千日デパート火災とは
日本で起きた火災の中でも過去最も大規模で多くの犠牲者を出したといわれている事件で、今で実は心霊スポットとして噂もされるほどの曰く付きの場所なのです。とはいえ、記憶は新しい事件ではありますがどのようないわれがあるのか、心霊スポットなど知らない人も多いでしょう。詳しく紹介しましょう。
日本史上最悪のビル火災
千日デパートの火災は日本市場最悪の出来事といわれているほどです。1972年5月13日火災は起きました。現在は大阪市中央区となる千日前に存在した千日デパートが舞台となります。
千日デパートとは百貨店ではありませんが、多くのお店が中に出店しており、この火災が起きた地名から千日前デパート火災や千日デパートビル火災という名称でよばえっるようになりました。
死者118名、負傷81名の大惨事
日本史上最悪と言わしめる事件であったことは、上記の規模からしてもわかりますがその被害規模も相当な物でした。死者118名、負傷者81名の被害規模だったのです。当時の被害状況はすさまじく一酸化炭素中毒を中心に、火災から逃れるために窓からの飛び降りを行ったり、脱出用救助袋の誤った使用などが理由で亡くなる方が多かったのです。
火災の規模としては、7階まであるデパートの内5階まで延焼を引き起こし燃えました。そして、それよりも上の階では煙による遺産化炭素中毒の被害に見舞われるという物でした。
千日デパート火災当時の惨状
当時発生した火災規模について概要は把握できたところでしょう。今なを語り続けられるこの火災は非常にひどいもので、どれほどの人が亡くなったのか、その惨状は当時各種メディアでも取り上げられるほどでした。その被害や惨状はどんなものだったのでしょうか。
逃げ場のない店内から助けを求めて多くの人が窓から飛び降りた
火災原因はタバコの不始末により引き起こされたといわれているのですが、そこから5階まで延焼しました。そしてそれより上の階では黒い煙が蔓延し、脱出用の緊急出口も鍵がかけられていたことで窓から飛び降りる人が多かったそうです。
店内から出ようにも下には降りられず、緊急出口も閉鎖されているので窓しか出る所がなかったのです。そのため、逃げ惑う人が窓から飛び降りるという形で脱出を図ったのです。
一酸化炭素中毒での窒息死者多発
多くの死者を出したこの火災では、最も多い死因とつながったのがこの一酸化炭素中毒です。当時6階から7階にいた従業員と客がこの階で火災による一酸化炭素中毒に巻き込まれたといわれています。当時は、火災対策も今ほど整っていませんし、火災による煙が多くの人を苦しめました。
生存者が語る当時の惨状
当時被害にあわれた方が当時の惨状を語るには、とてもひどい惨状だったといっています。多くの人が逃げ惑う中、非常口も閉ざされ窓から飛び降りる人もおり、正気を保てない人が多かったそうです。煙がみるみるうちに蔓延し、すすが舞い上がっていく様子は行きもできない中で覚えており、凄惨な物だったと語っています。
凄惨さを物語る当時のマネキン
当時の火災の被害を物語るものが今でも残っています。それが火災当時使われ火災現場にもあったマネキン人形。火によってドロドロに溶けた顔のマネキンが着物を着てたたずんでいるのですが、こちらが異様な雰囲気と被害当時の惨状を物語っています。暗闇で見ると非常に恐怖を抱くような雰囲気のあるマネキンです。
悲惨な惨状となった原因は火災時の対策が甘かったから?
火災が起きただけではここまで被害が大きくなることは考えにくいと思う方もいるかもしれません。実はこの惨状を招いたのはただ火災が起きただけだからではないのです。火災時に、対処する方法や体制が不備がったたといわれているのです。
本来火災時の緊急避難通路や避難道具が用意されているはずが、その体制に不備が里使い方の分からない道具やあまつさえ非常口が閉じられてしまっているなどの事態があったといわれています。これらの結果、火災へ乗った遺書が遅れてしまい被害が大きくなったと考えられています。
千日デパート火災が大惨事になった原因
デパートで起きた悲惨な火災。先述した対策不備については火災による被害が大きくなった原因の一端を担っていると考えられますが、しかしそもそも火災が起きた原因やそのほかの大惨事になってしまった理由とは何なのでしょうか。
最も人の多い土曜日に起こった
大惨事へと発展した要因のひとつが、火災当日が土曜日だったことが挙げられます。当時はまだ週休二日制というものがなく、休日は日曜だけでした。そのため、現在の金曜のイメージで土曜日に休日前の賑わいでお客が多かったようなのです。待ってお店に入るぐらいまでお客さんが多かったというのが被害の大きくなった一因になります。
建材が燃えて一酸化炭素や毒ガスが発生した
建物が燃えて一酸化炭素ガスが発生したことは先ほども振れましたが、当時の建物なのでまだまだ有害物質を含んだ壁などが使用されている実所がありました。そのため、毒ガスが火災により発生したのです。これらのガスは人間の判断を鈍らせ動きを鈍らせていきます。対処が遅れる要因となったのです。
ホステスが梯子で降りるのを躊躇し救助が遅れた
大惨事の一因にはこのような原因も考えられています。当時ホステスの服装はスカートのスパンコールをあしらったような服装でした。その服装が、近づいてきたはしご車へと移るのに邪魔だったようなのです。消防士へと手が届かず落下してしまう人や、はしご車の救助を待てず窓から飛び出す人など、救助が遅れたことにより飛び降りる人も多かったのです。
千日デパート火災の後、怪奇現象が続出した
そのような凄惨な当時の情報を効いていると、当時の被害がいかに大きいものだったかがわかりますが、そんな千日デパートには現在でもいろいろな情報がつぶやかれていることがあります。実はこの場所は現在も心霊スポットとしても有名ですが、火災後不可解な現象が続出し始めたのです。
熱い熱いと啜り泣く声
火災後の売り場で怪奇現象を目撃した人あがいるのです。フロアにはいるはずのない従業員用の階段で熱い熱いとすすり泣く声、うめき声が聞こえたというのです。確かにそこには自分しかいないはず。ですが女性の霊らしき姿の目撃情報もあります。音のした方を振り返ってみると誰もいない、そんな現象があったようです。
彷徨う人影
火災が起きた現場やその界隈では不審な人影が目撃されている現象が起き始めたそうです。いたるところでさまよう人影を見たとの情報があります。帰宅時間になり、従業員用のエレベーターに乗ろうとしたとき、いつまでたってもエレベーターにたどり着けず目の前に人影を発見したので追いかけようとしたそうです。
しかしその人影、いくら頑張って歩いても追いつけずいつの間にかいなくなっており、エレベーターも異常な時間をかけて乗ることになった経験もあります。また、界隈の居酒屋などではさまよう人の姿は多く見かけられており、移店内でさまよう現象も散見されるそうです。
タクシーに乗るホステスの霊
タクシーに乗せた女性の霊も有名な怪奇現象です。ある日、タクシーの運転手が一人のホステスを載せました。扉を閉めた後、行き先を尋ねたところ返事が返ってきません。おかしいと思って振り向くと、そこには女性の姿はなく、焦げ臭いにおいとまるで火災現場かのような跡が座席に残っていたそうです。
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その後の千日デパートはどうなったのか
火災が起きた後もビルの補修が行われデパートが入ることになった旧千日デパート跡地。界隈を含めて怪奇現象が案件される中で、どのような経緯を経ていったのかを消化しましょう。火災後は補修が行われ1984年にはダイエーがプランタンなんばを開業しました。もちろんそこかでも怪奇現象は止まりませんでした。
そして、数年後の2000年にはプランタンなんばから名前を変えて、カテプリなんばという形を変えてデパートを続けていました。しかし、その後2001年にはダイエーが自社テナントをすべて撤退し、デパート営業は終了となります。専門店で使われていたエスカールなんばと名前を変えて、ビル経営を始めていきました。
千日デパート跡地の現在
火災後からも怪奇現象が絶えないことで有名になった千日デパート。そんなスポットは今では姿を変え意外なものがたっているのです。今現在の跡地の様子を紹介していきましょう。