大道芸人の前はステージ女優として実力をつけていました。一体どのような道のりで今の大道芸人である地位を築き上げてきたのでしょうか。ひとつひとつ追っていきましょう。
大学時代にパントマイム・サークル「舞☆夢☆踏」に入部
1987年に広島から東京に上京。早稲田大学に進学します。ここでパントマイムと出会います。「舞☆夢☆踏」は第一線で活躍するたくさんの演者達を排出。現在はサークルという域を飛び越え、パフォーマンス集団として精力的に活動しています。
山本光洋のマイム・ワークショップに参加
ニューヨークでパントマイムを学び、スリムな体を活かしたリズミカルな演技が強みの山本光洋。現在は曲芸師の一線で活躍しながら、ワークショップを積極的に開催中。
加納真実もそんな彼のワークショップに参加しました。
藍義啓のをきっかけに舞台活動を始めた
ヨーロッパ各地で活動したのち、現在は舞台での演芸を中心に、精力的に活動を続けている藍義啓。1944年に彼の舞台に出演したことをきっかけに、ステージでの仕事に興味を持ちます。
マイムユニット「水中三姉妹」を結成
もともとは名前がなかったまま、加納真実はこのユニットによって舞台女優としてのキャリアを正式にスタートさせました。「舞☆夢☆踏」のときに出会った島留美、村田朋末の二人と一緒に始まります。
名前の由来はユニット結成後、初公演のためのリハーサルで水中での動きを練習しているときに、名前がないという話になり、その際に、島が冗談交じりに提案した名前に、ほかの二人も賛同したことにより決定しました。
ピエロの「マミマミ」としてイベント活動
ヘブンアーティスト登録を機に、道端で芸をすることの楽しさを学びます。その影響もあって舞台活動と同時進行で、クラウンの「マミマミ」としても積極的に活動を続けていきました。この頃から、様々な場所での催し物の仕事が増えていきます。
ピエロについてもっと知りたい方はこちら。
ヘブンアーティストに登録後日テレSA賞を受賞し人気大道芸人へ
フランスの制度に倣い、東京都が創設したヘブンアーティスト。ここに登録することができれば、曲芸師としての免許を発行してもらえ、決まった場所での演芸が許可されます。合格率は20%と難関で、「舞☆夢☆踏」のメンバーが多数在籍しており、サークルも同時に有名になりました。
その後、日本テレビが主催する「ART DAIDOGEIグランプリ」でスペシャルアーティスト賞を受賞し、彼女の大道芸の世界が広がってゆきます。