人間動物園は実在した!欧米植民地政策に利用された人間動物園と展示された人々の悲劇

19世紀から行われてきた人間動物園の実態を解説していきます。非人道的な人間動物園が各国でどう開催されたのか。負の歴史ともいえる欧米植民地政策の陰に埋もれた人類の悲しい過去を紐解いていきます。

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釣りクアンプを愛するアウトドア系の男です。仕事はパソコンに向かう時間ばかり・・・だから取材を兼ねた週末は「楽しいことを探してワクワク」しています。
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人間動物園とは?

人間動物園とは19世紀から20世紀にかけて人間を動物のようにパビリオン化して展示した施設を指します。当時の人々は人間動物園とは言ってません。後の人々が過去を振り返って付けた名称が人間動物園です。

動物園とは

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動物園は世界中の動物を集めて自然に近い形で飼育し観覧者に見せる施設です。水生の生物を主体に展示した水族館や、鳥類園、クマ牧場、サファリパーク等展示形態はさまざまにあります。動物園とは人間動物園は大きく違います。

人間動物園とは

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人間動物園は有色人種を無理矢理連行して一定の場所で生活をさせ、それを展示した施設です。根底には白人を頂点とした民族主義的な差別の考え方がありました。欧米諸国が世界中を支配し凄惨な搾取を繰り返した「植民地主義を正当化」する方便としても利用されました。

動物園と人間動物園の決定的な違い

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展示されたのは有色人種。動物ではなく人間です。集団で生活させるので「黒人村」と言われることもありますが、展示されたのは黒人に限らず、アフリカ系、アジア系、先住民族系、奇形を持った人々など多岐にわたります。

人間動物園のはじまり

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人間動物園の歴史を振り返ります。人間動物園は非人道的で人権は全く尊重されていません。現代の感覚からすると非常にショッキングな内容が行われていました。ここでは善悪には言及しません。歴史的な史実に基づいて説明します。

はじめて人間が展示された動物園

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人間が展示される原型は16世紀に遡ります。イタリアに様々な動物を集めた動物園を作り、同時に様々な人種も集めた貴族がいます。18世紀には精神に異常をきたした患者が対象にもなりました。同時期には犯罪者の公開処刑が市民の「娯楽」として執行されていました。

人間動物園で展示された人種

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1870年代には欧米を中心に大きな都市には人間動物園が次々に姿を見せます。ミラノ、ロンドン、ニューヨーク、ベルリンなどです。遅れて日本でも大阪で「学術人類館」という展示が開催されました。

展示された人種は様々

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欧米で展示された人種はアフリカ系の黒人にとどまらず、エスキモー(イヌイット)、スカンジナビアからサーミ人、サモア諸島からサモア人など植民地から奴隷として多くの人間が無理矢理に連行されてきました。

展示された人数

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フィリピンのイグロット族は「原始的」というプレートをつけられて展示されました。フィリピン人だけを集めたフィリピン村には1200人もの人々が共同生活を余儀なくされました。原始的な生活や、本来の文化とは関係のない野蛮な行動を強要されるケースもありました。

人間動物園の目的と意義

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白人が最も進化した人間の種であるというのは社会進化論の考え方です。19世紀には白人(欧米人)が世界の9割を支配し植民地化していました。帝国主義や植民地政策を正当化するために白人以外を「遅れた野蛮人」として称した人間動物園は政治の道具として利用された側面も多分にあります。

人間動物園とダーウィン「進化論」の関係

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生物は不変の生き物ではなく長い時間をかけて少しずつ変化していく。これが進化論の考え方です。この進化論を人間に当てはめるた図は一度は見たことがあるでしょう。この進化は人間になっても終わることはありません。私たちは進化の途中にいます。

ダーウィンの進化論とは

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ダーウインはビーグル号で世界一周をした科学者です。常に生物は進化し、環境に応じた多数の種が生まれ、適者生存の理論が働くとしました。進化論によるとAからBに進化する過程にはAとBの性質を併せ持った中間のABという生物が存在すると考えます。

類人猿と人間の失われた繋がり

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進化論の考え方を利用して、人間へと進化する猿人類の過程を、黒人になり黄色人種になりやがて白人へと進化するのだと考える人を誕生させました。また社会進化論という考え方も生まれ、欧米以外の国は遅れた発展の途中にある国と定義しました。

人間動物園はダーウィンの進化論を裏付けるものだったのか?

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人間動物園はダーウィンの進化論を裏付けるものであったのかと言えばNO。黒人から白人へと進化するという考え方は現代では完全に否定されています。ただし当時の常識ではそう考えてしまうのは仕方が無いのかもしれません。また、産業革命によって生活水準に大きな差があったのも事実です。それを利用した時の為政者の姿もありました。

進化に遅れた人種は淘汰される

進化論では環境に適合して進化した生物が生き残り、環境に適合できなかった生物は自然に淘汰されるのだとしました。環境に適合した白人と適合できなかったその他の人種。人間が人間を淘汰するという狂気が誕生します。

人間動物園を利用し植民地化政策を正当化した政府

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18世紀から欧米諸国は世界の国々を植民地として支配してました。この植民地政策は非常に残虐性が高く現在では「負の歴史」として認識されています。人間動物園は植民地の人々を「未開人」と差別をし、植民地政策を正当化する一つの手段として利用されました。

人間動物園と政府の思惑

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社会進化論は環境に適応できない種は自然に淘汰されるのだという進化論の考え方を社会へと応用した理論。帝国主義全盛の欧米諸国政府は植民地として他国を侵略する格好の材料として利用しました。地球上の9割以上が植民地と宗主国に色付けすることが出来ました。植民地にならなかった国は、日本、タイ、清(現中国)アフリカの極一部だけです。

高等な人種と下等な人種

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社会進化論の考え方に従うと「高等な人間」「高等な社会」と「下等な人間」「下等な社会」と分けることが出来ます。高等な社会は下等な社会を淘汰していく。それが適者生存であり、古からの進化の形なのだと考えられました。

植民地化政策の正当化

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当時の植民地化政策は現代の常識では非人道的。植民地の住民の福祉を全く無視して完全な略奪や、先住民を虐殺、辺境へと押しやる事もしました。独自の言語文化を破壊し宗主国のイデオロギーを押し付けることもします。世界で英語が使えるのは植民地で英語が強要された名残でもあります。

展示された人々

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ここでは実際に人間動物園で展示された人々と展示の方法を具体的に見ていきます。展示された人々は幸福に暮らしていた訳ではありません。下等な未開人の代表として連れてこられたのですから、その末路も悲惨だったようです。

ニューヨークに展示されたピグミー族の男性

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コンゴのピグミー族の黒人男性「オタ・ベンガ」は1906年ニューヨークのブロンクス動物園で、オラウータンと同じ檻に入れられて展示された。この展示はアメリカ全土で物議をかもし、黒人教会代表団によって解放された。アメリカ社会で市民権を得たが32歳で自ら命を絶っています。

コンゴ自由国の悲惨な統治

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コンゴはゴムの産地として有名な国です。植民地とは名ばかりで完全な国家奴隷でした。住民は過度な生産ノルマを与えられ達成できない場合はバツが待っていました。当時の記述によると、10人を縄で結び石とともに川に沈めた。住民の頭をさらし首にした。住民の手首を切り取ると警備兵に収入が与えられたなどです。

植民地時代に人口の7割が死んだ

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植民地の間に死んだ住民の数は500万とも1000万とも言われています。植民地の間に人口の7割が失われたと言われています。コンゴはベルギー王レオポルド2世によって統治されていました。

パリ万博にも出展された「人間動物園」

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人間動物園が初めて万博に出現したのが1889年のパリ万博です。黒人村と名付けられ人間自体が展示物になりました。同年代には「植民地博覧会」も開催され、半裸で檻に入れられた人間が展示されました。

パリ万博には日本も出展していた

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パリ万博には日本も出展しています。この年は大日本帝国憲法が制定された年でもあります。日本からは数寄屋造りの茶屋と芸者さんがパビリオンに居ました。現地の青年に芸者がプロポーズされたり、着物がとても人気になったりと、純粋な文化紹介として活況を得ました。

フランスで見世物になった最後のチャルーア人

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チャルーア人とは南米ウルグアイに住んでいた先住民族インディオの一部族です。ウルグアイの独立に向け数多くの戦場を戦い抜いた誇り高い部族。しかしウルグアイの初代大統領の甥にだまし討ちに合い絶滅。4人だけ残ったチャルーア人は、原住民としてフランスに売られ見世物にされました。

ヒトラーをも魅了した人間動物園

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人間動物園の基礎となっている白人至上主義。ドイツ帝国時代のドイツでは黒人を徹底差別した。第一次大戦で敗れたドイツ西部にはフランス軍が常駐。このフランス軍の兵士の多くがアフリカ系でした。この黒人兵士とドイツ女性との間に子供が生まれ黒人系ドイツ人が誕生しました。

ディソン・グラントの著作「偉大な人種の消滅」

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ヒトラーはディソン・グラントの偉大な人種の消滅を聖書として愛読したと言われています。偉大な人種の消滅は人種には根本的な優劣の差があるとした人種主義の主張。ドイツ帝国では黒人をアーリア人の純潔を汚したと非難し、黒人を釣れてきたユダヤ人を迫害に追いやりました。

影響されたヒトラー

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ゲルマン民族とその純度という言葉をスピーチで多用したヒトラーは人種主義に取りつかれていた人物です。ヒトラーにとってのゲルマン民族は金髪で青い目を持った人々だったと言われています。ナチスにとってはユダヤ人はゲルマン人の純潔を汚す下等人種だったのです。

人間動物園とユダヤ迫害

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適者生存を説いたダーウインの進化論はナチスドイツの人種主義と結びつき凄惨な結末を迎えます。環境に合わせて進化した生命が生き残り自然淘汰を繰り返す。これを人間の社会に当てはめ、時の為政者が権力に利用すると人種の淘汰さえ可能になってしまうのです。

進化論に帰結されなければナチスの迫害はなかったか?

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ナチスドイツの根底には進化論から派生した極端な民族至上主義がありました。ゲルマン民族を唯一無二の高等な種族としそれ以外のユダヤ人などを絶滅させようとしたのです。進化論はナチスによって利用されたのです。

ヒトラーは選挙で当選した

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