人間動物園は実在した!欧米植民地政策に利用された人間動物園と展示された人々の悲劇

ダーウインはビーグル号で世界一周をした科学者です。常に生物は進化し、環境に応じた多数の種が生まれ、適者生存の理論が働くとしました。進化論によるとAからBに進化する過程にはAとBの性質を併せ持った中間のABという生物が存在すると考えます。

類人猿と人間の失われた繋がり

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進化論の考え方を利用して、人間へと進化する猿人類の過程を、黒人になり黄色人種になりやがて白人へと進化するのだと考える人を誕生させました。また社会進化論という考え方も生まれ、欧米以外の国は遅れた発展の途中にある国と定義しました。

人間動物園はダーウィンの進化論を裏付けるものだったのか?

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人間動物園はダーウィンの進化論を裏付けるものであったのかと言えばNO。黒人から白人へと進化するという考え方は現代では完全に否定されています。ただし当時の常識ではそう考えてしまうのは仕方が無いのかもしれません。また、産業革命によって生活水準に大きな差があったのも事実です。それを利用した時の為政者の姿もありました。

進化に遅れた人種は淘汰される

進化論では環境に適合して進化した生物が生き残り、環境に適合できなかった生物は自然に淘汰されるのだとしました。環境に適合した白人と適合できなかったその他の人種。人間が人間を淘汰するという狂気が誕生します。

人間動物園を利用し植民地化政策を正当化した政府

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18世紀から欧米諸国は世界の国々を植民地として支配してました。この植民地政策は非常に残虐性が高く現在では「負の歴史」として認識されています。人間動物園は植民地の人々を「未開人」と差別をし、植民地政策を正当化する一つの手段として利用されました。

人間動物園と政府の思惑

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社会進化論は環境に適応できない種は自然に淘汰されるのだという進化論の考え方を社会へと応用した理論。帝国主義全盛の欧米諸国政府は植民地として他国を侵略する格好の材料として利用しました。地球上の9割以上が植民地と宗主国に色付けすることが出来ました。植民地にならなかった国は、日本、タイ、清(現中国)アフリカの極一部だけです。

高等な人種と下等な人種

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社会進化論の考え方に従うと「高等な人間」「高等な社会」と「下等な人間」「下等な社会」と分けることが出来ます。高等な社会は下等な社会を淘汰していく。それが適者生存であり、古からの進化の形なのだと考えられました。

植民地化政策の正当化

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当時の植民地化政策は現代の常識では非人道的。植民地の住民の福祉を全く無視して完全な略奪や、先住民を虐殺、辺境へと押しやる事もしました。独自の言語文化を破壊し宗主国のイデオロギーを押し付けることもします。世界で英語が使えるのは植民地で英語が強要された名残でもあります。

展示された人々

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ここでは実際に人間動物園で展示された人々と展示の方法を具体的に見ていきます。展示された人々は幸福に暮らしていた訳ではありません。下等な未開人の代表として連れてこられたのですから、その末路も悲惨だったようです。

ニューヨークに展示されたピグミー族の男性

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コンゴのピグミー族の黒人男性「オタ・ベンガ」は1906年ニューヨークのブロンクス動物園で、オラウータンと同じ檻に入れられて展示された。この展示はアメリカ全土で物議をかもし、黒人教会代表団によって解放された。アメリカ社会で市民権を得たが32歳で自ら命を絶っています。

コンゴ自由国の悲惨な統治

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コンゴはゴムの産地として有名な国です。植民地とは名ばかりで完全な国家奴隷でした。住民は過度な生産ノルマを与えられ達成できない場合はバツが待っていました。当時の記述によると、10人を縄で結び石とともに川に沈めた。住民の頭をさらし首にした。住民の手首を切り取ると警備兵に収入が与えられたなどです。

植民地時代に人口の7割が死んだ

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植民地の間に死んだ住民の数は500万とも1000万とも言われています。植民地の間に人口の7割が失われたと言われています。コンゴはベルギー王レオポルド2世によって統治されていました。

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