高峰三枝子は歌う映画女優の先駆け!代表作は?息子は逮捕?死因は?

この曲は大ヒットになったにもかかわらず、センチメンタルな内容が戦争中の当時の時代にふさわしくない、としてすぐに発売禁止になりました。

しかしこの曲には、戦いに向かう兵士が思わず共感する魅力があり、前線の兵士たちに大変愛されました。当時の東条英機首相もこの歌のファンで、いろいろな場所でこの曲を歌うように彼女に所望したそうです。

ワイドショー「3時のあなた」の司会に抜擢

出典:PhotoAC

第二次世界大戦が終わっても、相変わらず活躍を続けた彼女ですが、新しい方面にも活路を見出して行きます。テレビです。たくさんのドラマにも出演しましたが、特筆すべきなのはワイドショーの司会でしょう。

「3時のあなた」は1968年(昭和43年)から1988年までの20年間、毎週月曜日から金曜日までフジテレビ系で放送されたワイドショー番組です。彼女は月曜日と火曜日の初代の司会を担当しました。

番組の当初は、番組スタッフが熱心に頼み込んだこともあって、半年間という条件で引き受けた仕事でしたが、彼女の親しみやすい人柄が好評で、結局1973年まで約5年間務めることになりました。

犬神家の一族でブルーリボン賞助演女優賞を受賞

出典:PhotoAC

テレビにも顔を見せるようになった彼女ですが、1976年(昭和51年)に映画女優としても、金字塔というべきヒットを飛ばします。名探偵金田一耕助でお馴染みの「犬神家の一族」です。

彼女は、連続殺人の犯人でもある、犬神家の長女の松子を見事に演じきって、第19回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞しました。彼女にとって、何かの賞をもらったのは、これが始めてです。

高峰三枝子は多方面で活躍!出演作品まとめ

mermyhh / Pixabay

高峰三枝子が活躍したのは、1936年(昭和11年)から1990年(平成2年)まで、50年以上にも渡っており、その間に出演した映画やテレビ番組の数も数え切れません。ここでは、それらをまとめて紹介します。

高峰三枝子の出演映画

彼女が生涯に出演した映画は全部で78本です。彼女をスターダムに押し上げていった「母を尋ねて」「婚約三羽鳥」「浅草の灯」「純情二重奏」については簡単に紹介しました。

次に彼女の名前を有名にしたのは、1939年の「暖流」です。岸田國士の新聞小説を映画化した作品で、彼女は院長令嬢の役を演じて高い評価を得ました。当時の彼女の主演映画はすべてヒット作になります。

戦後も活躍は続き、作品にも恵まれて第一線の主演女優としての人気を保ち続けました。年齢相応の役を演じるようになっても演技派として活躍を続け、その代表作が1976年の「犬神家の一族」の犬神松子の役です。

高峰三枝子の出演テレビドラマ

Free-Photos / Pixabay

彼女のテレビドラマへの出演本数は生涯で40本になります。彼女がテレビドラマに出演を始めたのは1965年(昭和40年)からなので、主役級というより、脇を固める重要な役割を担うことが多くなります。

1978年(昭和53年)に毎日放送が放送した「人間の証明」の殺人犯役は、林隆三演じる主人公の刑事と共にドラマを盛り上げ、1977年10月に公開された同名の映画より高い評価を受けることもありました。

もうひとつ特筆すべき役は、やはり1978年に日本テレビ開局25周年記念番組として製作された「西遊記」の釈迦如来です。当時の人気俳優を並べた出演者のなかでも、貫禄たっぷりのその演技は注目を集めました。

高峰三枝子の出演バラエティ

出典:PhotoAC

彼女は、たくさんのバラエティ番組に出演しています。

特によく知られているのは、フジテレビ系のワイドショー「3時のあなた」の初代司会を、1968年4月から1973年5月まで、5年1か月の間務めたことです。

その他に有名な番組としては、フジテレビ系の「なるほど!ザ・ワールド」や「クイズダービー」があげられます。

高峰三枝子の出演歌番組

Skitterphoto / Pixabay

彼女は、歌番組の司会も担当しています。1977年に東京12チャンネルで放送された「高峰三枝子ゴールデンスターショー」です。

高峰三枝子の出演CM

出典:PhotoAC

1981年に国鉄(現在のJR)が「フルムーン夫婦グリーンパス」を売り出しました。このCMに高峰三枝子は上原謙とともに出演し、彼女の入浴シーンが大変話題になりました。

高峰三枝子の出演舞台

manfredrichter / Pixabay

彼女はもちろん舞台にも出演しています。しかし出演したのは「楊貴妃」など5作にとどまっています。出演した映画の本数やテレビドラマの本数に比べると、圧倒的に少ないです。

高峰三枝子の歌も大人気!

出典:PhotoAC

「劇中で歌を口ずさむ」というふとしたきっかけから始まった、高峰三枝子の歌手活動ですが、もともと才能と美声に恵まれていたのでしょう。

彼女はあっという間に有名歌手の仲間入りをして「歌う映画女優」としてのキャリアを着実に築き上げることになります。

高峰三枝子のデビュー曲は「蛍の光」

mzmatuszewski0 / Pixabay

歌手としての高峰三枝子のデビュー曲は、1938年(昭和13年)に公開された映画「蛍の光」の主題歌です。

映画は女子高等学校の卒業前後を描いていて、「蛍の光」をはじめ、さまざまな合唱曲が映画にインパクトを与えていました。

高峰三枝子の「宵町草」が大ヒット

出典:PhotoAC

1938年(昭和13年)に、彼女は竹下夢二が1912年につくった詩「宵待草」にあやかった映画「純情哀詩 宵待ち草」に主演して、彼女がソロで歌った主題歌も大ヒットしました。

映画化のときには、夢二の作った詩はあまりにも短いということで、詩人で作詞家の西条八十が、2番の歌詞を追加しました。ただし2番の歌詞は、今日ほとんど歌われることはありません。

この曲を作曲したのは東京音楽学校の多忠亮(おおの ただすけ)です。この短いけれど美しい曲は多くの人々に愛され、三枝子さんの他にも多くの有名歌手がレコードに吹き込んでいる、たいへんな名曲です。

音楽映画「純情二重奏」で「歌う映画女優」と評価される

niekverlaan / Pixabay

「宵待草」の大ヒットに気を良くした松竹とコロムビアは、1939年(昭和14年)に音楽映画「純情二重奏」を作ります。彼女はこの作品で、歌の才能がある児童養護施設の保母(保育士)の栄子を演じました。

問題の「純情二重奏」ですが、劇中では彼女の異母姉妹でライバルである八千代(木暮実千代が演じた)が歌います。しかしレコードには高峰三枝子が共演者の霧島昇と吹き込み、大ヒットを飛ばします。

「湖畔の宿」「南の花嫁さん」などが大ヒット

戦時色が濃くなってきた1940年(昭和15年)に、彼女は「湖畔の宿」を発表します。しかし曲のセンチメンタルな雰囲気が戦意高揚にふさわしくない、という理由でレコードは間もなく発売禁止になります。

しかしこの曲は沢山の人々の心、特に兵士の心を捕まえました。戦地への慰問への際もこの曲は圧倒的な好評を得たと、特に特攻隊の航空兵がこの歌を聴いてから出撃したのが忘れられないと、彼女自身が語っています。

「湖畔の宿」の次に慰問の兵士達に好評だった高峰三枝子の歌が、1943年(昭和18年)のヒット曲「南の花嫁さん」です。明るいメロディーとおめでたい歌詞の曲で、鬱々した兵士の気持ちを明るくしたのでしょう。

NEXT 高峰三枝子の死因は?最後まで女優として貫いた人生