七人ミサキとは?出会うと死ぬと言われる恐怖の存在を徹底解説

数字にまつわる心霊・妖怪の中でもとくに恐れられている七人ミサキ。地方によって差異はあるものの、出会う・目撃することは時に死につながることもあると言われています。今回は七人ミサキについて語られている話などをまとめました。出会わないためには知ることが重要です。

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車中泊できる車で色んな所に旅に出たい今日この頃。綺麗な景色をみるのが好きです。
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七人ミサキの特徴

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七人ミサキの名前を聞いてすぐにピンとくる人は少ないと思います。七人ミサキは海での災害や事故などでおぼれて亡くなった人の死霊で、基本的に名前の通り7人1組の死霊で全員一緒に行動しています。その他にも様々な特徴をもっていますが、この記事では正体を詳しく解説していきます。

常に七人で行動する

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その名前の通り常に7人で行動していて、出会うと高熱を出してそのまま死んでしまいます。生きている人間を取り殺すと7人のうち1人だけ成仏することが出来できます。その代わりに必ず取り殺された人間が7人目にされてしまう為、入れ替わりはあっても人数が変動することはありません。

主に水辺に現れる

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地域によっても様々ですがその目撃情報の多くが、海や河川などの水辺に集中しています。七人ミサキが海などで事故にあった死霊の集団と言われているので、当然海などの水辺に現れやすく危険度が高くなっています。

霊?妖怪?

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現在までに様々な古書でその存在を紹介されていますが、そのほとんどの書物で死霊や怨霊など存在として紹介されています。しかし、最近の書籍などではその存在を妖怪として扱うものもあります。霊などの情報をもっと知りたい方はこちらの記事もあわせてどうぞ!

高知県で語られる七人ミサキ 

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霊の話は古くからの伝承などに起因するものが多く、様々な話が古書に記録され現在まで伝えられています。有名な話として「神威怪異奇談」などに記述がある土佐(現・高知県)の戦国武将の吉良親実の話が伝わっています。この話は生前どのようにして死んで7人の怨霊になったのかといった経緯が記されています。

吉良親実の七人の家臣たち

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安土桃山時代の武将である吉良親実は伯父である長宗我部元親の後継者争いに加担したが敗北をした為、その罪から切腹を命じられ命を落としました。その際部下の七人の家臣たちも殉職したが、彼らの死後に建てられた墓の周辺で様々な怪異が起きるようになり、彼らが殺された恨みから怨霊になったと恐れられていました。

比江山親興一族

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「土陽陰見奇談」によれば吉良親実と共に後継者争いに加担して敗れた比江山親興も切腹を命じられました。比江山親興の妻子など一族6人も同じく死罪となり殺されてしましました。この7人も殺された怨念から比江村七人ミサキとなったと言われています。

七人ミサキに関するスポット

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親実の死後から続く怪異を鎮める為に、旧親良屋敷跡地の西分村益井(現・高知市春野町西分字増井)にある彼らの墓に木塚明神を祀り吉良神社となり、現在では移転され若一王子宮に合祀された形になっているが祠の前には死んだ親実の首級を洗った手水鉢が残されています。

広島県で語られる七人ミサキ  

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高知の吉良親義の話だけではなく、その他にも日本各地のも同じような伝承が数多く残っています。広島県の三原市にも有名な話が伝わっていて、狂塚(経塚)と言われる場所にその昔人里で悪さをして殺された山伏の怨霊が祀られていると伝承が残っています。

狂塚(経塚)に封印された七人ミサキ  

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広島県三原市にある狂塚(経塚)も伝承の地として有名です。かつて凶暴な7人の山伏がいて周辺の村人などに悪さを働いていたが、彼らの悪行に困った村の人々が協力して7人を殺してしまいました。その殺された山伏たち強い怨念から悪霊となり再び村人を襲ったことから鎮魂の為に作られたのが狂塚とされています。

その正体と言われる考察

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七人ミサキは様々な地域でそれぞれ違った姿で言い伝えられています。今までに紹介した武士や山伏の恰好の他にも、猪の落とし穴に落ちて死んだ平家の敗走兵や海に捨てられた亡くなった7人の女性の遍路、惨殺された武家の隠密集などその恰好は様々なものがあります。

山口県で語られる七人ミサキ

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高知県や広島県と同様に、山口県周南市周辺にも伝承が今でも伝えられています。山口県周南市周辺での目撃情報は法衣姿の僧侶の場合が多く、昔からの伝承で僧侶が悪さをしていたと言い伝えられています。

女子供をさらう僧侶姿の7人ミサキ  

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山口県周南市周辺では、手に持った鐘を鳴らし早足で道を歩く僧侶の姿をした七人ミサキが、女子供をさらうと言われています。日が暮れた後はさらわれてしまう危険がある為、女子供は外出しないように日頃から注意されていました。

対処法がある 

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万が一夜に1人で外出する必要がある場合は緊急の対処法でやり過ごす事ができると言われています。どうしても外出が必要になった場合は、手の親指を平の中に隠して歩くと無事に夜道を歩けたと言われています。

都市伝説!渋谷の七人ミサキ

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『老圃奇談』などの多くの古い書物で語り継がれてきた七人ミサキですが、古い話だけが伝わっているという訳ではありません。1990年代後半から東京でも現れたと言う都市伝説が残っていて当時の若者の間で話題になりました。

この世に生まれる前に殺された恨み

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東京の渋谷の様々な坂で女子高生7人が次々と死に至った事件がありました。これは女子高生7人が援助交際などを行っていて、その過程で妊娠したが中絶されこの世に生まれてこれなかった水子の怨念によって呪い殺されたという都市伝説が今でも残っています。

水子とは?

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水子とは生まれて間もない赤ん坊を指す言葉です。またもう一つの意味に胎児、特に流産や人工中絶によって死亡してしまった胎児のことを指す言葉としても使われています。言葉の起源として生まれて間もないうちに海に捨てられた日本神話の神「水蛭子」から来ているという説があります。

疑問点

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今までは水辺に集中していた伝承ですが、渋谷の都市伝説は少しその他の話とは相違点が多くあります。もともと胎児は人を呪うなど悪い存在のはなりづらい霊のようです。可能性として、渋谷の都市伝説は中絶への戒めとして生まれた話という考え方も一部にはあります。その他の都市伝説に興味がある方はこちらの記事もあわせてどうぞ!

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