松川事件とは?国鉄三大ミステリーの冤罪事件
2019年(令和元年)現在から70年前の昭和24年に、日本の鉄道で凄惨な惨事が発生してしまい、数名の命が落とすことになりました。惨事と言っても誰かが意図して招き、悪事を働いた犯人が存在するのです。
惨事の舞台となったのは東北地方に位置する『福島県』を走る鉄道でした。当時の日本の鉄道会社に勤めていた人物が怪しまれて、複数名が検挙されて法律により訴訟されました。
ですが検挙された人たちは全員『でっち上げ』で極悪人に仕立て上げられた。つまり無実の罪であり『冤罪』だったのです。冤罪が認められるまでには『松川運動』『諏訪メモ』の働きがあったのです。
松川事件の概要と犯人逮捕まで
冒頭部分でお話ししたエピソード全てが『松川事件』でありますが、今からちょうど70年前に起きた狐に包まれたような出来事なので、当時の世間同様にまだその全貌を掴めていない方がほとんどでしょう。
まずは鉄道が舞台の謎めいた『松川事件』がどのようにして引き起こされたのか?またどんな惨事と化してしまったのか?
命を落としてしまった人について。検挙された複数名の人たちについて。出来事の大まかな概要を解説していきます。
松川事件の概要①現福島市で列車脱線転覆事故発生
2019年(令和元年)現在からちょうど70年前の東北地方に位置する、『福島県』の今の県庁所在地で凄惨な悲劇、すなわち『松川事件』が起きてしまいました。(松川事件の『松川』は地名・駅名に由来します)
その悲劇とは鉄道を走る乗り物の今の電車にあたる『列車』が、通常走る線路から大幅に逸れてしまい、機体ごと横転してしまうという出来事でした。
『松川事件』という狐に包まれたような出来事が、どのような被害状況であったか下記にまとめていきます。
乗員3人が死亡
線路上から大きく逸れてしまったのは、ほぼ全ての車両でしたが、勢い余って横転してしまったのは、一番前の部分だけであり、当然そこには一番前なので『コクピット』が備わっていました。
恐らくそのコクピットに乗っていたと考えられる、列車のドライバーで日本の『動力車操縦者運転免許』を所持している『操縦士』そしてサポートしてボイラーの火を扱う『火夫』
50代近くの『操縦士』が1人、20代の『火夫』が2人。『松川事件』では合計3人の命が落とすことになってしまいました。
松川事件の概要②原因はレールや釘が外されていた事
では一体なぜ鉄道、線路上を走っていたのにも関わらず、途中で大きく逸れてしまい横転してしまったのでしょうか?つまり何故『松川事件』という惨事が起きたのか?これには明確すぎる『原因』があったのです。
それは線路が途中で途切れていたのです。途切れていたと言うと語弊があり、正確には誰かが意図的に特殊な工具を用いてネジを緩めて、線路の『一部分』が違う場所に運ばれていたのです。
ずいぶんと簡単そうに容易そうに記述させていただいていますが、実際はその一部分だけでも重量は1000キログラム、つまり1トンに相当して、全長も20メートルを優に超えていたのです。
松川事件の概要③国鉄や工場関係者の労働者が逮捕
3人の命が奪われてしまった『松川事件』で、真っ先に怪しまれたのは当時の日本の国営鉄道の『国鉄』舞台の付近に存在していた工場の企業の『現TOSHIBA』のスタッフ・社員でした。
何故彼らが怪しまれたのか、それは時代背景が関わっており、経済政策の一環で大々的な『解雇』『クビ』が行われることが決定しており、その対象であった企業のスタッフ・社員だったのです。
警察は半ば強制的に怪しいとされる人たちを一斉に検挙していきました。ですがこの時何か決め手となる証拠も手掛かりもありませんでした。こうして『松川事件』は腑に落ちない出来事として変貌していきます。
松川事件の概要④20人が逮捕される
『松川事件』という狐に包まれたような出来事の犯人として検挙されたのは、今の『TOSHIBA』昔の『国鉄』2つの大きな企業のスタッフ・社員。合計20人でした。
内19人が年齢層が比較的若い男性、1人が20代半ばの女性でした。『松川事件』という悪行を企てた人物。実際に線路の一部分のネジを緩めて運ぶ人物。更には口裏合わせした人物。
など様々な犯行容疑が掛かった人物たちが一斉に、不自然に検挙されてきました。同時期に同じ『日本国有鉄道』という当時の鉄道企業が関与している『三河島事故』については、こちらの記事をご覧ください。
松川事件の概要⑤警察のシナリオ通り!?
『松川事件』という国家権力たちの闇が垣間見えるような出来事では、不自然に複数名の人物たちが検挙されていきましたが、どのように不自然だったのでしょうか?
まず初めに『松川事件』の舞台の近くに偶然居合わせた人物を、全く違う事案、案件で身柄を拘束しました。
拘束したあと、日本の国家機関の1つである『警察』は検挙した人物を激しく問い詰めて、言葉と肉体的な暴力で追い詰めて、事実の無根の無実と、複数人の犯人たちを無理やり『自白』させたのです。
松川事件の概要⑤検察も加担している?
『松川事件』という狐に包まれたような謎めいた出来事では、国家機関の2大勢力の『警察』『検察』が非常にマズイ対応をしているのです。
『松川事件』という悲劇の舞台となった近くでは、一般市民の方から黒幕と伺えるような『怪しい人物』を見たという情報が挙げられているのにも関わらず、検察はそれを『隠蔽』するなどしました。
また無実の罪を証明できる『諏訪メモ』も隠蔽しました。まるで本当の元凶、黒幕がすでに目星が付いているのに、うやむやにしたい。誰かに他の人物に罪を擦り付けたいとするかのような『動き』を見せたのです。
松川事件の裁判と判決
ここまでの内容からでも既に『松川事件』という狐に包まれたような出来事には、なにか『裏』があり大きな国家権力たちが後ろ暗い『事情』があるという事が伺えるはずです。
更に本当は無実の罪である人物たち複数名が、半ば強制的に『犯人』『黒幕』として仕立て上げれてしまっている状況もあります。
そんな『無実』『冤罪』の人物たちは、怪しい動き、マズイ対応をしていた国家機関にハメられてしまい、いよいよ日本の法律に則り、審判に掛けられてしまうことにまで発展してしまったのです。
松川事件の裁判①第一審では全員が死刑を含む有罪判決
一番初めの審判では、もう1つの国家機関である『司法』の裁判側も全面的に、無実の罪で『冤罪』の複数人たちの所業であると認められて、それぞれの人たちに『刑罰』を与えました。
どのような基準でそれぞれの罪の重さが決まったかは、定かではないですが、人によっては極刑に当たる命を絶って償う『死刑』最期のその時まで光が届かない豚箱と呼ばれる刑務所の中で過ごす『終身刑』
『無期懲役』などが確定する。という深刻な刑罰となってしまったのです。『松川事件』はでっち上げ、無実の罪で囚われ罪に問われる『冤罪』の凶悪さを世に知らしめることになったのです。
松川事件の裁判②第二審で3人が無罪になる
でっち上げで『松川事件』という狐に包まれたような出来事の黒幕に仕立て上げられた複数名の人物たち。初めて執り行われた法律に則った審判の結果に当然納得のいく者など誰一人としていませんでした。
もう一度公平なジャッジを。私たちは何もやっていない。そう強く訴えてもう一度審判してもらうように申し出をしました。
司法を準ずる裁判はどのような見解、どのような判断基準で結果を出したか分かりませんが、無実の罪、『冤罪』が認められたのは、この時点でもまだ僅か3人しかいなかったのです。
松川事件の裁判③第三審で最高裁差し戻し
絶対にあってはならない状況が急展開を見せて一変したのが、3度目に開かれた日本の法律による審判でした。ここでは国家の行政機関の1つである検事が伏せていた『諏訪メモ』の存在が露わになりました。
また黒幕と裏付ける『松川事件』の一連の悪事、所業に用いられた工具では、実際は規格・サイズが異なるためネジを外せない事実も明きらかとなり、国家機関の1つが仕向けた悪質な捏造工作が発覚したのです。
それによりこれまでの審判の結果が取り消しされ、全ては『白紙』に戻りました。重要なキーアイテムである『諏訪メモ』については下記にまとめておきます。
差し戻しの決定打となった「諏訪メモ」
『松川事件』という狐に包まれたような出来事において、絶対的なキーアイテム、全てをよい意味でひっくり返してくれた『諏訪メモ』には、何が書き記されていたのでしょうか?その疑問について考察します。
でっち上げで『黒幕』に仕立て上げられていた複数名の人物たちは、経済政策の一環で大々的な『解雇』『クビ』に反発していたことが『動機』として扱われていてました。
また『松川事件』の黒幕として仕立て上げられた複数名の人物たちで、悪事の計画を練るための会議を行っていたと『捏造』されていました。
しかしその『諏訪メモ』を参照すると、その会議を行っていたとされる日時には、労働に関する交渉を企業に訴えに行っていたことが分かったのです。
更にはそもそもの動機となる『解雇』『クビ』に関しても、不満に感じていたものの前向きに企業に交渉、つまり相談している事実が発覚したのです。
そうして彼らが『無実』で『冤罪』であったこと。国家機関の『警察』『検事』が何らかの理由で後ろ暗い隠蔽・捏造を働いたこと。『諏訪メモ』によりその2つが明るみになったのです。
松川事件の裁判④第四審で全員無罪判決
『諏訪メモ』を始めとする上記の内容からもこれまでの日本の法律に則った『審判』の結果は、全てでっち上げで『でたらめ』なものであったことは明白です。
司法の役割を担う裁判サイドも4回目の審判では、『松川事件』の黒幕に仕立て上げられた無実の罪の複数名の人たち全員が『冤罪』の可能性が高いことを考慮して、『無罪』となりました。
松川事件の裁判⑤第五審で無罪確定へ
あろうことか更に検事サイドは、4度目の日本の法律による『審判』の結果、つまり『冤罪』が認められて無罪になったことに反発して、メンツを保つためにもう一度審判するように申し立てたのです。
しかしもう既に隠蔽・捏造・でっち上げなど多くのマズイ対応、後ろ暗い所業をしていることが明るみになっていたので、その申し立ては司法の役割を担う裁判サイドは受け入れず破棄しました。
こうして完全に『松川事件』の『黒幕』として仕立て上げられてしまった複数名の人たちが、無実の罪であると認められたのです。
『松川事件』はまだ迷宮入りしている
こうしてみると『松川事件』という昭和初期に起きた謎めいた出来事は、無事に解決してハッピーエンドを迎えたように錯覚してしまいますが、実は振出しに戻ったにすぎないのです。
『冤罪』であったこと。それは裏を返せば凶悪な所業を働いた本当の『黒幕』がいて、そいつはまだ検挙されておらず、世に解き放たれている状況にあるということなのです。
『松川事件』の裁判を終えて、その後のことについては後程詳しく解説していきます。
松川事件で無実を支えた署名運動「松川運動」
『松川事件』の『黒幕』としてでっち上げられた複数名のでたらめな法律に則って行う審判、裁判が正しい道筋をたどり『冤罪』『無実』であると証明されたのは何故だったでしょうか?
おさらいすると重要なキーアイテムの『諏訪メモ』によって、でっち上げられた動機・アリバイを否定できたことが大きかったです。
しかし無事に極刑から一転して皆が無実となったのは『他の力』による影響や支えがあったからこそなのです。こちらでは『松川事件』の後ろ暗いベールを剥がした人達をクローズアップしていきます。
松川事件の冤罪を訴えた人達の存在
『松川事件』において色々な事象をでっち上げられ、『黒幕』に仕立て上げられた複数人の無実の罪である人たちが、司法による初めのデタラメな裁判に掛けられたのは、昭和24年であります。
そこからようやく真実の結果となり『冤罪』が認められ無罪となったのが昭和38年のことだったのです。つまり約14年間の期間、後ろ暗い国家機関と戦うことになったわけなのです。
その長い年月を共に戦ったのが大衆、民衆、そして署名運動などを行った団体。そういった人たちが抗議し続けた『松川運動』も『諏訪メモ』に負けないくらい、無実の罪を証明する『きっかけ』となりました。
2019年現在も冤罪事件撲滅活動をしている
『松川事件』は元号が2回変わった2019年(令和元年)現在からちょうど70年前の出来事になりますが、今でも『冤罪』をセンセーショナルにさせた出来事として語られています。
無実の罪を証明するためには、多くの民衆、大衆、一般の人たちの運動、署名、主張が大切であることを世に知らしめた『松川運動』捏造・隠ぺい・でっち上げなど国の2つの機関の悍ましい実態など。
今後、私たちが生活する日本で正しく公平なジャッジをするための教訓として『松川事件』や『松川運動』を伝えていく活動が行われているのです。
松川事件のその後は?
当事者たちだけではなく、『松川事件』を耳にして正しい真実を信じて同じように戦う民衆、大衆、市民による『松川運動』の影響力や大切さを理解していただけたはずです。
無実の罪であった黒幕に仕立て上げられた複数名の人たちは、長い年月をデタラメな検事・警察と戦いぬいてようやく晴れて『無罪』となりました。
しかし先ほどもお話ししたとおり、それはまだ『松川事件』が解決の兆しを見せたわけではなく、振出しに戻ったに過ぎないのです。では長期間の裁判を終えた後、『松川事件』はどのような展開を見せたのでしょう?
松川事件は1964年に時効へ
でっち上げの事象・証拠の数々で『松川事件』の黒幕、犯人に仕立て上げられた複数名の人たちが、完全に『無罪』となった後、メンツ丸潰れの2つの国家機関である警察・検察は、当然ながら信頼を失いました。
それだけにとどまらず、無罪となり『松川事件』の本当の黒幕が浮上したのにも関わらず、これといって表立った捜査は行われず、展開も見せなかったのです。
そうしている間に1年が過ぎてしまい、『松川事件』の本当の黒幕は検挙されることも、見当もつかずに『時効』を迎えてしまい、今日まで永遠に迷宮入りしてしまっているのです。
無罪確定後に元被告ら国家へ賠償請求
『松川事件』という狐に包まれたような出来事が起きてから、国家機関の1つである警察にハメられて、ありもしない事実無根の証拠を突き付けれて、でっち上げられ犯人に仕立て上げられた複数名の人たち。
彼らは、そこから10年以上の年月を豚箱と呼ばれるような留置施設などに、強制的に入らさせられ自由なく囚われの身になっていたのです。どれほど長い間苦しみ辛い思いをしたことでしょう・・・。
無実の罪が証明されると、国家であり母国である『日本』に対して賠償金を請求する『訴訟』を起こしました。そしてその裁判に勝訴しました。賠償金額等については公表されていません。
松川事件後に3つの慰霊碑が建立
先ほどもお話しした通り『松川事件』は残念ながら、本当の黒幕、つまり『真犯人』が検挙されることなく迷宮入りしてしまっています。しかしながら『教訓』として学ぶべきことも多い出来事でもあります。
無実の罪である。とひたすら強く主張して証明するきっかけを生んだ『松川運動』『諏訪メモ』などの大切さを後世まで継承していこうとするため。
また『松川運動』で命を奪われてしまった3名の鉄道会社の職員たちを慰めて、2度と起こらぬように戒めるため。そのような意味を込め、舞台となった鉄道の近くには3つ(正しくは4つ)の慰霊碑が建てられました。
松川事件は時効が成立
前述でも解説しましたが、2019年(令和元年)現在からちょうそ70年前に『松川事件』が起きて、その15年後の昭和39年の夏に『時効』が成立してしまっているのです。
これにより、もうどうやっても『松川事件』の本当の黒幕を、罰せたり公訴することができなくなってしまい、謎めいて狐に包まれたように迷宮入りしてしまいました。
仕向けられて人為的に引き起こされた『松川事件』という不慮の悲劇で亡くなってしまった3人の日本国有鉄道の職員に向けて、深くお悔やみ申し上げます。
犯人に仕立て上げられた複数名の同僚たちが無実の罪と認められたのがせめてもの救いでしょうか。本当の真相が明るみになる事を心より祈っております。
松川事件の被告の1人佐藤一さんは2009年死去
『松川事件』という狐に包まれたような出来事、何か国家が裏で糸を引いているような事件に巻き込まれて、国家機関によりデタラメな事象をでっち上げられて、黒幕に仕立て上げられた複数名の人たち。
その1人である当事者の『佐藤一さん』もまた、無実の罪で檻の中に囚われ続け『自由』を奪われ、無罪を証明するために幾年も戦いぬいた人物であります。