瓜田純士の現在は?嫁とラブラブでYouTuberに?小指を食いちぎった伝説の真相も

作家としての瓜田純士の経歴

congerdesign / Pixabay

これまでは全身タトゥーだらけの1人のアウトローとしての瓜田純士をクローズアップしていきましたが、次にアウトローとは無縁そうな文才に目覚めた作家としての瓜田純士をクローズアップしてご紹介していきます。

どのようにしてその意外な才能を開花させ作家としての道を切り開いたのでしょうか?そんな気になる点を掘り下げてお話ししていきます。

刑務所内での文芸コンクールで文才開花

Ichigo121212 / Pixabay

瓜田純士は、元暴力団員でありアウトローとしても現役バリバリの時には、アングラの世界で法に触れてシノギを行ってきたので、何度も警察の世話になったということは容易に想像できます。

何をして、どんな犯行に及んで検挙されたかは分かりませんが、長期間、豚箱と呼ばれる様なムショで囚人と暮らしている際に、できる事が限られていたのでしょう。瓜田純士は、「文」を書く奥深さや楽しみを知っていったのです。

それまでのアウトロー生活が嘘のように、文才・作家としての才能を開花させ、執筆にのめりこんでいき同じ囚人たちの間で行われる文章のコンクールで、見事大賞に選ばれて、そこから自身も1人の作家として歩むことを決意しました。

2008年『ドブネズミのバラード』で文壇デビュー

ドブネズミのバラード

Amazonで見る

2019年(令和元年)現在から11年前の平成20年には、上記のタイトルの自伝本を発売して、正式に1人の作家としてデビューを果たしています。

内容は、これまでの瓜田純士が経験してきた人生のこと、一般人ではまず体験できないであろうエピソードの数々の連続が書き記されています。

1人目の妻、2人目の妻、3人目の妻のことなど自身がこれまで女性をどのように見てきて、どのように接してきたのかも、アウトローとしてどのような道を歩んできたのかが、手に取って分かる1冊となっています。

『遺書』の出版で揉め太田書房と絶縁へ

「遺書」 関東連合崩壊の真実とある兄弟の絆 (竹書房文庫)

Amazonで見る

先ほどの作家として初めて世に放った作品が処女作となっていて「太田書房」から出版していますが、「遺書」という関東連合がテーマにした1冊を出版する際に、瓜田純士と同出版社が揉めて契約を絶つことになりました。

というのもその当時に、あの神戸連続児童殺人事件の犯人である少年Aが作家として電撃デビューした、「絶歌」という本の表紙が似ていたらしいのです。

タイトルも漢字2文字なので、意図的に寄せたわけではないとも考えられそうですが、太田書房に激しい嫌悪感を抱き、絶縁することになりました。

2019年現在は主に竹書房から出版している

rawpixel / Pixabay

2019年、令和元年となった現在でも瓜田純士は1人の作家として、その文才を発揮して作品を執筆して世に解き放っているそうですが、現在はコミック・漫画が中心の東京都千代田区に本社を置く出版社「竹書房」から自身の作品を出版しています。

これからも1人の作家としての活躍にも期待したいところです。

瓜田純士の地下格闘技歴

SFReader / Pixabay

瓜田純士が1人の作家になることを獄中で決意したのは、平成20年のことですが、ちょうどの頃に作家とはかけ離れた、まったく違うもう1人のチャレンジを試みました。

それは、競技性のある格闘技に参戦するというものでした。アングラ界では周囲に取り巻くメンツも名だたるワルばかりで、本人のこれまでの所業もさることながらだったので、デビュー時には、アウトローのカリスマと称されて活躍が期待されました。

しかし、作家ほどうまくはいかなかったようで、「弱い」と辛辣な声が多くあがり、バッシングを受け叩かれてしまい格闘技の世界では思うようにはいかなかったのです。格闘家としての彼の姿をこちらでピックアップしてご紹介していきます。

2008年『THE OUTSIDER』に出場

378322 / Pixabay

業界から恐れられている、元プロレスラーでプロモーターの「前田日明」が、ヤンキーやワルたちを対象にした地下格闘技大会を主催しました。その大会が「ザ・アウトサイダー」であり、カタギとなった瓜田純士も1人の格闘家として出場しました。

大会自体も初めてで第1回目だったので、大会にとっても瓜田純士にとっても初めての試みとなりました、初戦は白星を上げましたが、以降は負けが続いて成績不振が続くようになり、周囲から蔑まれて批判されるようになっていきました。

NEXT 2009年にはムエタイ興行にも参戦