藤間紫の若い頃は?浜木綿子と険悪?市川猿之助との関係に子供や孫情報も

裕福な家庭で育ち、日本舞踊の家元と結婚。その後女優として輝かしい経歴を重ね、市川猿之助と再婚を果たした藤間紫ですが、最後の時は穏やかであったと言われています。

藤間紫は85歳で肝不全で死亡した

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死の一カ月前から体調不良を訴えていた藤間紫は、「第52回日本舞踊協会公演」への出演を終えるとすぐに入院することに。肝硬変からくる肝不全によって死亡されました。

死の数日前には意識が混濁していて一時は心臓も止まりかけましたが、市川猿之助が呼びかけると脈が安定するといった場面もありました。しかしとうとう力尽きたのか、市川猿之助が見守る中静かに息を引き取りました。

藤間紫の葬儀は密葬だった

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葬儀は身内と関係者の500人が参加し、密葬で行われ喪主は夫の市川猿之助が務めました。脳梗塞でリハビリ中の市川猿之助に代わり藤間紫の息子藤間文彦が挨拶をしている間、市川猿之助はずっと涙を流していました。棺の蓋が閉まる直前まで寄り添っていたことから、どれだけ愛していたのかが分かりますね。

市川猿之助には既に新恋人がいる?

最愛の妻の葬儀も終わり三回忌も過ぎたころ、週刊誌で市川猿之助の新しい恋人との同棲が報じられました。それまでも交際が続いていましたが、身内や関係者に反対されていたという老いらくの恋ですがお相手はどんな人でしょうか。

市川猿之助は妻の遺したアパートで別の女性と暮らしている

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新しい恋人は、福岡県出身のテレビ局勤務の40第女性でした。市川猿之助とは仕事で知り合い、意気投合したそうです。市川猿之助の住むマンションの近くに引っ越してきて、身の回りのことを献身的に助けてきたようです。

藤間紫が夫の為に残した高級マンションに新しい彼女を呼び寄せ、同棲している報道がされました。現在はこの女性が市川猿之助の介護、一門の人事まで一任しています。

藤間紫の歌舞伎役者としての活躍

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日本舞踊は古くから伝わる日本の伝統舞踊の総称であり、中には歌舞伎や能楽も含まれています。歌舞伎は庶民向けの娯楽として広がり、派手な衣装を着て客を楽しませるエンターテイメントの側面を持ちます。藤間紫は若い頃から深く歌舞伎に関わっていくことになります。

藤間紫は日本舞踊藤間流紫派の家元

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日本舞踊は現在200以上の流派に分かれていますが、藤間紫が家元を務めていたのは日本でも5本の指に入る名門日本舞踊藤間流紫派の家元です。藤間流の家元六世藤間勘十郎と離婚したことから藤間流を離れ、紫派を創設しました。現在は猿之助一座の若手の指導も行っています。

藤間紫は淀君などが有名

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1948年の舞踊劇『淀君』で舞台デビューを果たしましたがこの創作舞踊劇が好評になり、話題になったことで俳優辰巳柳太郎の目に留まり、以後は次々に舞台や映画などにオファーされるようになりました。

藤間紫の出演作品

日本舞踊の国内で有数の家元としてだけでなく、藤間紫は女優としても若い頃からその才能を発揮させました。多くのテレビドラマにも出演し、若い頃から昭和の名女優と呼ばれました。

藤間紫の出演テレビドラマ

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1970年に放送された時代劇ドラマ「大岡越前」では主人公の妻の母親役を演じました。このドラマは江戸時代の奉行大岡忠相を主人公に、30年近くにわたって制作された作品です。

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