ハーメルンの笛吹き男は実在した!?最古の集団失踪事件の真相に迫る!

文献や口承などで後世へ語り継がれているハーメルン事件ですが、子供達が辿った末路については様々な説が唱えられています。ネズミ達と同様、川へ流されてしまったというものや洞窟に閉じ込められた、土砂崩れ被害にあった等、枚挙に暇がありません。いずれにしても良い結末とは言えず、事件となるとさらに不気味さが増します。

ハーメルンの街に今も残る舞楽禁制通り

ハーメルンの街には今でも当時の事件を伝える石碑や笛吹き男が宿泊したと伝えられる建物などハーメルンの物語を思わせる風景が広がっています。「ネズミ捕り男の家」と言うレストランの側には舞楽禁制通りと呼ばれる路地があり、ここではいかなる時にも音楽の演奏、パレードを禁じており、今でも行方不明になった子供たちを悼んでいます。

ハーメルンの笛吹き男事件の真相を考察

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ハーメルン事件で行方不明となった子供たちは遺体すらも見つかっていません。何の痕跡も残さず大勢の子供たちを消してしまった笛吹きの男、更には消えた子供たちの真相を様々な観点から考察します。

仮説①精神異常の小児性愛者説

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この事件の被害者が全員幼い子供であったという点に着目して提唱されている説の一つにハーメルンは小児性愛者だったのではないかとするものがあります。小児性愛者の特徴として脳の欠損や幼年期のトラウマが挙げられますが、笛吹きの男が何らかの疾患を抱えていた根拠や事実と裏付けるエピソードも無く、憶測の域を出ない説だと思われます。

仮説②巡礼や戦争に赴いて帰ってこなかった説

当時のヨーロッパでは聖地奪還を目的とした少年十字軍が結成されました。十字軍のメンバー補給のために民間人である少年・少女を集めていたのは奴隷商人である笛吹き男だったのではないかという噂も浮上しています。多くの少年十字軍の子供たちは旅の途中で悲惨な最期を辿り生還は叶わなかったと言われています。

仮説③自身の村を作るために親と街を捨てた説

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最も信憑性の高い説とされているのが、ハーメルンの若者達が自らの意思で町を離れたというものです。当時のハーメルンでは人口があまりに増えすぎたために貧富の差が生まれており、口減らしのために子供の人身売買が盛んに行われるなど劣悪な環境にありました。そんな場所から離脱するべく、子供たちは新たな新天地を目指し移民運動の中心となって動いていた笛吹き男を慕って出ていったのではないかとされています。

生き延びた子供たち

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130人もの子供が連れ去られたハーメルン事件ですが、無事に家へ帰ってきた子供が居たという情報も見られます。消えてしまった子供たちと、無事戻ってきた子供たちにはある違いがありました。ここでは二通りの見解から彼らの行方を考察します。

考察①消えた子供たちとの違い

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笛吹きの男が演奏する楽しげな演奏につられて、子供たちは次々と広場に集まってきたという部分について、絵本では描かれていないエピソードが存在します。それは、体の一部が不自由な子供たちは、笛吹きの男の演奏に気付いたものの、自力で広場に行く事が出来ず、結果的に連れ去られずに済んだという顛末についてです。

一人で出歩けない盲目の子供、足の不自由な子供、聴覚障害を持つ子供だけが町に残るという結末については、戦地での戦力にならない、または移民先の労働力にならないと考えられ意図的に除外されたのではないかという説も囁かれています。

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