三浦崇宏は注目のPRプランナー!経歴やアイデア論と人脈論を紹介

三浦崇宏の両親はいわゆる芸術一家の出身で、父親はダンサーとして活躍後、美術商を職業とし、母親はオペラ歌手でした。何と幼少期から私立に通うお坊ちゃま少年時代を過ごしています。一方、彼が小学5年生の頃に、バブル崩壊の波を直に受けた父親の事業が破綻し一家で夜逃げ、天国から地獄の生活を経験しています。

三浦崇宏は幼い頃から負けず嫌いな性格

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三浦崇宏は幼少期から負けず嫌いで、一番にこだわる性格でした。この性格が今の彼の「妥協しない」クリエイティブな仕事に活かされていることは間違いありません。その性格な反面、努力は嫌いだと言うので面白いです。その為、常に「努力せずに一番になる方法」を考えていたそうです。

三浦崇宏の柔道で活躍した学生時代

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前項の努力せずに1番になる近道は中学から始めた柔道でも生かされています。三浦崇宏の通う中学は進学校で、勉強の時間を確保するのは必須。柔道を鍛錬する時間は極力節約したかった三浦崇宏は、何とレスリングや総合格闘技の道場に通い始めます。柔道とは異なる技に反応する身体と目を慣らし、その結果、短時間でも全国大会に出場するほどの成長を遂げました。

三浦崇宏は早稲田大学の文学部で小説を書いていた

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実は小学生の頃からの夢は「小説家」だった三浦崇宏。夢を追いかけて早稲田大学在学中は文学部で小説を書いていたこともありましたが、一人机に向かっての作業が性格には合わないと実感します。それと同時に、この頃から、一人よりも「仲間と何かを成し遂げる」ことが自分に合っているのではと考え始めます。

三浦崇宏は就活エピソードが波乱万丈?!

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就職活動ではテレビ局か広告会社の2択を志望していた三浦崇宏ですが、より多くの選択肢と可能性が広がる広告会社を最終的に志望します。その就職面接が何とも武勇伝!

博報堂の最終面接で「特技」を記載する際にとんでもないことを書き、当時の人事局長に「これはふざけてるの?」と言われたり、別の会社では「これからやりたいこと」を答える際に、「御社を変えるやり方が3つあります!」など面接官がひやっとする大胆発言をしたりしました。この両採用面接では当然採用されませんでしたが、一度不採用となった博報堂を受け直し、無事内定をもらいます。

三浦崇宏の経歴②博報堂時代

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博報堂と聞けば、言わずと知れた広告業界の最上に君臨する大企業です!三浦崇宏の社会人生はこの博報堂からスタートしますが、入社してからの彼の日々は波乱万丈。ここではそんな「ありえない!」エピソードと共に、彼の博報堂時代に迫ります。

三浦崇宏は入社早々衝撃発言で仕事を干された!

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就職面接でも冷っとする衝撃発言を連発していた彼ですが、何と入社直後にも同じことをしでかします。自分を過大視して生意気な発言を連発。加えて頼まれごとも素直に応じず、自分の提案が否定されると「何がダメなんですか?」諸先輩に食って掛かることも多かったそうです。その結果、周りから使いづらいと半年くらい仕事を与えられない状態になります。

三浦崇宏が仕事を干されている間の活動とは?

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会社に行っても何も仕事を任されない、「仕事がない」状態が続いた時期は、会社の業務とは全く関係のないスタートアップ企業をメインとするコンサルティングを行ったり、TBSに突撃訪問して放送作家などの活動に精力を出したりして日々を送っていました。

三浦崇宏が再び仕事に戻ったきっかけはスラムダンク

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そんな三浦崇宏を博報堂の本業に戻す後押しをしたのは、バスケットボールの超有名漫画「スラムダンク」。この時期、同期が大きなキャンペーン企画するなど活躍が聞こえる中、「今の自分の活動はしていても、博報堂内では全く成長していない」と自覚したそうです。

そこから上司にスラムダンクの登場人物さながらに涙しながら土下座し、仕事をもらえるよう泣いて頼みます。そこからようやく博報堂の三浦崇宏の社会人性はスタートしていきます。

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