ゴイアニア被曝事故の悲劇|廃病院で盗難されたセシウム137で放射線が拡散

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ヴァルターは大急ぎで放射線測定器を借りてきて、部品が置き去りにされたゴイアニア公衆健康局に向かいました。ヴァルターは持ってきた測定器のスイッチを入れてみましたが、針は一気にメーターを振り切ってしまった。壊れたのを持って来たと思ったヴァルターは一旦測定器を交換しに引き返してしまいます。

故障していなかった!メーターを振り切る放射線量!

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測定器を交換し、今度はスイッチを入れたまま健康局に向かいました。健康局が近づくにつれてどんどん数値が上がっていくのを目の当たりにしヴァルター氏は前の測定器は正常で、メーターが振り切れてしまうレベルの大変な放射性物質があるという事を確証します。

ヴァルターはすぐさま健康局内の職員らやその周辺の住民を避難させました。そして、マリアが持ち込んだ部品を受け取った人物、パウロ医師から一連の経緯を聞いたヴァルターは、測定器と共にセシウム配布会場、デヴァーの家へと足を運んだ。

遅すぎた発覚

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デヴァー宅を訪れたヴァルター氏はとんでもない状態を目にすることになりました。デヴァーの解体工場、彼の自宅、その周辺…どこもかしこもメーターが振り切れるレベルの汚染度でした。ヴァルター氏は急いでこの事を保健局に報告しました。

この報告で初めて公的機関が汚染が起こった事実を認識します。廃病院から2人の盗人の手によって持ち出されてから16日。あまりにも遅すぎる発覚です。マリアが部品を持ち込んでいなければさらに発見が遅れた可能性もあります。もしそうなっていたら被害者数は今の比ではなかったでしょう。恐ろしいことです。

ゴイアニア被曝事故!セシウム被曝事故の収束

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その後、セシウムを持ち込んだ張本人ロベルトから詳細なセシウムの足取りと漏れ出した場所。そしておおよその汚染範囲が判明しました。ブラジルの原子力委員会は町の住民達をオリンピックスタジアムに隔離し、彼等の汚染検査を実施しました。周辺住民約112,800人が検査を受け、249人もの市民が被害を受けている実態がわかりました。

さらにその中の129人もの人は、健康被害が出始める程の汚染が確認されました。この方々はプレシアンブルーによる除染や治療を受け大事には至らなかったようです。残る120人の汚染対象者は服や靴が汚染された程度に留まっており、身に付けているものを処分するだけで大丈夫でした。

被爆者数249人、汚染により4名の尊い命が失われた

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セシウムの近くにいた時間が長かったマリア。作業のため部品に多く触れていた2人の作業員。そしてセシウムに触れた手を洗わずに食事をしてしまったレイデが犠牲となりました。悪事を働いた当事者達ではなく、周りの人が犠牲になった本事件。とくにレイデに至ってはまだ6才でした。国の不注意や無知が招いた惨事に胸が締め付けられる思いです。

当事者達は…

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彼等はというと、一命は取り留めますがその代償はあまりに大きいものとなりました。まずはロベルト、ヴァグナーの2人。ロベルトは右腕を切断。ヴァグナーは右手の指を数本失う結果となったそうです。デヴァーはなんと被爆者の中で最も被曝線量が高かったにも関わらず一命を取り留めます。

しかし、デヴァーはその後うつ病とアルコール依存症を患い9年後の1996年に肝硬変で亡くなります。妻と姪を亡くし、親族や自社の従業員達にも多数の被爆者を出し自身も被爆者となってしまった彼。元はと言えば盗んだ2人が悪いわけですが、知らなかったとはいえ自分が被害を拡大させてしまったとあっては、彼の心中察するに余りあります。

家屋の解体、大規模な除染作業

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家屋や車、動植物、土。全てのものに汚染検査が行われ取り除かれました。盗みの実行犯ロベルト、ヴァグナー。廃品回収屋のデヴァーとその兄イヴォ、そしてセシウムを持ち帰ったデヴァーの友人3名、計7つの家屋が取り壊され、土までまるごと取り除かれました。

このときの家屋の残骸や土などの汚染物は全て金属の容器に密閉され、保管所に移されました。その量およそ3,600m3。除染作業にかかった費用はなんと4,300,000ドル以上にも及びました。

放射線による風評被害と差別

この事件は、前年1986年にチェルノブイリ原発事故があった事もありブラジル国内で大々的に報道されその反響は物凄いものとなりました。ゴイアニア市民は流行り病でも持ってるかのような目で見られたと言います。汚染が無いのに野菜は食べて貰えず、市民はホテルやタクシーの利用すら公的機関の証明書が無いと拒否されたそうです。

この事態、我々日本人も覚えがあるのでは無いでしょうか。記憶に新しい3.11の福島原発事故です。その際も、避難先で子供がいじめの対象になったり福島県産の物を拒否する問題が数多く起こりました。正しい知識が広がりその問題も徐々に薄れてきた現在。やはり感情だけではなく、正しい知識で状況を見る事が大切なのだと思い知らされます。

差別により積もった鬱憤

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ゴイアニア市民らはこれらの差別や汚染地帯からの強制退去命令に鬱憤を募らせており、放射線量をモニタリングするために設置した機械を無断で撤去したり観測作業を妨害したりなどのトラブルが後をたたなかったそうです。

また、亡くなった4人の犠牲者の葬儀では、高濃度に汚染された遺体の埋葬を阻止すべく暴徒が押し寄せる大変な葬儀となったようです。4人の眠る棺は鉛を内張し放射線が漏れないよう対策した上で、墓地の隅の一角に分厚いコンクリートで棺を覆い埋葬されました。遺体ですら大変な脅威となってしまう。放射線の恐ろしさを感じます。

ゴイアニア被曝事故!セシウム被曝事故の考察

以上が、この事件の顛末です。治療や殺菌で放射性物質を扱う、案内身近な物になってしまった今日。明日は我が身かもと思うに十分な事件でした。では、ここからはどうしてこの事故か起こってしまったのか。防ぐ事は出来なかったのか。という考察を載せていこうと思います。

元凶は放射性物質を放置した病院

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ロベルト達が盗みを働いたところから事件は始まった。盗んだ彼らが一番悪いのではないか。と、思うのは至極当然な流れだと思います。ちょっとこの人達無知過ぎない?そんな怪しいもの触んないしわかるでしょう。その気持ちも、とてもよくわかります。筆者もこの記事を書きながら何でだろうと首を捻っておりました。

しかし、それ以上の原因に考え至りました。それは、やはり病院の関係者達。その作業と管理の杜撰さです。そもそも、廃病院にそんな危険物を放置しなければ起こらなかった事態であり、百歩譲ってトラブルで持ち出せなかったにしても見張りを立てたり毎日チェックしに来たりなど、盗ませない努力は出来たのではないでしょうか。

危険物を扱うという責任

今はネットも普及し調べやすい環境になった為、放射性物質がどんなものなのかを知ってる人は多いでしょう。しかし、ある日ただポツンと何の注意書きもなく粉が置いてあった時、怪しいと思いはすれど放射性物質だ!と気付ける人はほとんどいないでしょう。

故に、日頃それらを取り扱う人は資格や許可を取っている人達なのですから管理を徹底する義務があるのではないかと思います。放置せざるを得なくなったとしても、住民への注意喚起や見回りでの盗難の早期発見か出来ていれば、少なくともこれほどの被害を出す事はなかったのではないかと思います。

だけど盗難ダメ!絶対!

ですが、だからといって2人が働いた窃盗が許されるわけではありません。あくまで盗難は絶対にしてはいけない事です。それはセシウムだからに限った話ではありません。常識的ではありますが、一番基本的で大切な部分です。

他にもあった、放射線事故事例

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ここでは放射線事件のことをもっと知りたい方のため、過去にあった放射線関連の事件の概要をご紹介したいと思います。日本でも放射線事件が起こり、放射線事件が遠い何処かの話ではなく身近な話になりつつあります。原発のことも含め、一人一人が知り、考えるべき時なのかもしれません。

放射線事故事例①:モロッコ放射線事故

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こちらはなんと2年連続で事故が起こってしまっています。それぞれ1983年と1984年。1983年にメキシコのファレスで起きた事故では、くず鉄として処理された鉄の中にコバルト60が紛れ込んでおり、そのくず鉄を使って作った椅子を利用した労働者たち500人が被害にあってしまうという事故でした。

1984年の事故は、モロッコのモハメディア。非破壊検査用のイリジウム192を持ち帰ってしまい、持ち帰った当人の家族ら8人が被爆してしまうというもの。ゴイアニア被曝事故と似ています。しかしこちらの事件では、家族8人全員が犠牲になってしまいました。

放射線事故事例②:造船所イリジウム事故

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こちらは日本の千葉県で1971年に起こった事件です。造船所構内で非破壊検査に使われるイリジウム192が放射線源。ステンレスの鉛筆のようなものを興味本位で下宿先へ持ち帰ってしまいました。そしてそこにいた仲間5人と共に被曝してしまうという事件。5人の被害者達は命に影響はなかったものの指を切断する事態にはなってしまいました。

ちなみに非破壊検査とは、建物や船などのレントゲン検査といった感じのものです。壊したり分解したりせずに中の方のキズや劣化を調べることです。安心して利用するための定期点検に欠かせない技術です。こうして見ると、案外放射性物質は至る所にあるし、身近な物だと実感します。

見たことあるアレ。放射線事故が元ネタだった!

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ネットやLINEスタンプなどで人気を博したヨシ!と指差し呼称をする猫のキャラクターをご存知の人はそこそこいるのではないでしょうか。このキャラクターのイラストで丸い物体から青い光が溢れ、「あ!」と驚いたような声を上げているものがあるのはご存知でしょうか。実はこれは実際の事件が元ネタとなっております。

デーモン・コア

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それは、1946年にアメリカで実験中に起きた事故です。中性子反射体と核分裂性物質を近づけ、臨界状態がどれくらいで発生するかを測る実験。2つが完璧にくっついてしまったら大量の中性子線が発生するというとても危険な実験。な、はずなのだが、素人目に見てもどう考えても危ないだろう!?と思う方法で実験は行われました。

その方法は、2つの間にマイナスドライバーを挟み込み、それで両者の位置を調整しながら測定するという方法でした。上下に分かれた両者の間にはたった一本の不安定なドライバー。事件は皆さんが予想の通り、うっかり「あ!」と手を滑らせ上下がくっつき中性子線が発生。ドライバーをぐらぐらさせていたルイス博士が犠牲となった。

被爆事故を二度と起こさないために

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ゴイアニア被爆事故やその他の被爆事故について書かせていただきましたがいかがでしたでしょうか。日本でも福島の原発事故を境に、原発や放射性物質がとても便利で身近な半面とても危険なものだと再確認した方も多いでしょう。この記事を読んで、放射性物質に興味を持って、知って頂けるきっかけになれば幸いです。

原発や放射線に対して正しい知識を持つことで、万が一の時最悪を回避出来たり、差別や風評被害で悲しい目に合う人たちを減らすことができます。事故を無くし、安全に正しく、危険だけれど便利な彼らと付き合っていく社会になればいいと思います。

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