免田事件は最悪の冤罪事件|死刑判決から再審無罪となった事件の結末と現在

自白させる手段③暴言を吐いたり脅迫する

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食べていない状況で何が起こるかは、血糖も下がってくることから力だけでなく意識も朦朧とします。免田事件の中、ダメ人間であるかのような暴言や、苦しいなら吐けと脅迫されるのです。しかもそれが一度だけではなく、何十回以上にも渡って行われます。苦しめているのは警察であるにも関わらず、そんなことは頭の隅にもないことでしょう。

恰も自白しないから苦しいようにすり替えるのです。免田事件にて、そんな状態でも必死にアリバイを訴えていましたが、また更に過剰な行動が続きます。どんなに耐えられるという人間がいても、その状況では難しいことは確かです。

自白させる手段④睡眠をとらせず、判断力を低下させる

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奪われていくのはそれだけに止まりません。人間が大切にしないといけない睡眠すら数日にもわたり失われていくのです。弱った身体と心の中、まともな状態を保っていることなどできません。判断力の低下によって通常の考えや発言はできなくなり、場合によっては幻覚や幻聴が聞こえてもおかしくないほどになることは明白です。

免田事件でもその中での自白が信憑性があるとは、到底言えないことではないでしょうか。人間として扱われていないのではないか、そう思うのも事実だからです。事実と異なるという判断より先に見えることは、この場から逃げたいと思うのが普通ではないでしょうか。

免田さんによる手記が出版される

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数ある中で、後のインタビュー内容ではなく免田事件の当時が語られている獄中ノートがあります。数ある中から、2004年に出版された手記は、不当逮捕や再審の流れが記載されているのです。死刑廃止を訴えつつ、細々と暮らしつつ、書かれた内容は全て事実であり、悲しい現実も明かされています。

こちらの自伝はまさに当時を描いているものであり、そこには現実があるのです。免田事件にて自伝では苦しみが描かれています。訴えなければならないことは、全てが作り上げられていたことではないでしょうか。それと同時に、死刑制度のあり方を問うものでもあるのかもしれません。

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死刑判決から一転無罪になった財田川事件

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免田事件と時を同じくした頃に起こった、1950年の強盗殺人事件があります。四大死刑冤罪事件の一つでもある事件ですが、谷口繁義さんと他の1名によって行われたとされていました。もう1名は釈放されたのですが、当時19歳だった谷口さんは過度の拷問による自白の強要から死刑判決が下ります。

アリバイを主張するも認められず、証拠は捏造され、自白のみで行われた裁判は、その後自白のあり方や漢字が書けなかったのにも関わらず書類が作成されていたこと、証拠の捏造や捜査記録の不当な破棄、アリバイが認められたことで34年目にして無実が証明されたのです。その後人生の大半を奪われた谷口さんは病気で他界しています。

免田事件のような自白の強要はあってはならない

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暴行や脅迫、食事や睡眠を与えないことによって得た、死刑判決が妥当なわけはありません。それを行なった警察は、判決の重さや同じことをされた苦しみを味わったことがあるのでしょうか。免田事件は冤罪ですが、警察は苦しみを軽んじているのではないかと言えるほど、強要によっての自白の恐ろしさが露呈されます。

苦しみから逃れるために、ということは簡単ですが、免田事件の当事者にとって感じた苦しみは想像を絶するものだったことは明らかです。更に警察による横行があってはならないことは、言うまでもないのではないでしょうか。免田事件のように、人生を台無しにされてしまったことが繰り返されてはいけません。34年の月日は帰っては来ないのです。無理やり強要された冤罪が再び起こらないことを切に願います。

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