関東連合の結成は1973年
関東連合は、「ブラックエンペラー」等を中心として、1973年に作られた暴走族の集まりの事を言います。当時は世田谷区や杉並区の暴走族が中心で総長が各集団を統括していた組織でした。
一時は、関東連合は有名無実化しますがあるチームが関東連合を名乗った事で再び再燃し関東連合としてまとまっていくことになりました。
その後数々の事件を起こしていましたが彼らはそもそもメディアに登場したりすることが殆どありませんでしたので、彼らが行っていた内容などについては、深く知る人は世間ではあまりいません。
邑井祐介と親しかったメンバー
邑井祐介は、関東連合No1見立真一や、同じく幹部の柴田大輔らと行動を共にすることが多く石元太一とも絡みがあったそうです。
特に見立真一と行動を共にすることが多く、関東連合に対して否定的な見方をしていたクラブに入り込み大暴れしたこともあるという噂があります。
関東連合は「半グレ」の象徴に
1990年代のメンバーの人数は50名程度で、非行少年をまとめているだけの暴力団とはかけ離れた組織力の団体でしかありませんでした。しかし、徐々に支配下を増やしていくことになり次第に勢力を拡大していくことになります。
渋谷などで活動していた関東連合は六本木へ進出し2000年代には実業家や著名人などとの関係を深めていき詐欺事件や薬物関連の事件などを度々起こすようになり半グレの象徴的な存在となります。
準暴力団の位置づけだった
半グレとは地下社会で活動し時には手段を択ばない犯罪を起こす集団のことで、結束力などはそこまで強くなく上下関係により組織編制されていました。
関東連合の位置づけは、殺人事件を起こしたりするなど反社会的な行動が目立っていたため、警察から半グレ集団と位置付けられていました。
関東連合は市川海老蔵暴行事件にメンバーが関与
関東連合が解散したのは2003年になりますが、解散後も水面下で元メンバーの活動は継続されていました。元関東連合のメンバーが関与した事件は複数ありますが、一番世間の注目を集めたのは2010年に発生した市川海老蔵への暴行事件になります。
市川海老蔵さんと酒席を共にしていた元関東連合リーダーの石元太一に海老蔵さんが執拗に絡んでしまい、そのことに腹を立てた石元太一の連れの元メンバーが暴力をふるってしまった事件になります。
関東連合から多数の逮捕者が出て勢力が衰えた
数々の事件を起こしてきた関東連合は多数の逮捕者を出すことになりました。リーダーなども逮捕され組織体制が崩れかけてきたことをきっかけとして、関東連合は解散の路を選ぶことになります。
関東連合は解散後も注目を集める
市川海老蔵さんの事件以外にも傷害致死事件が2件発生し、2008年には元メンバーへの殺害事件も発生しています。2010年には元横綱朝青龍お傷害事件にも元メンバーが関与していたとされています。
そして2011年に暴力団山口組系の元幹部を襲撃した傷害事件も発生しており、解散とは形上のものでしたがある事件が起きたことによりついに壊滅することになります。
それは2012年に発生した六本木のクラブを襲撃した事件になります。これは、勘違いから無関係の男性を鉄パイプなどで襲撃し死亡させた事件になります。
この襲撃事件で関与していた関東連合のメンバーは5人ほどでしたがリーダーの見立真一も国外に逃亡したとされ関東連合の勢力は亡くなり壊滅状態となりました。関東連合存続時代に犯した殺害事件に関する記事はこちらをご覧ください。
邑井祐介の現在は?
2018年に麻薬取締法違反により逮捕されているのですが、裁判の様子や判決などは公表されておらずその後邑井祐介がどうしているのかはわかっていません。
彼が行っていたSNSやYouTubeなど現在どうなっているのか判明している限りを紹介していきます。
邑井祐介は現在服役中と予想される
数々の逮捕歴や少年院の入退院を繰り返していた邑井祐介ですので、麻薬がらみでは初犯と言え悪質性は否定できないため執行猶予などは付かずに現在服役中なのではと言われています。
邑井祐介のFacebookは現在非公開
邑井祐介が逮捕前に利用していたFaceBookは現在非公開の状態となっています。2010年の強盗致傷の前科などもあるため、現在服役中で刑期も長くなっている為現在非公開とされているのではと言われています。