ハーメルンの笛吹き男のあらすじをおさらい
幼いころに読み聞かせられた「ハーメルンの笛吹き男」の内容を覚えていますか?まずは簡単にあらすじを振り返ってみましょう。
あらすじ①
はるか昔、ドイツのハーメルンという町に住む人々は町中に溢れかえる大量のネズミに悩まされていました。食糧や衣服などを食い荒らすネズミの駆除に王様が手を焼いていたところ、奇妙な格好をした男が町を訪れ、褒美をくれるならネズミを一匹残らず退治しますと王様に持ち掛けました。
王様は快諾し、その男にネズミ退治を頼みます。早速その男は町の広場に行き、懐から笛を取り出すと演奏を始めました。すると、そのメロディーに誘われるように町中からネズミの群れが広場に集まり、男の後を追っていきます。
あらすじ②
男とネズミ達の行進は町のはずれの川まで続き、驚いたことにネズミ達は次々と川へ自ら飛び込んでいきました。宣言通りネズミから町を救った男は、翌朝王様の元を訪れ褒美を要求します。しかし王様は約束を守らず男にびた一文も褒美を与えませんでした。男は大人しく引き下がり、町から出ていきました。
しかし翌日あの笛の音がどこからともなく聞こえてきます。驚いた町の人々が様子を見に家の外へ出ると、町中の子供達が楽しげに歌いながらあの男の後に列をなして歩いています。大人達が気付いた頃には時すでに遅く、男に連れられていった子供たちは二度と町に戻りませんでした。
伝承のハーメルンの笛吹き男
子供向けの童話として広く知られるハーメルンの笛吹き男ですが、実際に起こった出来事を元に創作されたのではないかと言われる所以は、様々な事実的根拠に基づきます。古くは1300年代にハーメルンの教会に設置されていたステンドグラスがその伝承の始まりです。
事件が起きた年月日がわかっている
ステンドグラスが指し示す説明文によると、ハーメルン事件は1280年代の6月26日に起きたと記載されています。ハーメルンに残る最も古い歴史であり、この事件を皮切りにハーメルンの史実は記録される事となりました。このような背景がある事から信憑性の高さが伺えます。
ネズミが登場するのは後世の付け足し
物語の発端となる大量のネズミの発生は1559年以前の記録には残っていません。また事実ネズミが本当に大量発生したのかという点も不確かな部分であり、童話として改変される際に何らかの暗喩として用いられたと考えられます。
子供達の行方は不明
文献や口承などで後世へ語り継がれているハーメルン事件ですが、子供達が辿った末路については様々な説が唱えられています。ネズミ達と同様、川へ流されてしまったというものや洞窟に閉じ込められた、土砂崩れ被害にあった等、枚挙に暇がありません。いずれにしても良い結末とは言えず、事件となるとさらに不気味さが増します。
ハーメルンの街に今も残る舞楽禁制通り
ハーメルンの街には今でも当時の事件を伝える石碑や笛吹き男が宿泊したと伝えられる建物などハーメルンの物語を思わせる風景が広がっています。「ネズミ捕り男の家」と言うレストランの側には舞楽禁制通りと呼ばれる路地があり、ここではいかなる時にも音楽の演奏、パレードを禁じており、今でも行方不明になった子供たちを悼んでいます。
ハーメルンの笛吹き男事件の真相を考察
ハーメルン事件で行方不明となった子供たちは遺体すらも見つかっていません。何の痕跡も残さず大勢の子供たちを消してしまった笛吹きの男、更には消えた子供たちの真相を様々な観点から考察します。
仮説①精神異常の小児性愛者説
この事件の被害者が全員幼い子供であったという点に着目して提唱されている説の一つにハーメルンは小児性愛者だったのではないかとするものがあります。小児性愛者の特徴として脳の欠損や幼年期のトラウマが挙げられますが、笛吹きの男が何らかの疾患を抱えていた根拠や事実と裏付けるエピソードも無く、憶測の域を出ない説だと思われます。
仮説②巡礼や戦争に赴いて帰ってこなかった説
当時のヨーロッパでは聖地奪還を目的とした少年十字軍が結成されました。十字軍のメンバー補給のために民間人である少年・少女を集めていたのは奴隷商人である笛吹き男だったのではないかという噂も浮上しています。多くの少年十字軍の子供たちは旅の途中で悲惨な最期を辿り生還は叶わなかったと言われています。
仮説③自身の村を作るために親と街を捨てた説
最も信憑性の高い説とされているのが、ハーメルンの若者達が自らの意思で町を離れたというものです。当時のハーメルンでは人口があまりに増えすぎたために貧富の差が生まれており、口減らしのために子供の人身売買が盛んに行われるなど劣悪な環境にありました。そんな場所から離脱するべく、子供たちは新たな新天地を目指し移民運動の中心となって動いていた笛吹き男を慕って出ていったのではないかとされています。
生き延びた子供たち
130人もの子供が連れ去られたハーメルン事件ですが、無事に家へ帰ってきた子供が居たという情報も見られます。消えてしまった子供たちと、無事戻ってきた子供たちにはある違いがありました。ここでは二通りの見解から彼らの行方を考察します。
考察①消えた子供たちとの違い
笛吹きの男が演奏する楽しげな演奏につられて、子供たちは次々と広場に集まってきたという部分について、絵本では描かれていないエピソードが存在します。それは、体の一部が不自由な子供たちは、笛吹きの男の演奏に気付いたものの、自力で広場に行く事が出来ず、結果的に連れ去られずに済んだという顛末についてです。
一人で出歩けない盲目の子供、足の不自由な子供、聴覚障害を持つ子供だけが町に残るという結末については、戦地での戦力にならない、または移民先の労働力にならないと考えられ意図的に除外されたのではないかという説も囁かれています。
考察②お伽噺と現実の混同
先に述べたように失踪事件があった当時のヨーロッパは厳しい環境にあり日々貧困化が進む中、人々は貧しい生活を強いられていました。そんな時代の中で日常的に行なわれていたのが子供の人身売買です。さらには植民地化が各地で広がっていた事から正式な手続きもなく沢山の子供たちが各地に売買されていきました。
最悪のパターンを想定すると、ある日突然、見知った子供が街から消えていたという事態も考えられます。そんな歴史の暗部とも呼べる出来事が長い時間を経て寓話化され、現代にまで語り継がれてきたのかもしれません。
ハーメルン由来の名前を持つ土地と人々
ハーメルンを離れ、植民地に買われていった子供たちはその後どのような生活を送ったのでしょうか。植民地運動のリーダーではないかとも言われている笛吹きの男と子供たちのその後を示唆する当時の資料が残っていました。
その資料によると、1280年代に新たに創建された村々にはハーメルンを思わせる姓を持つ人々や、ハーメルンにちなんだ名前が冠されている地名が多く存在していたのです。この事実は笛吹きの男が植民地運動のリーダーであったという噂を裏付ける結果となりました。
ネズミは若者の隠喩
ネズミの大量発生について事件以前の記録には一切記されていない事からネズミの存在自体が創作だと指摘する声もあります。これについても信頼性の高い資料がのこっており、当時の劣悪な環境から逃げ出した街の若者たち=子供たちの街からの大量流失を寓話的表現に言い換えたものではないかとの見解があります。