世界の女戦士たちを総まとめ。美しく勇猛な女戦士はフィクション以外にも存在した!

「女戦士」というパワーワードから浮かび上がるイメージと史実に名を残す女戦士たちの真実とは?彼女たちの戦闘能力と残した偉業はやはりすごかった!神話の世界から古代史、近現代史まで世界各国で活躍した勇敢な美しき女戦士達を紹介します。

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歴史に名を残す伝説の女戦士

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戦士と聞いてイメージするのはガタイがいい屈強な男性のイメージが強いかと思います。男女雇用機会均等法があるとはいえ、まだ力仕事はやはり男性の仕事というイメージもまだまだ根強いです。そんな中で戦場をかけた女性に注目してみましょう!

女戦士とは

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当たり前ですが、この世には男と女2つの性別があります。そう考えれば戦士の半数は女性でもおかしくはないですが、やはり男性よりはかなり少ない存在です。それはやはり長い歴史の中で男尊女卑の思考のせいもあるでしょう。

しかし、そこまで行かなくとも社会的に男は女や子供を守るものであり、女性は守られる存在であるという意識があるからだと思います。また、体のつくりも男性の方が大きく筋肉量も違います。そんな中で歴史に名を残した女戦士も存在します。

女戦士のイメージ

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女戦士と聞いてどんなイメージを抱くでしょう。男勝りで強気で見た目もちょっと男性的なゴツいイメージがあるのではないでしょうか。大剣を振り回して次々と強敵を打ち負かしていくようなイメージ…。実際はどうだったのでしょう。

女戦士の役割

戦いに長けた女戦士だけではなく実は知略に長けた政治家というタイプもいます。歴史上をみても女王として君臨している存在は知られています。自ら戦うのではなく大勢の軍を指揮し戦場に立ったり、政略結婚を行う等まさに女の武器を活用する役割を負いました。

ただし、戦場においても武器の扱いや力の強い女性も存在しています。肉体的にも頭脳的にもどちらも優秀だなんて天は二物を与えずとは幻ですね。そんな優秀な人物であるからこそ、味方につければ怖いものなしといったところでしょう。

ギリシャ神話にみる女戦士

初めに神話時代の女戦士について紹介します。ギリシャ神話は3章に分かれており、世界の始まり・神々の話・英雄や人間の話と話が進むにつれ歴史上の事柄に関連づいてきます。想像上の創造神話と思われる部分もありますが、後述するトロイア戦争など遺跡が見つかっている話もあります。

ギリシャ神話に登場する戦士はたくさんいますが、今回は女だけの部族で戦いにも長けていた代表的な部族としてアマゾネスを紹介します。アマゾネスもギリシャ人が実在の部族を誇張したのではと言われていますが存在していたのは間違いないです。

最強の女部族「アマゾネス」

基本的には女性のみで構成された部族であり、北方の未開の地カウカソス、スキュティア、トラーキア北方などの黒海沿岸に住んでいました。子どもを生む時は他の部族の男性の元に出向き、生まれた子どもが男の子だった場合は殺してしまうこともあったというから相当な徹底ぶりです。

右の乳房を切り落とし戦う

アマゾネスは弓を扱う狩猟部族であり、馬も飼いならし戦力にも長けていました。現代においても強い女性の代名詞として使われています。弓を引く際邪魔になるので右の乳房を切り落とし、授乳は左の乳房のみで行ったという伝説もあります。

トロイア戦争とアマゾネス

トロイア戦争とはギリシャ神話に記されている王女を奪われたギリシャ軍とトロイア軍の争いです。トロイの木馬でも有名ですね。トロイア側についたアマゾネスの女王ペンテシレイアが、ギリシャの英雄アキレウスと対峙しました。

ペンテシレイアは馬を走らせ攻め込みますが、アキレウスの放った矢が彼女に突き刺さりました。勝負はあっけなくついてしまいましたが、殺したあとでも美しいその死に顔にアキレウスは激しい後悔に襲われたといいます。

現在もアマゾネスは存在する?

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女だけの部族ということであれば、今も未開の地に存在しているという都市伝説のような話もあります。探検家が山で迷い込んだ際に女だけの部族に助けを求めたところ、いきなり襲いかかられ命からがら逃げ出したという話もあります。

アンデス地方には今も山奥にアマゾネスが存在し財宝を隠していると言う話を聞き、探しに向かった探検家もいましたが、過酷な自然環境に太刀打ちすることができずいまだ無事戻ってきたものはいないということです。

ローマ時代の女戦士

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ローマ帝国が発展し各地へ支配の手を伸ばしていた時代。巨大化するローマ帝国に対抗する女王やリーダー達が活躍した時代でもあります。自分の領地を守るため、権力を誇るため、理由は様々ですがこの時代に活躍した3人の女性を紹介します。

パルミラの女王「ゼノビア」

2世紀ごろパルミラという国の女王です。自らをクレオパトラの生まれ変わりと言い、実際にその美しさを讃えられていました。夫が暗殺された後は幼い息子を王に立て、共同統治という形でエジプトや小アジアを制圧します。

さらにローマ帝国からの独立を目論み、パルミラ帝国と呼ばれるまで成立させますが、ローマ皇帝のアウレリウスを追い返すことには成功したものの大軍に捕まり捕虜となります。しかし、捕虜生活とは思えないほど高価な別荘を持ち、優雅な老後を暮らしました。

イケニ族の女王「ブーディカ」

西暦60年ごろのケルト人イケニ族の女王です。夫であるプラスタグス王の死後、領地をローマ帝国に奪われそうになったブーディカは大国に対し数多くの部族をまとめ上げて一気に反乱を起こします。

赤い髪を振りかざしローマ帝国の領地で数万人を殺戮したと言われています。名前の意味通り「戦いの女王」そのものの活躍でしたが、最後はローマ軍に囲まれてしまい敗れ自ら毒を飲み自殺したと言われています。

アラブ部族長マヴィア

4世紀ごろ、ローマ帝国はパレスチナへ攻め込みました。当時そこを治めていたのがマヴィアという女性の部族長だったためなめてかかりました。しかし、マヴィアはパレスチナからエジプトまでローマ軍を打ち破りました。

慌てて交渉のテーブルを設けたローマ帝国にマヴィアが求めたのは、モーセという修道僧にアラブ自治区を任せてほしいと言うことだけでした。ローマ帝国はその願いを叶え、その後は援軍を向かわせたりと良好な関係を築きました。

女戦士が活躍するヴァイキングの能力主義

西暦800年から1050年の250年間、西ヨーロッパやスカンジナビア、バルト海沿岸を支配した海賊たちです。能力主義でゴツい男性のイメージが強いヴァイキングですが、近年女性リーダーの遺骨が見つかったことでその見方にも変化が起こりつつあります。

勇猛な男と勇敢なヴァイキング女戦士

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先の尖った長い海賊船に乗り、角のついた兜を被り、行き交う船を襲って支配下に置いたヴァイキング。宝飾品を奪ったり船を沈めたりという姿は映画などでも描かれています。彼らの細長い船は高速でいきなり現れる事ができるため接近に気づきにくいという特徴がありました。

また、ぶどう酒を飲み肉を食べ散らかすイメージもありますね。ワイルドで野性的なその姿は荒々しい海の男のイメージとピッタリ重なります。そのようなイメージからリーダーとなる人物も当然男性であると言われ続けてました。

女戦士の墓が見つかる

ところが、近年、長年男性だと言われていた「ビルカの墓」にある遺骨に異変が起こります。技術が進みDNA鑑定をしたところ、その結果女性であるという事が分かったのです。以前からヴァイキングの中にも女性がいることは知られていましたが、剣・矢じり・槍・馬2頭とともに埋葬されており、かなりの高位の存在であったことは明らかです。

軍隊を率いる高位のリーダー

ヴァイキングと聞くと略奪のイメージが強いですが、元々は農耕民族であり物資が不足したため海へ出たと言われています。有力者の家族で身分が高かっただけでは?という説もありますが、埋葬された彼女の膝のあたりにはゲームの駒もあり彼女が戦略をたてて支持する立場だったことの裏付けではと言われています。

女戦士ジャンヌ=ダルク

女戦士と聞いてまず思い出すのは人によって違うと思いますが、ジャンヌ・ダルクだという人もいるのではないでしょうか。百年戦争末期のフランスに突如として現れた農民の娘の活躍にスポットを当てます。

オルレアンの乙女

日に日にイングランド軍に追い詰められていくフランス軍。シャルル6世も急逝しイングランドとフランスはまだ幼いイングランドのヘンリー6世が治めることとなりました。その頃のことでした。ある日、ジャンヌは神のお告げによる「オルレアンを救いシャルル7世を王にせよ」という声を聞きました。

最初は誰も信じてくれませんでしたが、シャルルに謁見し真実を告げたことで信頼され軍の指揮を任されました。その結果、「オルレアン包囲戦」でイングランド軍を打ち負かしシャルル7世を王の座へと即位させました。戴冠式ではジャンヌも立ち会うことができました。

早すぎる処刑

しかし、1430年「ブルゴーニュ包囲戦」の最中落馬したジャンヌはブルゴーニュ軍に捕らえられ教会へと身柄を移されます。そこで彼女は異端審問にかけられることになり80もの罪状をかけられました。

そして、ほとんど字の読めなかった彼女は自らを死刑とすることを同意する文書にサインしてしまいます。不名誉な死刑は火炙りの刑とされ、復活を連想されないよう徹底して行われました。その亡骸はセーヌ川へと流されました。

後世の評価

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