平成13年の春には、フジテレビが主催する大型スポーツイベント「KICK!ODAIBA 2002」のオープニングに登場して、ライブを行ったのちCDをリリースすることを発表しました。
山下翔央以外の他の一員3人は、平成16年にTBSで放送された超人気連続ドラマ「金八先生」に出演して、金八トリオと呼ばれ世間から注目されました。
山下翔央の所属グループ「Ya-Ya-yah」から八乙女光が引き抜かれる
ユニットではなく、前述した金八トリオが日刊スポーツが主催するドラマグランプリの新人賞に輝き、注目と脚光を浴び始めました。
平成19年には金八トリオの2人である「八乙女」と「藪」の2名が突如ユニットを脱退して、同事務所の後に有名なるユニット「Hey! Say! JUMP」に移籍したのです。
つまり事務所の意向により引き抜かれる形となりました。残ったメンバーはこの時点で山下翔央を含め2名しかいませんでした。
「Ya-Ya-yah」は自然消滅へ…
「Hey! Say! JUMP」に移籍したメンバーの2人が半ば強制的に脱退したのは9月であり、同年の10月にユニットの冠番組も最終回を迎えてしまいました。
そうして最終的にグループは自然消滅となってしまったのです。事務所、ジャニーの贔屓を受けることができなかったのが原因とみるのこと不思議ではありません。
山下翔央のその後!「Ya-Ya-yah」消滅後の活動
ユニットがなくなったあと山下翔央はどんな仕事をこなしていたのでしょうか?次にその後の気になる山下翔央の意向を解説していきます。
山下翔央はソロ活動がメインに
平成19年の秋にユニットが完全に消滅してしまいましたが、この時点ではまだジャニーズには所属していたので、ソロ活動がメインとなっていました。
公式サイトなどを持っておらず、CDなどもリリースしておらず、他主力グループのバックダンサーを務める、いわゆるジャニーズジュニアとして仕事をこなしていたようです。
山下翔央がついにジャニーズを退社
約2年間はジャニーズジュニアとして、バックダンサーなどをしてソロで仕事を続けていましたがが、平成22年の2月についにジャニーズを退社することになりました。
日の目を浴びなければ誰しも行き着く結末と言えるでしょうが、ここまで不遇だったのは何故なのでしょうか?