即身仏とは?その過酷すぎる修行内容をご紹介!失敗もあったって本当?

Array

この西生寺の宝物堂には即身仏の木像があります。本物があるのになぜこんなものが作られたかというと、江戸時代に身代わりとして公開される為に作られたそうです。この木像のおかげでいまも弘智法印の即身仏は無事その姿を残しています。

最後の即身仏

昭和になってから発掘された唯一の即身仏が仏海上人です。実際に石室から鐘の音が聞こえなくなったのは1903年のことでしたが、その頃明治政府から「墳墓発掘禁止令」が発布されていたため、3年後に掘り起こすことができませんでした。

掘り起こされることになったのは1961年(昭和36年)のこと。新潟県村上市教育委員会と日本ミイラ研究グループによって発掘調査が行われた時でした。実に57年もの間地中に埋まったまま過ごすこととなりました。現在では新潟県の大悲山観音寺で即身仏となったその姿を拝見することができます。

最若の即身仏

一番若くして即身仏になられたのは妙心法師という人物です。なんと若干37歳という若さで今生との別れをされました。時代の流れも有り、一時期は見世物にされるといったこともありましたが、現在は岐阜県の横蔵寺に祀られています。

  • 両界山横蔵寺
  • 所在地 : 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160
  • 電話番号: 0585-55-2811
  • Website : https://kaikouji-sakata.jimdo.com/(揖斐川町観光ページ内)

即身仏を参拝できる寺院

siamasien / Pixabay

即身仏の中には一般公開されているお寺もあります。今回は有名な3つのお寺を紹介します。次の長期休みはぜひ一度生で拝見して即身仏の苦労や重みを味わう貴重な経験を積んでいただければ思います。何でもそうですが「百聞は一見に如かず」です。

即身仏を参拝できる寺院①海向寺

山形県酒田市にある海向寺には、忠海上人と円明海上人の2体が祀られています。(2体祀られているは全国でも海向寺のみ)定休日以外はいつでも拝観可能です。12年に一度衣替えをなさるときの衣の一部が入っている「即身佛衣入り御守り」も販売されています。

即身仏を参拝できる寺院②瀧水寺大日坊

山形県の鶴岡市にある瀧水寺大日坊には、真如海上人が祀られています。拝観の前にご祈祷と詳しい講話を聞くことができます。こちらも定休日以外は拝観可能です。もう2体あった即身仏は残念ながら明治8年に火災にあった際に焼失してしまいました。

  • 湯殿山総本寺瀧水寺大日坊
  • 所在地 : 山形県鶴岡市大網字入道11
  • 電話番号: 0235-54-6301
  • Website : http://www.dainichibou.or.jp/

即身仏を参拝できる寺院③南岳寺

同じく山形県の鶴岡市にある南岳寺には鉄竜海上人が祀られています。昭和31年に一度火災にあっており、その際に建物は焼け落ちましたが即身仏は燃えることなく無事だったという神秘さがあります。また、曰く付き?の男根も展示されています。

 

即身仏が東北に集中する理由

18体の分布を見てみると(上記地図には神奈川県横浜市鶴見区の總持寺が抜けています)圧倒的に東北地方、中でも山形県の即身仏の多さに気が付きます。現在祀られている寺ですので中には移動した即身仏もいますが、やはり東北地方を移動しています。

この時代、最上氏が治める庄内藩では年々年貢の取り立てが厳しくなっていました。その結果、逃亡する者や餓死するものも出て悲惨な状況でした。また追い打ちをかけるように天候による飢饉も襲い、そんな農民たちの心を自ら食を拒み命を断った即身仏へ尊敬の念があったためと考えられます。

山形の出羽三山の争い

特に即身仏の多い山形県には「出羽三山」と呼ばれる修験道の山があります。羽黒山、月山、湯殿山の3つです。元々は三山全て真言宗の修験山でした。その後の対立の影に即身仏への願いが垣間見えます。

160年にも及ぶ対立

江戸時代に羽黒山と月山は天台宗に改宗しましたが湯殿山は改宗しませんでした。しかし、羽黒山は元々湯殿山は羽黒山の末寺であると主張し、湯殿山が改宗しないことに対して幕府に講義しました。その後、160年にも及ぶ訴訟や争いとなりました。

三山の中で湯殿山だけ

実は山形県でも、羽黒山や月山では即身仏は残されていません。羽黒山が湯殿山を末寺と主張したことに対し、湯殿山は自分達は空海の支流であることを主張しました。初めに紹介したようにその頃には空海の即身仏になった話が有名になっていたため、空海の流れを汲む真言宗であることを証明するために行ったという説もあるのです。

即身仏とミイラの違い

ミイラの日本版が即身仏なのでしょうか?どちらも信仰の対象ですし、朽ち果てない身体と共通点も多いですが全く同じものと捉えてしまうのはちょっと乱暴です。二つの言葉が持つ違いを説明していきます。

内臓と脳がそのまま残る即身仏

一般的にミイラは腐りやすい内臓や脳を死後取り出して作られます。一方で即身仏は厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、腐敗雑菌の発生を防ぎ朽ちない身となり土の中に入って自ら断食死し、その後数年後に掘り出されたものを言います。

死後に処理されるミイラ

上の文章でも少し触れましたが、ミイラはあくまで死んだあとに処理されます。ちなみに取り出したあとの臓器は一つ一つ包み直してまた体におさめ直します。そして腐敗処理のため、樹脂等を使い防腐処理をしたり体内に薬草を詰め込んだり包帯を巻いたりします。

即身仏と違ってミイラに厳しい修行はない

ミイラと即身仏の一番の違いは修行の有無です。ミイラは誰でも死後なることができます。もっとも防腐処理がうまくいかないと後世まで残り続けるのは難しいですが…。即身仏が自分の為よりみんなのためになるのに対し、ミイラは周りの人が死者の為に行うという意味合いが強いです。

ミイラが埋め込まれた仏像の謎

「仏像の中に何かが見える!」驚きのニュースが飛び込みました。なんと中国から持ち込まれた仏像をCTスキャンしたところ、中に即身仏と見られる遺体が入っていたというのです。一体なぜ?果たしてその正体は?気になるニュースを解説します。

オランダで即身仏が見つかる

まずはニュースの詳細を確認してみましょう。問題の仏像は1996年にオランダで売りに出されていたところ、買い取ったアムステルダムの建築家がドレンツ美術館に持ち込んだのが騒動の発端です。CTスキャンしてみると内臓のないミイラ化した遺体が、中国の文様を施した布の上に座った姿勢で入っていたというから驚きです。

約1000年前の中国の僧

調べた結果、中に入っているのは1100年ほど前の中国のLiuquanと呼ばれる位の高い僧侶で、一部では宋朝の高僧、柳泉ではないかとの見方もあります。更に肺の組織の代わりに中国の文字が書かれた紙切れが詰められていたそうです。

即身仏かミイラか?謎は深まる

qimono / Pixabay

この仏像、2015年の3月までは展示されていたのですが、中国政府から盗品ではないかという主張があり現在は持ち主の元に戻り裁判にまでもつれ込んでいます。中国側の主張によるとこの仏像は福建省太田県陽春村の博物館に所蔵されていた「章公祖師像」で1995年に行方不明になっていたとか。

章公祖師像であるならこの仏像は即身仏ではなくミイラのようです。「加漆肉身像」と呼ばれる麻布を巻いて死後作られたものではないかと言われています。裁判の結果が出ればDNA鑑定等でもっと詳しい続報が出てくるかもしれません。

日本に現存するミイラ

iquraishi / Pixabay

ミイラと言えばエジプトというイメージがあるかと思いますが、ここ日本にもミイラは実在します。怖いものとしての扱いではなく、即身仏ではなくても祀られているミイラもいます。最後に日本に実存するミイラも紹介しておきます。

中尊寺:奥州藤原氏のミイラ

世界遺産に登録されていることでも有名な中尊寺。ご存知の方も多いかと思います。初代:藤原清衡、第2代:藤原基衡、第3代:藤原秀衡、第4代:藤原泰衡の4体が納められています。4代の泰衡だけは頭部のみ残っています。

このミイラは、死後加工されたものではなく保管しているうちに自然とミイラになったと鑑定されました。しかし、加工されたものではないかという意見もあり結論は出ていません。現在、ミイラは一般公開はされていません。

梅唇尼のミイラ

常信庵は源義経の家臣佐藤正信の親子が祀れている寺院です。ここに当時の花沢城主、佐藤庄司正信と子供である継信、忠信兄弟を弔うために正信の後室で兄弟の母梅唇尼(羽姫)が開いたと言われています。現在ミイラは非公開でその出自についてもハッキリしたことは分かっていません。

鬼のミイラ?

日本に鬼のミイラがいる、なんと怪しい話でしょうか。しかし、市や観光協会の公式ホームページにも載っており、テレビが取材に行き、ネットでも心霊スポットととして話題になったことがありました。写真を撮ると高確率で心霊写真がとれるという噂もたちました。果たして本物の鬼なのでしょうか?東スポのサイトに以下のような記事があります。

この鬼のミイラは過去にX線透過装置などを用いた検証が行われたことがある。その結果、足の指の爪が豚の蹄と同じ特徴を持っていることが判明。また、鬼の歯は馬のものを使用している事が分かった。またX線撮影の結果、鬼の顔に下あごが存在していないのが判明したため、土や粘土で作ったあごに歯を埋め込んだものとみられている。

同様にツノも埋め込まれ、継ぎ足されている事が分かった。他にも肘から先の骨が普通の動物と違って一本しかない点、肋骨部分が全て硬骨でできている点などから、様々な動物の骨を組み合わせて人為的に作られたものである可能性が高いと見られている。(引用:東スポWeb)

どうやら残念ながら作り物であることは否定できなそうです。この手のミイラと呼ばれるものは結構いろいろな動物の死骸を寄せ集めたものが多いです。ですが、こちらの鬼のミイラは無人ながらも現在も一般公開されています。近くに寄った際は一見の価値ありです。

生きたまま仏となった即身仏に思いをはせる

mahanoi / Pixabay

ミイラも即身仏も元を正せば生きていた一人の人間です。特に即身仏は並大抵の意思では為すことのできない壮絶な修行を精神力で乗り越えた尊いものだと考えます。その背景には時代の流れや人々の願い、様々な背負って立つものがあったと考えられます。

即身仏の画像は見方によっては恐怖や嫌悪感を示すものかもしれません。ですが、即身仏になった僧は決して誰かを恨んでという怨霊の類ではありません。ホラー映画を見る気持ちではなく、時代背景やその当時の残酷でも必死な願いを感じながらその有り難さに触れていただきたいと思います。

登山靴に関する記事はこちら

リョウメンスクナに関する記事はこちら