世界の女戦士たちを総まとめ。美しく勇猛な女戦士はフィクション以外にも存在した!

女だけの部族ということであれば、今も未開の地に存在しているという都市伝説のような話もあります。探検家が山で迷い込んだ際に女だけの部族に助けを求めたところ、いきなり襲いかかられ命からがら逃げ出したという話もあります。

アンデス地方には今も山奥にアマゾネスが存在し財宝を隠していると言う話を聞き、探しに向かった探検家もいましたが、過酷な自然環境に太刀打ちすることができずいまだ無事戻ってきたものはいないということです。

ローマ時代の女戦士

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ローマ帝国が発展し各地へ支配の手を伸ばしていた時代。巨大化するローマ帝国に対抗する女王やリーダー達が活躍した時代でもあります。自分の領地を守るため、権力を誇るため、理由は様々ですがこの時代に活躍した3人の女性を紹介します。

パルミラの女王「ゼノビア」

2世紀ごろパルミラという国の女王です。自らをクレオパトラの生まれ変わりと言い、実際にその美しさを讃えられていました。夫が暗殺された後は幼い息子を王に立て、共同統治という形でエジプトや小アジアを制圧します。

さらにローマ帝国からの独立を目論み、パルミラ帝国と呼ばれるまで成立させますが、ローマ皇帝のアウレリウスを追い返すことには成功したものの大軍に捕まり捕虜となります。しかし、捕虜生活とは思えないほど高価な別荘を持ち、優雅な老後を暮らしました。

イケニ族の女王「ブーディカ」

西暦60年ごろのケルト人イケニ族の女王です。夫であるプラスタグス王の死後、領地をローマ帝国に奪われそうになったブーディカは大国に対し数多くの部族をまとめ上げて一気に反乱を起こします。

赤い髪を振りかざしローマ帝国の領地で数万人を殺戮したと言われています。名前の意味通り「戦いの女王」そのものの活躍でしたが、最後はローマ軍に囲まれてしまい敗れ自ら毒を飲み自殺したと言われています。

アラブ部族長マヴィア

4世紀ごろ、ローマ帝国はパレスチナへ攻め込みました。当時そこを治めていたのがマヴィアという女性の部族長だったためなめてかかりました。しかし、マヴィアはパレスチナからエジプトまでローマ軍を打ち破りました。

慌てて交渉のテーブルを設けたローマ帝国にマヴィアが求めたのは、モーセという修道僧にアラブ自治区を任せてほしいと言うことだけでした。ローマ帝国はその願いを叶え、その後は援軍を向かわせたりと良好な関係を築きました。

女戦士が活躍するヴァイキングの能力主義

西暦800年から1050年の250年間、西ヨーロッパやスカンジナビア、バルト海沿岸を支配した海賊たちです。能力主義でゴツい男性のイメージが強いヴァイキングですが、近年女性リーダーの遺骨が見つかったことでその見方にも変化が起こりつつあります。

勇猛な男と勇敢なヴァイキング女戦士

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先の尖った長い海賊船に乗り、角のついた兜を被り、行き交う船を襲って支配下に置いたヴァイキング。宝飾品を奪ったり船を沈めたりという姿は映画などでも描かれています。彼らの細長い船は高速でいきなり現れる事ができるため接近に気づきにくいという特徴がありました。

また、ぶどう酒を飲み肉を食べ散らかすイメージもありますね。ワイルドで野性的なその姿は荒々しい海の男のイメージとピッタリ重なります。そのようなイメージからリーダーとなる人物も当然男性であると言われ続けてました。

女戦士の墓が見つかる

ところが、近年、長年男性だと言われていた「ビルカの墓」にある遺骨に異変が起こります。技術が進みDNA鑑定をしたところ、その結果女性であるという事が分かったのです。以前からヴァイキングの中にも女性がいることは知られていましたが、剣・矢じり・槍・馬2頭とともに埋葬されており、かなりの高位の存在であったことは明らかです。

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