ベクシンスキーの呪われた生涯と呪われた絵の真実に迫る!どこで見られるかも徹底リサーチ!

3度見たら死ぬと言われるベクシンスキーの不気味な絵の真実とは?をテーマに、ベクシンスキーの画風や生涯、そして凄惨なベクシンスキーの最期を解説します。「終焉の画家」とも呼ばれるベクシンスキーの人物像に加え、ベクシンスキー以外の呪われた作品も一緒に紹介します。

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料理が好きなのでレシピ系の記事を書いていきたいと思っています。
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①呪われたベクシンスキー絵画

何故ベクシンスキーの絵画は呪われているのか。そう言われるようになった切っ掛けとも言える一枚の絵画があります。ベクシンスキーの作品の中でも特に有名な一枚ですが、まずはこの絵画について触れていきましょう。

3度見たら死ぬ絵

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「3度見たら死ぬ絵」とはネット上で呼ばれている俗称です。そう呼ばれている理由の一つに、この絵画には正式な名前が無いという事実があります。というのも、ベクシンスキーは自身の作品に、一切名前を付けなかったのです。

椅子に置かれた白い生首

こちらがその「3度見たら死ぬ絵」です。荒廃した世界の中、椅子の上に置かれた、生気のない真っ白な生首。目がある筈の位置には瞳は見えず、代わりに底の見えない闇が…。見ていると不安に駆られるような、不気味な絵です。

ベクシンスキーの呪いは本当か!?

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何故この絵が「3度見たら死ぬ」と言われるのか。実ははっきりしたことは分かっていません。実際に死んだ人がいるという話もありますが、それを証明する物は存在しません。この絵の不気味さから、ネット上で勝手にそう呼ばれるようになったという説が濃厚ですが、ベクシンスキー自身が不幸な最期を迎えている事から、「ベクシンスキーの絵は呪われている」という話が広がった、とも言われています。

②ベクシンスキーの世界

ベクシンスキーの描く世界観がどのようなものか、先程の「3度見たら死ぬ絵」とは別の物を紹介します。どれも恐ろしく不気味な印象を抱かせるものばかりで、見ているだけで不安を煽られます。あまり見つめていると呪われてしまいそうだと、本気で思ってしまう程に…。しかし恐ろしくも不思議と惹きつけられる美しさを持っており、それに魅入られてベクシンスキーのファンになる人も多数いるようです。

死と荒廃

崩れかけたビル群に、茶色く濁った空。手前に見えるのは無数の人型と、巨大な口を開いた異形。鈍い青色の目はまるでエイリアンのようにも見えます。もしくは、死体を食う、もしくは吐き出している所を見るに死神のような存在なのでしょうか。

空虚な未来

血の涙を流す人の顔が虚空に浮かんでいます。千切って張り付けられたような顔面の、その表情が語るのは憐憫か絶望か…。背景の暗く澱んだ空気や、滴る涙が作る血の池が、より終末感を現しています。

絶望とファンタジー

墓標のように並び立つ髑髏が埋め込まれた柱と、空に浮かぶ骸骨のような竜のような化け物。空には他にも翼をもつ竜のような生き物が多数見えます。ファンタジー要素も交えつつ絶望感漂う風景に、何故か惹かれるという方も多いようです。

③ベクシンスキーの経歴

このように不気味で退廃的な絵画ばかりを描き、後の世では「終焉の画家」とまで呼ばれるベクシンスキーですが、一体どのような人物だったのでしょうか。まずは彼の経歴を見ていきましょう。

建築家を目指した学生時代

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彼の父と祖父は建築の仕事に携わっていました。その為、彼もまた建築家を目指しクラクフ工業大学建築設計学部に入学。卒業後は現場監督に就任しますが、どうにも不満だったようです。その後すぐに、建築の仕事を辞め芸術の道へ転進します。

抽象画家としてデビュー

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建築家をやめ、芸術家となったベクシンスキーは1964年に初の個展を開きます。その初の個展でなんと、全ての作品に買い手がつき、すぐにポーランドの代表的な近代芸術家として、世間に認知されます。この当時は主に抽象画を描いていたようです。

幻想的リアリズムの確立

1960年代の間に、ベクシンスキーの画風が変わっていきます。独自のゴシック的で、かつシュルレアリスム的な、あるいは幻想的リアリズムとも称される、独特な画風に移行します。どうして画風が変化したのかは分かりません。ですが少なくとも、誰かの影響を受けてという事ではないようです。何故なら、ベクシンスキーは普段隠居するような暮らしをしながら作品の制作に没頭しており、他の芸術を見る事を避けていました。

④ベクシンスキーの生涯

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ベクシンスキーの生涯はまさに「呪われている」と言って良い程に不幸な出来事が続いています。彼の画風に影響を与えたであろう、その悲惨な出来事の数々を順を追って見ていきましょう。

ナチスのポーランド侵攻

ベクシンスキーは幼い頃に、ナチス・ドイツのポーランド侵攻を経験しています。幼少期の写真が残されており、こちらは1941年に撮影された物で、サノクにあったソ連軍の掩蔽壕がある廃墟で友達と遊んでいる様子が写っています。他国に攻め込まれた経験が、その後ベクシンスキーが描いていく独創的な絵画達に、何かしらの影響を与えていると思われます。

妻の死

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1998年、ベクシンスキーの妻が病気で亡くなります。身内の死は避けようのない不幸ではありますが、しかしベクシンスキーの不幸はこれだけでは終わりませんでした。

息子の死

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1999年、妻が亡くなった翌年のクリスマスイブ。ポーランドで人気のラジオで、パーソナリティをしていた音楽評論家の息子、トマシュ・ベクシンスキーが薬物の過剰摂取により自殺します。ベクシンスキーはトマシュの死と折り合いを付けられなかったようで、『もし、私がくたばった時に備えて。Tomek(息子の愛称)へ』と手紙を綴って、壁にピンで留めていました。

⑤ベクシンスキーの最期

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戦争に、愛する家族の死。数々の不幸に見舞われてきたベクシンスキーですが、その人生はとある人物によって終焉を迎えさせられました。ベクシンスキーの呪いが口にされるようになった理由の一つである、彼の最期について触れていきましょう。

17か所の刺し傷

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2005年の2月。ベクシンスキーは自宅で遺体となって発見されました。遺体には、多数の刺し傷が残されていました。その数は何と17か所。それも頭部と胸部に絞られていました。遺体の様子からは犯人の強い殺意が感じられます。事実、ベクシンスキー殺害は彼に恨みを持った人物による犯行でした。

1万円の借金をめぐる死

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ベクシンスキーが殺されたのは、借金の頼みを断った事が原因でした。それも大金ではなく、1万円程度だったようです。たったそれだけの事で、ここまで惨たらしい最期を迎えることになるとは、本人も周囲の人たちも想像もしなかったでしょう。

友人の息子による犯行

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ベクシンスキーを殺害した犯人は、彼の友人の息子でした。それも付き合いの浅い相手ではなく、長年の付き合いのある、生活の世話もしてくれていた人物の息子だったようです。加えて、犯人の従兄弟が共犯として捕まっています。二人の若者の手により、ベクシンスキーは刃物でめった刺しにされるという、惨たらしい最期でその一生を終える事となります。

⑥ベクシンスキー作品はどこで見られる?

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ベクシンスキーの作品を自分の目で見てみたい、と思われる方もいるかと思います。残念ながら、現在日本の美術館では展示されている場所はありません。しかし海外でしたら、ベクシンスキーの作品を展示している美術館が存在します。また、海外に行くのが難しい場合は画集なら日本でも手に入りますので、購入してじっくり見るのも良いでしょう。

暗黒のベクシンスキー美術館

ベクシンスキーがその生涯を過ごしたポーランドに、彼の作品が展示されている美術館があります。場所はNowa Huta地区のNowa Huta Cultural Centre(ノバフタカルチャーセンター)内。中心街からバスやタクシー、トラム(路面電車)で30分程の距離にあります。ギャラリー内部は天井から壁、床に至るまで真っ黒で、その中で暗めの音楽と共にベクシンスキーの作品たちが展示されています。各作品には照明が当てられており、悲しげでおどろおどろしい絵画達が暗闇の中に浮かび上がる様は、不気味でありつつもどこか現実離れしていて、不思議と目を向けてしまう魅力があります。

ベクシンスキーバーチャル美術館

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ネット上にあるバーチャル美術館でベクシンスキーの作品を見ることが可能です。DmochowskiGallery.netというウェブサイトで、こちらではベクシンスキーの描いた絵や、作品を紹介するPV、インタビューの映像などを見ることが出来ます。日本語ではありませんが閲覧は無料なので、旅行や画集の購入をするのはちょっと厳しい、という方にお勧めです。

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