合上で彼女はこの島で暮らしを営むようになり、旦那の上司に当たる『菊一郎』もそこで食料を栽培してたりして、戦時中真っ只中でしたが兵器などの『被害』から逃れていたのです。

終戦期の戦争の弊害により起きた「アナタハンの女王事件」

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2019年(令和元年)現在から74年前の昭和20年。その年の第二次世界大戦が終戦する間もなくの頃に、遂に『比嘉和子』という1人の女性を巡る昭和のミステリアスな事件が起きてしまいます。

なぜミステリアスな事件が起きてしまったのか?それは前述の通り戦時中、終戦間際という時代背景が大きく関わっていて、銃、兵器、物資などの『戦争』の影響で引き起こされてしまったのです。

それがどんな影響であり、何が発端、きっかけとなったのかはこの後より掘り下げて解説していきます。

「アナタハンの女王事件」の背景

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ここまで『比嘉和子』が主人公であり、彼女の名を昭和の有名人として認知されるほど世に知らしめることになった、ミステリアスな事件を非常にざっくりと解説していきました。

恐らくまだなんのこっちゃ分からない方がほとんどでしょう。ですがこの後、彼女や事件についてより理解を深めていただけるように先ほどから言っていた時代背景について詳しく言及していきます。

比嘉和子16歳のときに兄とサイパンへ移住

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曖昧ですが大正の終わりか、昭和の初めに高校生くらいの年ごろになった『比嘉和子』はお金を稼ぐために、現代でもグアムと争うくらい日本でもポピュラーな観光、リゾート地である『サイパン』

に『比嘉和子』の実の兄と共に訪れました。訪れたと言っても観光に来たわけでなくお金を稼ぎにきて、短期的な滞在ではなく引っ越しの様な形でそこに移住したのです。

僅か16歳くらいの少女である『比嘉和子』がお金を稼ぐために海を越えて異境の地へ旅立つ、可愛い子には旅をさせよとは言ったものですが、この辺りも令和、平成とは違う時代背景を感じさせます。

比嘉和子は結婚し夫婦でアナタハン島に居た

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暫くサイパンで何かの仕事に就いて不自由なく生活していましたが、馴れ初めは詳しく語れていませんが、後の旦那と『比嘉和子』の2人が知り合いそのままゴールインして結婚することになりました。

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