即身仏とは?
即身仏とは読んで字のごとく生身の修行僧がそのまま仏となることを言います。ただ修行をして死んでゆくというだけでは即身仏になることはできません。末代まで称えられるような即身仏になるためには知らぜざる苦行や困難の道があります。
今回の記事ではできる限り分かりやすくなるよう、実際の即身仏の写真があるものは掲載しました。文章中にもグロテスクな表現があります。苦手な方は以下に進んでいかれる場合、ご注意ください。
即身仏とは生きたままミイラと化す究極の修行
そもそもにして仏教を信仰しているからと言っても誰もが即身仏になることが出来るわけではありません。修行のため命を捨てゆくだけではなく、死んだあともその形を残すべくおこなわなければならない苦行があるからです。それに打ち勝てたものだけが資格があるということです。
即身仏になった最初の人物「空海」
日本で最初の即身仏は「空海」だと言われています。835年の3月21日に目を深く閉じ、口を固く結びそのまま即身仏になりました。現代においてもその魂は行き続けており、1日2回弟子たちが衣服を捧げたり食事を給仕し続けています。
ただし、文献の中には空海は火葬されたとするものもあります。諸説あるうちの一説ですので、後世に伝えられる内に有耶無耶になってしまった部分もあります。1000年以上経った今でも信仰の対象となっているという点に注目すべきでしょう。
即身仏の思想
思想の背景としては、今生で苦しんでいる小作人の農民信者を救いたいという僧達の強い他者救済信仰があります。更に修行を極めた魂も輪廻転生を離れ高次元に行き、身体だけが現世に仏として残るという訳です。
即身仏と即身成仏との違い
一文字違いではありますが、「即身成仏」という言葉もあります。即身仏の思想の背景には関係してる部分もありますが別の言葉です。仏教思想とは切り離せない部分があるため説明は非常に難しいです。
本来、成仏=仏になる(悟りを開く)ということは修行をして何回も生まれ変わってようやくたどり着けるかどうかということです。それを今生でも成仏することができると説いたのが即身成仏と言う言葉です。
即身仏になるための過酷すぎる修行①山籠修行
次からはどのように修行をし、即身仏になり得るのか具体的に解説していきます。地域や信仰によって修行の仕方は多少差がありますが、ここでは即身仏信仰の中心地である湯殿山の修行にスポットを当てます。
1000日山に籠る
山籠は湯殿山奥の院近くにある仙人沢と呼ばれる行場で行われました。丸太を組み、笹で葺いた小屋を作りその中で過ごします。毎日奥ノ院に参拝し、日数は1000の倍数単位で1000日から3000日、長いと5000日に及ぶこともありました。
行衣一重のみ
湯殿山は山形県にあります。決して暖かい地域ではなく、スキー場もある雪深い地域であり気温も氷点下になります。現在でも雪に閉ざされる地域でもあります。しかし、修行中は行衣と呼ばれる上の写真のような服装一枚で挑みます。
火は使えない
いくら薄着とはいえ、小屋の中で火を炊いていればそこまで極限ではないのでは?と言う希望も残念ながら消えます。火を使えないとする説と手のひらをロウソク代わりに使ったという説があるようですが、いずれ暖まるということは不可能です。