1人目の妻、2人目の妻、3人目の妻のことなど自身がこれまで女性をどのように見てきて、どのように接してきたのかも、アウトローとしてどのような道を歩んできたのかが、手に取って分かる1冊となっています。
『遺書』の出版で揉め太田書房と絶縁へ
先ほどの作家として初めて世に放った作品が処女作となっていて「太田書房」から出版していますが、「遺書」という関東連合がテーマにした1冊を出版する際に、瓜田純士と同出版社が揉めて契約を絶つことになりました。
というのもその当時に、あの神戸連続児童殺人事件の犯人である少年Aが作家として電撃デビューした、「絶歌」という本の表紙が似ていたらしいのです。
タイトルも漢字2文字なので、意図的に寄せたわけではないとも考えられそうですが、太田書房に激しい嫌悪感を抱き、絶縁することになりました。
2019年現在は主に竹書房から出版している
2019年、令和元年となった現在でも瓜田純士は1人の作家として、その文才を発揮して作品を執筆して世に解き放っているそうですが、現在はコミック・漫画が中心の東京都千代田区に本社を置く出版社「竹書房」から自身の作品を出版しています。
これからも1人の作家としての活躍にも期待したいところです。
Contents
瓜田純士の地下格闘技歴
瓜田純士が1人の作家になることを獄中で決意したのは、平成20年のことですが、ちょうどの頃に作家とはかけ離れた、まったく違うもう1人のチャレンジを試みました。
それは、競技性のある格闘技に参戦するというものでした。アングラ界では周囲に取り巻くメンツも名だたるワルばかりで、本人のこれまでの所業もさることながらだったので、デビュー時には、アウトローのカリスマと称されて活躍が期待されました。
しかし、作家ほどうまくはいかなかったようで、「弱い」と辛辣な声が多くあがり、バッシングを受け叩かれてしまい格闘技の世界では思うようにはいかなかったのです。格闘家としての彼の姿をこちらでピックアップしてご紹介していきます。
2008年『THE OUTSIDER』に出場
業界から恐れられている、元プロレスラーでプロモーターの「前田日明」が、ヤンキーやワルたちを対象にした地下格闘技大会を主催しました。その大会が「ザ・アウトサイダー」であり、カタギとなった瓜田純士も1人の格闘家として出場しました。
大会自体も初めてで第1回目だったので、大会にとっても瓜田純士にとっても初めての試みとなりました、初戦は白星を上げましたが、以降は負けが続いて成績不振が続くようになり、周囲から蔑まれて批判されるようになっていきました。
2009年にはムエタイ興行にも参戦
翌年の平成21年には、タイで生まれてタイの国技に指定されている、タイボクシングと知られるムエタイの協議のイベントにも参戦しており、本格的に格闘家としての道を切り開いている様子が伺えました。
瓜田純士はイベントを盛り上げるための模倣試合に出場しているので、勝敗はありませんでした。
2010年『KICK the ROOTS 』出場
平成22年には「ファイティングマスター」が主催したキックボクシングのイベントが、瓜田純士の出身地でもある東京都新宿区歌舞伎町で開かれました。このイベントにも参加しました。
その当時の妻や知人に応援されながら、イベントに参加して、キックボクシングルールの試合にも出場していていますが、1ラウンド目、それも2分足らずでノックアウトさせられ負けてしまっています。
2011年に反則行為をし没収試合に
2019年も7月19日に、東京都西東京エリアの八王子市で開催される、人気の地下格闘技イベント「益荒男」
8年前に開催された、益荒男に瓜田純士も参加して、試合に出場していますが、成績不振な現状も影響したのか、休憩中なのにも関わらず相手選手に暴行する反則行為をしてしまい、試合を強制終了させられ、ここでも黒星をまた一つ増やしました。
2012年『BERSERKER』を以て引退へ
平成24年には、瓜田純士自身も、なかなか勝つことができづ格闘家としての伸び悩みを感じていたのか、バーサーカーという地下格闘技イベントを以て引退することを決意しました。
引退試合は60秒、1ラウンドのみ、勝ち負けなしという特殊な条件で行われました。
2018年に『THE OUTSIDER』復帰
瓜田純士が格闘家としてデビューを果たすことになった、1回目の「ザ・アウトサイダー」で主催の前田日明と揉めてしまっていましたが、昨年平成30年に和解して、同大会に参加して、大トリを飾る最期の試合に出場しました。
瓜田純士が負けたら、相手選手に賞金10万円というルールがありましたが、復帰試合でブランクがあったためか思うように力が出せず1ラウンド目にテクニカルノックアウトで、またも負けてしまいました。
朝青龍押し出しチャレンジにも参加
普通の地上波では、できないような企画に次々と挑戦するabemaTVが、あの名横綱の「朝青龍」を枠から押し出すことに成功したら1000万円という、前代未聞の企画を実施しました。
そのイベントに瓜田純士もチャレンジしましたが、やはり相手も相手であり、力不足だったようで、成功することはありませんでした。
瓜田純士は映画も制作していた!
これまでの人生とは打って変わって作家の道を歩み、また同時並行で格闘家としても試合に出場して、チャレンジャー精神や度胸は生半可のものではないと伺える瓜田純士ですが、彼は更に映画も制作していたのです。
その映画についての概要をご紹介していきます。
2009年『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』
この作品には、俳優や女優を一切起用しておらず、アングラ界に精通している実際のワルたちが出演しています。瓜田純士も主演を務めており、自身のこれまでのエピソードなど、哀愁漂う生き様を1本の映画にした自伝作品となっています。
ショートムービーの評判は?
ネットの掲示板「2ちゃんねる」の映画板での書き込みでは、瓜田純士の才能を認めて、作品を絶賛する人もいれば、反対に辛辣な言葉を並べて酷評する人もいて、評価が分かれて見る人を選ぶ作品であることが伺えます。
瓜田純士の現在の活動は?
ヤクザの道から足を洗った瓜田純士は、作家や映画、格闘技など自分の可能性を信じて新しい道を切り開いていきました。近年、色々なことに挑戦し続けて彼の姿に心を打たれたのは、最愛の妻だけではなくファンも少なくないでしょう。
そんな全身タトゥーだらけのチャレンジャーは、2019年令和元年となった現在はどんな活動をしているのでしょうか?
2019年3月に腰痛に悩まされる
後述して解説しますが、瓜田純士は、TwitterやInstagramを始めとしたSNS、更にはYouTubeなどにも積極的に活動していましたが、今年に入り、音信不通のようにその活動が滞っていました。
原因は3月に発症した酷い腰痛であり、身体を動かす事ももちろんですが、話すことすらままならない状態に陥ってしまったらしく、それが1か月以上続いたそうです。その際は内縁の妻に、優しく看病してもらったことでしょう。
2019年4月にラッパーデビュー!
瓜田純士は、もともと小説を書く作家を本職とするほど、文才がありボキャブラリー豊かな人物であったため、今年の春先には、1人のラッパーとしてもデビューを果たしました。
ミュージックビデオを動画サイトに投稿すると、コメント欄には「鳥肌が立った」「最高」「マジぱねぇ」など称賛の嵐となりました。今後はラッパーとしての活躍も大いに期待できそうなので、今後ぜひ注目したいところです。
2019年現在は吉本問題にも言及している
瓜田純士は、更にタイムリーな時事ネタ、問題である「闇営業」に揺れる吉本問題にも言及しており、世論について否定的な意見を持っており、「一番重要なのは今一度誰が悪いかを考えるべきである」と指摘して自論を展開しています。
瓜田純士と妻・麗子のSNS活動
瓜田純士は、4人目の妻である「麗子」さんと一緒にTwitterを始めとするSNS、更には今時代になっているユーチューバーとして積極的に活動しているようで、そんな微笑ましい側面をこちらでご紹介していきます。
瓜田純士は2016年から猫を飼っている
3年前の平成28年には、瓜田純士は、ペットとして猫を飼っているようで、本人は「セブン」妻の奥さんは「7代目」とそれぞれ違った呼び名で可愛がっているようです。
最近では、印税などで獲得した貯金が無くなってきたようで、アルバイトを考えているそうですが、身体に刻まれた幾多のタトゥーが原因でなかなか雇ってもらえないらしいです。
ですが本人もこの事を笑って話されていたので、お金はなくとも、愛する妻と猫のおかげて充実した生活を送っているのではないでしょうか。
YouTubeチャンネル「瓜田夫婦」開設
流行りのYouTubeの中で、人気なコンテンツの1つであるカップルチャンネルを、瓜田純士と奥様も開設しました。
チャンネル登録者数は現在「30000人」程度ですが、投降した動画は、おおよそ30000万再生を超えているので、一定数の需要があり、人気なチャンネルの1つと言っても過言ではないでしぃおう。
カップルチャンネルをほのめかす名称ですが、内容は瓜田純士自身が、色々なことをしたりあらゆる分野を研究したりと、ブログのようなコンテンツとなっています。
瓜田夫婦で複数のSNSアカウント開設
瓜田純士は内縁関係の奥さんと夫婦で、Twitter、Instagram、FacebookなどのSNSで複数のアカウントを開設して、積極的に近況についてのことなど、色々な内容を投稿しています。是非この機会にフォローしてみてみましょう!
瓜田純士と妻は別々にブログを開設
元々瓜田純士は、自身のブログを持っておりましたが、妻の麗子さんもブログを開設して、お互いそれぞれが1人のブロガーとして活動しています。興味のある方はいちどブログにアクセスしてみてはいかがでしょうか。
瓜田純士の書籍
全身タトゥーがトレードマークの瓜田純士の自伝、経歴、伝説、そして文才っぷりを垣間見ることができる貴重な、本人が作者となり執筆した書籍の数々をこちらで簡単にご紹介していきます。
興味が湧いた方や、気になった方は是非一度手に取って読んでみてはいかがでしょうか?
『ドブネズミのバラード』
瓜田純士の記念すべき処女作です。タイトルにも記されているように、この本は「バラード」となっています。その真意や意味を、ぜひ実際に手に取って感じ取ってみてください。
どれだけ悪いアウトロー、ヤンキーだったかよくわかる作品となっています。
『ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜』
過去の亡き友人や、自身の過去についての「思い」をストレートな表現で綴った作品です。ドラマの様な体験を、独特な表現で描いた一冊となっています。気になった方は是非読んで見てください。
『泥だらけのありがとう』
瓜田純士が世の人間に贈る、人生の指針となるような熱いメッセージが沢山込められたエッセイ作品であり、心中未遂したエピソードを赤裸々に語ったエッセイも収録されています。
その「ありがとう」という感謝の意を表す言葉は、誰に向けたものなのか、ぜひ実際にこの本を読んで確かめてみてください。
『遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~』
「関東連」合、そして組織が起こした最大の過ちである「六本木襲撃事件」この2つの事情とバックグラウンドが良く描かれている作品で、上の人間からの指令や命令には逆らえないという半グレ、ヤクザならではの、掟をよく理解することができます。
『國殺 ~国が國を殺している~』
これまでの瓜田純士が放つ作品とは、全くの別物であり、アングラ界を精通する1人のワル、アウトローの観点から様々な現代社会について、ひたすら物申す内容であり、ある意味、問題作となっています。
電子書籍『熱帯夜』
色々な犯罪を多く働いた組織「黒龍会」のリーダーや、黒龍会と、それに対立する組織などにスポットを当てた作品であり、読者からはすらすら読めるほど、内容の起承転結がはっきりとしていて面白いと絶賛され、瓜田純士の話題作となりました。
瓜田純士はあのスタンプにもなっていた!?
皆さんが日常的に使用する、今や電話とメールの機能の代替になっていて、色々な便利な機能が備わっている「LINE」スマートフォンやiPhoneを所持している人であれば、ほとんどの人がインストールしているSNS及びコミュニティーアプリ。
そのLINEで使用する、アプリ内のショップで購入できる色々なキャラ、アイドルや芸能人がテーマとなるラインスタンプの中に、公式で瓜田純士も存在していたのです。
つまりラインスタンプ化されているのですが、いくつかの点が本人のイメージ、特徴と異なるので指摘していきながら、詳細をご紹介していきます。値段は120円とお手頃価格なので、この機会に購入して使ってみてはいかがでしょう。
「ぱねぇ」がない
ラインスタンプと言えば、挨拶・返事で使えるようなセリフが添えられていることが多いですが、瓜田純士が生みの親で、パイオニアで流行らせた「ぱねぇ」というセリフが何故か使用されていません。
アウトローというより、いかにも若者、やんちゃな人が使いそうなセリフが多いですが、一応、代名詞でもある「カリスマ」という言葉もセリフに含まれています。
小指がある
噛み切って失ったという左手の小指ですが、ラインスタンプにはその小指がしっかり存在しています。全年齢を対象にしているので、この改変した表現は致し方ないと考えられます。
全てサングラスをしている
本人自身もサングラスをよくしていますが、出回っている実写真の鋭い眼光も非常に印象的で、サングラスはそれほどトレードマークとして認知されていないはずです、ラインスタンプでデフォルメされた姿は、どれもサングラスをつけています。
瓜田純士はあの有名な武将の末裔?
瓜田純士は、アウトロー界のカリスマと呼ばれて、多方面で活躍して、色々な時事問題や出来事に対しての意見を求め、しばしばメディアからマイクが向けられますが、日本人であればだれしも知っているあの有名な武将の末裔らしいのです。
その有名な武将とはいったい誰なのでしょうか?
織田信長
その有名な武将とは、戦国時代から安土桃山時代に、名を馳せた戦国大名の「織田信長」だったのです。
「鳴かぬならなら殺してしまえホトトギス」という俳句で、その意から人柄を伺える通り、冷酷で手段をいとわない人物と周知されていますが、瓜田純士も1人のヤクザであったときは、同様の精神を有していたかもしれません。
またどことなく、顔立ちも系統が同じような感じがしますが、末裔であると言う明白なソースはなく、本人が自称しているだけなので、その真実は定かではありません。
瓜田純士の今後の活躍も要チェック!
今回の記事では、父親が伝説の暴力団の総長であり、生まれた時からワルとしての道が決まっていたような、アウトローのカリスマ、無数のタトゥーが刻まれた「瓜田純士」をクローズアップして、徹底的にご紹介していきました。
中学時代につるんでいた悪友が、後の関東連合の重要人物であり、その組織と関係性や事件、騒動についても触れてお話ししました。指を食いちぎった伝説、「ぱねぇ」という言葉を生み流行らした人物、なども有名なアウトローです。
近年は、その意外な才能を開花させて作家として、沢山の本を出版しており、その文才を活かして映画を製作したり、ラッパーとしても活動を始めました。格闘家としても復帰を果たしたので、多才な瓜田純士の今後の活躍には目が離せません。