加藤朝香の現在は?玄倉川水難事故の生き残りのDQNなブログ内容を紹介!

史上最悪とされる玄倉川水難事故のことをお話していきます。加藤朝香は運よく生き残ります。以後、規制法や河原での寝泊まりにおける見方も変わったこの一件から、私達も学べることがあるはずです。

玄倉川水難事故は1999年に発生

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夏、お盆の時期にその一件は起こりました。加藤朝香を始めとした集まりがいたのは神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川。斜面が少なく宿泊にもピッタリなスポットとして当時もお盆シーズンにより観光客で賑わっていました。

不安定な天候の中玄倉川でキャンプをしていた一行が巻き込まれた

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当日は珍しい熱帯低気圧に覆われ天候が荒れやすかった玄倉川付近。気圧の停滞により数日前から頻繁にゲリラ豪雨のような局地的な大雨の日々。ところが名の知られる宿泊スポット。その日は50個ほどテントが張ってあったほどの大盛況。加藤朝香がいた集団もいました。

18人が流され、13人が死亡する大きな水難事故となった

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加藤朝香がいた集団は廃棄物を処理する工場に勤めていた会社員を中心に彼らの子供やパートナー等を含む18人。急な水位の上昇により濁流の中立ち往生、援助が間に合わず無念にも流され13人が遺体で次の日に発見される事態に。先に退散した2人の他に3人が運よく引き上げに。その3人の中に加藤朝香はいました。

再三の避難勧告を無視して事故にあったため「DQNの川流れ」

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前々から警報を含め避難勧告はありました。周りの観光客も大雨警報が発動され退散。合わせて、ダムから雨水が放流される水路だったのでダム職員からも撤退要請が。加藤朝香の父を筆頭に彼ら職員の要請も聞き入れなかったことにより通報され警察が出動するも無視を続けたこと。合わせて振る舞いも最悪だった為に炎上。そしてDQNの川流れという皮肉を込めた別称が。

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加藤朝香の父親が非常識!信じられない暴言の数々とは?

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とりわけ犠牲となった集団のリーダーでもあったのが加藤朝香の父。リーダーである加藤朝香の父が率先して暴言や悪態を吐き、撤退要請も聞き入れませんでした。また、唯一の生き残りの一人が彼、加藤朝香の父という事実により、この事例の悲惨さに比べて周囲の冷たい声が多いのです。また彼のひどい振る舞いがますます悲惨な水難事故を川流れと別称がつけられる事態に。



加藤朝香の父親からの謝罪やお礼の言葉はなかった

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リーダーの加藤朝香の父も加藤朝香を含んだ生き残りの中の一人。リーダーにも関わらず率先して悪態を吐いたのは彼、加藤朝香の父でした。合わせて、救助後も謝罪やお礼を述べることは一切せず、事故後の会見やインタビューには応じませんでした。ますます世間は水難事故を川流れと揶揄するようになります。

救助直後に「テントを返せ」と発言?!

彼は命からがら救助、そして生き残りました。ところが、仕事仲間が流されたのにも関わらず加藤朝香の父は「テントを見つけたら返してほしい」と主張。自然の恐ろしさを身をもって経験し、目の前で同僚が濁流に飲み込まれていくのを目の当たりにしたのにも関わらず、リーダーは自分のテントの心配をしていたのです。

「玄倉川水難事故」がDQNの川流れと呼ばれる背景

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先程、皮肉を込めた別称DQNの川流れと揶揄を受けていることに触れました。加藤朝香の父の振る舞いや暴言はもちろんですが、その醜態が全国放送により炎上し、多くの人が目にしていたことも原因です。その事態はあまりにもひどく、同情の声はいっさいなかったのも、これからあげるいくつかの例を読んだら川流れなんて別称が付くのも少しは頷けるでしょう。

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