瓜田純士の現在は?嫁とラブラブでYouTuberに?小指を食いちぎった伝説の真相も

18歳で若頭補佐になり「供攻社」設立

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瓜田純士は、10代という若さで暴力団の組員になると、さっそく同年代の少年少女たちに、薬物を売るなどの違法行為に走って活動しました。そういった活躍が幹部や上層部の人間の目に留まったのか、若くして組織での地位を築いていきました。

組織のシマで所有する、飲み屋・居酒屋などの店で揉め事やトラブルが起きた時の仲裁役、また客に問題を起こさせないようにするための抑止力的存在となる、用心棒の組織「供攻社」を立ち上げて、新たなシノギを確立しました。

立ち上げた組織のメンバーは、強面なメンツ、黒人系の外国人、タトゥーや刺青が入ったアウトローなど、用心棒に必要な強面で危ない見た目をした人物が中心となって構成されていました。

瓜田純士は2014年に4度目の結婚

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瓜田純士は、まだ幼気で小さな子供の頃、まともに母親、父親の愛を受けて育ってきていませんでした。それもワル、アウトローを目覚めさせた原因と考えられますが、真っ当な愛を受けなかった影響は他にもあったのです。

彼はワルであり、スマートな体格にキリッとした男らしい顔立ちなため女性には、困らなく向こうから寄ってくるという典型的なモテ男だったようですが、恋愛になるとものすごくドライで消極的であり、女性を1人の人間と見ていなかったのです。

どうやら女性はすぐ裏切る人と見限っており、常に用心して心を開かなかったそうです。そのことは、自らが口にしていて語っています。そういった恋愛を続けてきたため、これまでに何度も結婚・離婚を繰り返しています。

現在は?

今から5年前の平成26年に4度目の結婚を果たしており、4人目の妻は、どこまでも尖って愛がない瓜田純士に真剣に向き合って、接し続けたようで、彼もそんな4人目の妻の姿に心を打たれて、初めて女性に心を許すことができたそうです。

現在では、口喧嘩することはあるそうですが、過去のように暴力を振るったり、1人の女性である妻を突き離すといった、心無いことはしていないようで、良い夫婦生活を送っています。

4人目の妻も芸能人であり、名の知れた人物なのですが、彼女については後述して詳しくご紹介していきます。

瓜田純士は2015年頃パニック障害に

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2019年(令和元年)現在から4年前の平成27年になると、瓜田純士はある病気を患ってしまいます。

急に心臓の動悸が激しくなる。身体から冷や汗が出てくる。呼吸困難に陥る。震えがする。などの症状に見舞われてしまう「パニック障害」となってしまったのです。

主な原因は不安や恐怖心であり、もしかしたらこの当時、アングラ界に精通する組織に命を付け狙われていたかもしれません。自身は、花粉症により睡眠不足になってしまい、精神状態が良くなかったことが原因であると、考えているそうです。

「タトゥーナビ」で写真を不定期更新中?

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瓜田純士は、8年前の平成23年ごろから、自慢のイケてるタトゥーの写真を掲載して公開するようなサイトに、自身のカラダに刻まれたイカツイタトゥーを掲載しています。

現在でも不定期ではありますが更新しているようで、瓜田純士は、物心がついた中学生の頃に既にタトゥーを入れていたらしく、現在でもタトゥーが増えていることが伺えるので、いつしか全身真っ黒になってしまうかもしれません。

現時点でも相当な数のタトゥーが入っていて、異様な姿に驚かれる方は少なくないはずです。

瓜田純士と関東連合の関係は?

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先ほど瓜田純士の過去の生い立ちについてご紹介していきましたが、中学生時代に関わりを持って悪友としてつるむことになった2人の人物が、後の関東連合の重要人物でした。

暴走族の道ではなく、暴力団としての道を歩むことになりましたが、2人との交流は続けていたようで、何かと関東連合の繋がりを感じさせる人物なのですが、実際のところ瓜田純士と関東連合という組織はどういう関係性なのでしょうか?

瓜田純士のブログで関与をほのめかす発言

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2019年(令和元年)現在から8年前の平成23年の年の瀬に、瓜田純士は自身のブログにて、関東連合という組織の名、歌舞伎役者の「市川海老蔵」氏を暴行した事件の当事者である2人の人物の名が挙がったのです。

内容も穏やかではなく、事情を知らない人たちもどこか言い争いをしているような感じが伝わりました。

このブログの投稿から、何か関係があったということは明らかなのですが、どのような事情があったのかを次に分かり易く解説していきます。

瓜田純士は石元太一と対立していた

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実は瓜田純士は、とある情報番組にコメンテーターとして出演して、その際に市川海老蔵さんが凄い大けがを負った暴行事件を1人のアウトローの目線で言及しました。

その際に、あたかも関東連合に繋がりのある人物のような紹介をされたのか、自分で関係者をほのめかす発言をしたのか、それが関東連合の人間、事件の当事者でもある「石元」氏の目に留まり、反感を抱くことになったのです。

石元氏は自身のブログにそれを指摘する内容を投稿し、それに対しての答えとして、瓜田純士からすれば謝罪、弁解の文を綴ったらしいのですが、それがどうも石元氏や大多数の人たちからは、生意気で煽るような文面と捉えてしまう内容だったのです。

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石元氏は更に、瓜田純士に対して不信感を抱き、ブログに嫌悪感を露わにする文面を投稿しました。こうして2人は、睨み合いアウトロー同士対立するようになりました。

石元氏側サイドの人間、つまり関東連合の人間は、調子に乗るな。と言わんばかりに、瓜田純士を慕うアウトロー1人をさらいました。

瓜田純士は怯えていたのか特にアクションを起こしませんでしたが、段々と事態が大きくなっていったのか、自出向き謝罪に行きましたが、なだめることができずに最終的に報復に遭ってしまい、顔面などに酷い怪我を負ってしまいました。

対立の裏に松嶋クロスの存在

もともと赤の他人同士でほとんど繋がりのない2人が睨み合い、対立するようになったのは、瓜田純士が中学時代につるんでいた悪友の1人、後に関東連合の幹部となる人物の存在がきっかけとなりました。

とある情報番組で出演した際に、あたかも瓜田純士が関東連合をよく知る人物、関係者を匂わせたのは過去に、リーダーと幹部と交流があったからであります。

それに反感を抱いた石元氏はブログにて、中学時代の瓜田純士と幹部の2ショット写真を載せて引き合いに出したのが対立の発端でした。

NEXT 2019年現在は対立の様子は見受けられない