瓜田純士の現在は?嫁とラブラブでYouTuberに?小指を食いちぎった伝説の真相も

「家族・事務所を潰す」「弟がどうなってもしらない」「業界から消えろ」そんな風な発言をしたらしく、本人はその時酔っぱらっていて、姉の事務所と歌手活動を巡ってトラブルがあったことが原因で、逆上してしまったのです。

2013年に瓜田純士は何者かに刺される

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更にその翌年の平成25年には、瓜田純士は、何者かに付け狙われていた人物と出歩いていたため、アウトローたちの抗争に巻き込まれてしまい、刃物で襲われてしまい怪我を負いました。

連れの1人は致命傷となる首などを刃物で刺されていましたが、幸いにも命に別条はなかったようです。病院には行ったものの警察に通報しなかったため、犯人は逮捕されておらず未解決事件となっているようです。

4人目の妻である奥さんも、こういったことがあると心配で堪らないのではないでしょうか。とはいえ大事に至らず何よりです。抗争に巻き込まれて襲撃されて、無惨に命を落とした最強のアウトロー「金村剛弘」に関する記事はこちらです。

レゴランド入場拒否騒動も

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今から2年前に、オープンした世界的に展開しているレゴブロックがテーマとなった遊園地「レゴランド」に、訪れた際には、その全身のタトゥーが原因で入場を断れてしまったようで、その出来事は、自身のブログやSNSで投稿しています。

瓜田純士も、別に悪さをしに来たわけではないのですが、やはりその数多のタトゥーは世間体から煙たがられてしまい、生活に支障をきたし不利に働く事が多いのではないでしょうか。

作家としての瓜田純士の経歴

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これまでは全身タトゥーだらけの1人のアウトローとしての瓜田純士をクローズアップしていきましたが、次にアウトローとは無縁そうな文才に目覚めた作家としての瓜田純士をクローズアップしてご紹介していきます。

どのようにしてその意外な才能を開花させ作家としての道を切り開いたのでしょうか?そんな気になる点を掘り下げてお話ししていきます。

刑務所内での文芸コンクールで文才開花

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瓜田純士は、元暴力団員でありアウトローとしても現役バリバリの時には、アングラの世界で法に触れてシノギを行ってきたので、何度も警察の世話になったということは容易に想像できます。

何をして、どんな犯行に及んで検挙されたかは分かりませんが、長期間、豚箱と呼ばれる様なムショで囚人と暮らしている際に、できる事が限られていたのでしょう。瓜田純士は、「文」を書く奥深さや楽しみを知っていったのです。

それまでのアウトロー生活が嘘のように、文才・作家としての才能を開花させ、執筆にのめりこんでいき同じ囚人たちの間で行われる文章のコンクールで、見事大賞に選ばれて、そこから自身も1人の作家として歩むことを決意しました。

2008年『ドブネズミのバラード』で文壇デビュー

ドブネズミのバラード

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2019年(令和元年)現在から11年前の平成20年には、上記のタイトルの自伝本を発売して、正式に1人の作家としてデビューを果たしています。

内容は、これまでの瓜田純士が経験してきた人生のこと、一般人ではまず体験できないであろうエピソードの数々の連続が書き記されています。

1人目の妻、2人目の妻、3人目の妻のことなど自身がこれまで女性をどのように見てきて、どのように接してきたのかも、アウトローとしてどのような道を歩んできたのかが、手に取って分かる1冊となっています。

『遺書』の出版で揉め太田書房と絶縁へ

「遺書」 関東連合崩壊の真実とある兄弟の絆 (竹書房文庫)

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先ほどの作家として初めて世に放った作品が処女作となっていて「太田書房」から出版していますが、「遺書」という関東連合がテーマにした1冊を出版する際に、瓜田純士と同出版社が揉めて契約を絶つことになりました。

というのもその当時に、あの神戸連続児童殺人事件の犯人である少年Aが作家として電撃デビューした、「絶歌」という本の表紙が似ていたらしいのです。

タイトルも漢字2文字なので、意図的に寄せたわけではないとも考えられそうですが、太田書房に激しい嫌悪感を抱き、絶縁することになりました。

2019年現在は主に竹書房から出版している

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2019年、令和元年となった現在でも瓜田純士は1人の作家として、その文才を発揮して作品を執筆して世に解き放っているそうですが、現在はコミック・漫画が中心の東京都千代田区に本社を置く出版社「竹書房」から自身の作品を出版しています。

これからも1人の作家としての活躍にも期待したいところです。

瓜田純士の地下格闘技歴

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瓜田純士が1人の作家になることを獄中で決意したのは、平成20年のことですが、ちょうどの頃に作家とはかけ離れた、まったく違うもう1人のチャレンジを試みました。

それは、競技性のある格闘技に参戦するというものでした。アングラ界では周囲に取り巻くメンツも名だたるワルばかりで、本人のこれまでの所業もさることながらだったので、デビュー時には、アウトローのカリスマと称されて活躍が期待されました。

しかし、作家ほどうまくはいかなかったようで、「弱い」と辛辣な声が多くあがり、バッシングを受け叩かれてしまい格闘技の世界では思うようにはいかなかったのです。格闘家としての彼の姿をこちらでピックアップしてご紹介していきます。

2008年『THE OUTSIDER』に出場

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業界から恐れられている、元プロレスラーでプロモーターの「前田日明」が、ヤンキーやワルたちを対象にした地下格闘技大会を主催しました。その大会が「ザ・アウトサイダー」であり、カタギとなった瓜田純士も1人の格闘家として出場しました。

大会自体も初めてで第1回目だったので、大会にとっても瓜田純士にとっても初めての試みとなりました、初戦は白星を上げましたが、以降は負けが続いて成績不振が続くようになり、周囲から蔑まれて批判されるようになっていきました。

2009年にはムエタイ興行にも参戦

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翌年の平成21年には、タイで生まれてタイの国技に指定されている、タイボクシングと知られるムエタイの協議のイベントにも参戦しており、本格的に格闘家としての道を切り開いている様子が伺えました。

瓜田純士はイベントを盛り上げるための模倣試合に出場しているので、勝敗はありませんでした。

2010年『KICK the ROOTS 』出場

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平成22年には「ファイティングマスター」が主催したキックボクシングのイベントが、瓜田純士の出身地でもある東京都新宿区歌舞伎町で開かれました。このイベントにも参加しました。

その当時の妻や知人に応援されながら、イベントに参加して、キックボクシングルールの試合にも出場していていますが、1ラウンド目、それも2分足らずでノックアウトさせられ負けてしまっています。

NEXT 2011年に反則行為をし没収試合に