ペッパーランチ事件とは
当時、筆者もテレビのニュースがたまたま耳に入り、「えっ?こんな事、あるの?」と思った記憶があります。しかし、その後続報が有るでもなく、いつの間にか忘れてしまった事件でした。少なくとも一人の若い女性が酷く傷つけられた許しがたい事件をここで改めて掘り下げてみようと思います。
本来なら場合によってはお客を保護する立場である筈の店長、店員による性犯罪であり、この事件の後は夜遅くまで仕事をする女性、仕事帰りに一人で飲食店を利用する女性たちに大きな影響を与えた筈です。しかし店員によるものではなくても、若い女性が性犯罪の的にされる事件が後を絶たない今、この事件を振り返る意味があると思います。
ペッパーランチ心斎橋店で発生した強盗強姦事件
事件が起きたのは2007年5月9日の深夜から朝にかけての事でした。場所は当時、大阪市内にあったステーキチェーン店の店内です。本来なら女性の一人客でも安心して食事が出来る筈の場所です。本来なら店のスタッフはお客に何かあれば助けてくれる存在です。
被害者はペッパーランチの女性客
被害者は仕事帰りに1人で食事をしに来ていた20代の女性でした。この事件は飲食店内で起きた信じがたい出来事ですが、襲われたら身体能力的に男性に劣る普通の女性が深夜に帰宅することにはリスクが伴います。男女雇用機会均等法等の改正にともない労働基準法も改正され、職業・職種に関わらず18以上の全ての女性は夜10時以降の深夜労働が可能になったのは1999年のこと。
それ以前は、夜間に労働することを認められていた女性は、医師や看護師など限られた職業の人だけでした。かつて女性が保護されていたのは帰り道が危険だからという理由ではないでしょうけれど、遅くに女性を独り歩きさせてはいけないという意識が世の中全体にあったように思います。
犯人はペッパーランチ心斎橋店店長と同僚
犯人として逮捕されたのは、有ろう事かその飲食店の店長と同僚、この2人の男でした。この2人については後ほど触れる事にします。食事に入った店で店員から信じがたい乱暴を働かれるなどと、いったい誰が想像できたでしょうか。
ペッパーランチ事件の経緯
ここからは事件がどのように進行したのか、順を追って振り返ってみます。早い段階での報道規制やネット規制があり情報が極端に少ない上に事実かどうか分からない話も出回っています。本記事では噂レベルの情報については「噂です」と明記しつつ進めて行きます。
犯人らが閉店作業と称して密室状態を作る
5月9日午前零時過ぎ、犯人が閉店準備を装い店のシャッターを閉め密室状態にしました。被害女性はこの段階でも店員の行動は単なる閉店準備だと、何の疑いも持ってはいなかったでしょう。もし彼女が「まだ食事をしているのにシャッターを下ろして閉店の準備を始めるなんて、ちょっと失礼じゃない?」とでも言っていたら結果は変わっていたでしょうか。
犯人が食事中の女性客を脅す
密室を作り上げた彼らは食事中の女性に対しスタンガンを女性の首に押し当て放電、逃げる手段を奪うためか財布を奪った上で無理やり多量の睡眠薬を飲ませています。具体的にどのような睡眠薬だったのかは不明ですが意識が混濁するほど飲ませたということです。食事中だったことを考えると、場合によっては嘔吐や誤嚥による窒息など命に関わる事も有りえたわけです。
被害者女性が貸しガレージで監禁される
犯人は被害者を眠らせ、先ず被害者の携帯電話の発着信履歴(入店直前に誰と連絡を取っていたか?)などをチェックした後GPS機能を恐れて携帯電話を破壊しました。犯人らが女性を連れて店を出たのは午前5時ごろ。泉佐野市の貸しガレージに移動する車中で女性の服を脱がせSM衣装に着替えさせたとされています。
ガレージに着いてチェーンなどで女性を拘束した状態で数回に渡り乱暴し、翌日以降も強姦するつもりで、全裸で手足を拘束したまま放置。女性を残し仕事に向かったのは午前9時半ごろです。
被害者女性が全裸で脱出し事件発覚
犯人は立ち去る際に女性の拘束を緩めたと裁判で証言しています。緩められていたのが幸いし、女性は何とか自力で拘束を解き全裸のまま逃げ出し助けを求め、事件が発覚することとなりました。乱暴された上に全裸で助けを求めなければならなかったなど、考えただけでも涙がでます。
こちらも哀しい事件がきっかけに心霊スポットとなりました
ペッパーランチ事件で逮捕された犯人
この事件で逮捕された人物についての情報は非常に乏しいのですが、ネット上で収集できる範囲で集めてみました。犯人と言えども共犯者は既に刑期を終え社会復帰しており、主犯も刑に服している最中、或いは2019年中に刑期を終えると思われます。社会復帰した人については人権を尊重しなければならないと考えます。
ペッパーランチ心斎橋店店長「北山大輔」
泉佐野市出身。家族は北山が幼い頃に死亡しており叔母に育てられたそうです。高校は卒業しているようなので叔母は両親に代って一生懸命に育てたのでしょう。2006年7月に事件現場となった飲食店を運営する会社に入社。本部研修を経て店長試験に合格、同年8月に尼崎店の店長に就任しています。2007年3月に本人希望で退社し同年4月には心斎橋店の委託店長(経営者)になり翌月に犯行に及んでいます。犯行当時、彼は婚約者と同棲中で彼女は妊娠していたそうです。
北山は約8ヶ月の間、運営会社社員の立場で店長を努めていました。その間は、店の売上が多少多くても少なくても社員として給料は保証されていたと思われます。独立してからは社員ではありませんから、自分の店の利益から自分の人件費を出すことになった筈です。保証されているという意味で気楽な雇われを自らの希望で卒業して独立しています。やっていける自信があったのでしょう。
事件を起こしたのが5月、翌6月には婚約者との結婚が決まっていたそうです。婚約者も楽しみにしていたことでしょう。やがて可愛い赤ちゃんを抱くことを楽しみにしていたと思います。北山は被害女性と自分の婚約者、少なくとも2人の女性を不幸の底へ突き落としたのです。
北山大輔の同僚「三宅正信」
同じく泉佐野市出身。「小学4年の頃から引き込もりがちで中学にも行っていない。そんな彼を両親は放置し甘やかしていた。父親の名前も漢字で書けず、兄2人は夜逃げして行方不明。三宅自信は働いて一人暮らしをしていたが、本も読んだことがない」と公判を傍聴したジャーナリストの軸丸さんは書いています。
北山大輔が高校3年の時に、当時も引きこもりだった三宅とゲームセンターで友人を介して知り合っています。その後、北山大輔が現場となった心斎橋店を開店する際に三宅は店員として手伝うようになりました。三宅もまた事件当時は同棲中でした。
ペッパーランチ事件の被害者の現在は?
被害者がどうなったのか、現在どうしているのかは全くわかりません。事件当初から氏名は勿論、被害者については何も公表されていないので知るすべがありませんが、どこかで元気に、普通に暮らしていて欲しいと思います。
被害者女性は一人と見られる
この事件の被害者は全裸で逃げ出した女性1人だけと思われます。被害女性が睡眠薬を飲まされていて朦朧としていた事や、他に被害を訴え出た女性がいなかった事などから被害者は1人だけと思われています。
被害者の女性は20代前半?
被害者が20代だったのかどうか、わかりません。公判を傍聴したジャーナリスト軸丸さんの文章には20代という記載は何処にもありません。しかし、ネット上のいくつかのサイトからは被害者は仕事帰りの20代女性と書いてあるものが見つかりました。
性犯罪のため情報公開は難しい
一般的な事件とは違い、特にこの事件の場合は被害者が生きて保護され、彼女の先々の人生を守るためにも情報公開は難しいと思われます。また興味本位に詮索するべきではないと考えます。かつて日本では性犯罪の被害者は、二次被害を避けるため訴えないケースが大半だったと聞きます。
ペッパーランチ事件の真相
ここからは事件について少し深く掘り下げていきます。犯人の用意周到さや被害者を監禁し続けるつもりだったこと、最終的には殺してしまう予定だったことについて公判を傍聴された方の記事などを元に整理していきます。
用意周到な犯行である
北山は犯行が行われた店を2007年3月にオープン、美人客の来店が多く同僚であり友人の三宅と「きれいな子とやりたいな。襲わないと無理かな」などと話していたそうです。4月上旬にはスタンガン2台を通販サイトから購入。当初は通行人を襲うつもりだったが、「車で街を流し適当な女を探したが見つからず断念した。店を訪れる客を襲うことにした」と公判で発言しています。
4月24日から27日の間に睡眠薬や中国製の緊急避妊薬、精力剤、女性用興奮剤などの薬類、革製の抗束帯、バイブレーター、コンドーム、SMプレイ用の抗束帯など何だかんだで10万円分ほど購入しています。公判では、この購入について「送料無料にするため」と発言しています。強姦自体が相手の人権を無視した行為ですからコンドームとか避妊薬とか矛盾する感じもします。
公判では買い物の内容や犯行の結果ついて「何も考えていなかった」と言っていたようです。買い物の内容はメチャクチャな感じもしますが、ガレージを借りていた事など1ヶ月も前から女性を襲う計画を立てていたことは間違いありません。意外なことに借りていたのは主犯ではなく共犯の方でした。料金を滞納しており、事件当日に女性を運び込んだ際に女性から巻き上げたお金で滞納分を精算しています。
犯人らはガレージに監禁し続けるつもりだった
監禁したらトイレやお風呂はどうするか?と犯人2人の間で相談していたそうで、帰すつもりが無かったという事でしょう。公判では「監禁を続けてどうなるかは考えなかったのか?店長という地位があって、婚約者が妊娠しているのに、なぜこんな事をしたのか?」という裁判長からの質問には両名ともに「何も考えていなかった」と繰り返したそうです。
普通に考えて、被害者には家族もいたでしょうし職場もあったわけですから無断欠勤、本人と連絡が取れない等で家族に連絡がいくなり、家族が警察に相談、捜索願を出すなりしたでしょう。仕事もして普通に暮らしている若い女性の行動半径を調べるのは日本の警察には容易であり、遅かれ早かれ自分たちに操作の手が及ぶとは考えもしなかったのですね。
犯人らは被害者女性を殺害する予定だった
加害者2人は女性に対して自分たちの身元を隠しておらず、つまり食事に入った店の店員二人組が自分を襲った犯人だと分かっていました。監禁し続け開放するつもりは無かったと思われるような供述をしています。そのような事から、最終的には女性を殺害するつもりではなかったのかと思われています。
ペッパーランチ事件の不自然な情報開示
通常、悪質な事件が発生すると執拗なまでに報道されるのが最近の傾向ですが、この事件に関しては10年前という事を考慮しても、不思議なほど情報が少ないのです。事件について報道されたのが発生から1週間後であったこと、異例の早さでネット規制された事など具体的に見ていきます。
マスコミの対応が異様な遅さ
事件発生は5月9日ですが、事件について初めて報道されたのは1週間後の16日でした。なぜこんなに時間がかかったのでしょう。警察署には報道が常時詰めており、何か事件が起きて署内がザワザワと慌ただしいと何かあったと直ぐに分かりそうなものです。
日本の警察は優秀で、事件発覚から1週間もあれば相当な事が既にわかっている筈です。事件が事件だけに慎重の上にも慎重にという配慮はあったかも知れません。出して良い情報と隠しておくべき情報を選り分けるのに時間を要したかも知れません。それでも1週間は遅すぎる感じがします。
ネット規制の異様な早さ
何か事件が起きたら、規制されなければTwitterその他ネット上のあらゆる場所で、犯人本人の事は勿論、下手をすれば被害者のことまで有る事無い事情報が飛び交うのが今の世の中でしょう。しかし、この事件に関しては驚く早さで厳しく規制されました。ペッパーランチの公式サイトは事件発覚後、すぐに閉鎖しています。
早い段階からキャッシュの削除やGoogle8分、検索キーワードの除外などの処置が行われていました。Google8分とは、Googleでの検索結果から意図的に削除するよう申請するとGoogleが処理してくれるものです。海外SEO速報ブログの2018年7月10日の記事によると、申請を受け付けてから1日未満で処理すると明らかにしたそうです。
2018年7月以前には処理実施までに要する時間が外部の人は知らなかっただけで、それまでも同じように1日未満で処理されていたのかも知れません。或いは以前は時間が掛かっていたのかも知れません。いずれにしても事件当時は、申請しても直ぐに消して貰えるわけじゃないんだけど、と思われていたのか余程強力な力が裏で働いているのでは?とネット上が賑わっていたようです。
事件の規模の割に報道が少ない
通常、殺人事件やそれに準ずるような悪質な事件では、もっと情報を出せと警察に食い下がるマスコミがこの事件に関しては、むしろ触れたくない、関わりたくないような雰囲気だったそうです。筆者もこの事件に関して記憶にある報道はテレビニュースが1回だけだったように思います。
報道で使われる画像が古い
数少ない報道で使われていた画像、犯人の顔写真は中学生当時のものでした。北山の写真は初報道から4週間近く経って事件当時の直近の画像が公開されています。共犯の三上の写真は中学生のままでした。三上の生育環境を考えると、単にそれ以後に撮った写真が無かったのかも知れません。