千日デパート火災は霊の仕業?納得せざるを得ない立地に潜む恐怖の背景も詳しく紹介

どういった土地だったのかというと、その昔無縁仏や餓死者を葬った大型の墓地だったのです。1615年の江戸初期の時代にそのあたり一帯で千日墓地といわれる大型墓地をつくられました。そこでは基金に見舞われ餓死した人やそのまま無縁仏となった人を主に祭っていたと言われています。

処刑場だった過去も

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墓地だけにとどまらず、当時その墓地には処刑場や焼き場も併設されていたといいます。そして過去の処刑場と火災には不思議な共通点があるといわれています。それが火災で亡くなった方の人数と、当時ここで処刑された人数が同じなのです。

当時処刑された人数は118人といわれており、火災で亡くなった人は全員で118人といわれています。大惨事が起きたことは決して偶然などではなく、処刑された人たちの思いや怨念による影響で行ったといえるのではないでしょうか。

千日前の名前の由来

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千日前デパートで起きた火災は大変悲惨なもので、今なお不思議な現象が確認されているほどに大きなことだった雄ちうことが分かりました。心霊スポットとして今でも数多くの心霊現象も散見される土地の由来について紹介していきましょう。

鎮魂のためにお坊さんが千日掛けて読経をあげた

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千日前の名前の由来にはいくつか説がありますが、そのうち有名なものをご紹介します。この土地はかつて焼き場も兼ねていたと先ほどお伝えしましたが、焼き場として機能したのが大坂夏の陣といわれています。当時この一帯は大坂夏の陣で亡くなった者を焼き供養した場所となっています。

その際に、お坊さんが除霊のためにこの土地に赴き千日もの間毎日お経を呼んだといわれているのです。それ故に、この名前が名付けられたといわれています。

千日念仏を唱えていたお寺があった

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二つ目の説が、当時墓地があったことで近くにあるお寺の法善寺と竹林寺のお坊さんが千日かけて念仏を唱えていたことと関係しているというものです。

このことから、両方の寺を千日寺を言うようになったそうですが、とくに法善寺を千日寺と呼ぶようになり、その寺の前で栄えた町が今の千日前のエリアになるため、この名前が付けられたといいます。

千日墓地内にあったお寺の前だった

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現千日前エリアに千日念仏を唱えていたお寺があったことも有力な説です。その昔、千日墓地内には千日山安養寺というお寺が存在したそうです。そのお寺の位置が現千日前の横にあたり、お寺の前で栄えた町がこれにあたるため命名されたといわれています。

千日デパート火災の犠牲者は今もなお彷徨っている

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千日デパートで引き起こされた火災はとても凄惨なもので、とても多くの犠牲を伴った事件でした。そして、現在も心霊スポットと呼ばれるほど、彷徨い続けている霊を見かける情報が後を絶ちません。かつての事故を忘れず、そして彷徨う霊たちの思いがいつかはれるように願いたいものです。

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