ゴイアニア被曝事故の悲劇|廃病院で盗難されたセシウム137で放射線が拡散

1987年のゴイアニア被曝事故はセシウム137が盗難されたことにより、次々と人々を汚染・拡大して起こった恐ろしい放射線被曝事故です。セシウム被曝と発覚するまでに至った深刻な被害や、ゴイアニア被曝事故が収束に向かうまでの道のりを詳しく紹介していきます。

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ゴイアニア被曝事故のきっかけ!廃病院で二人の泥棒が見つけた宝とは?

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ブラジルの人口120万人ほどの町、ゴイアニア在住のロベルトと、その仲間のヴァグナーは、お宝が眠ってるという噂を耳にし、移転に伴い放置された廃病院へ足を踏み入れてしまうことから始まります。

1987年ゴイアニア被曝事故はココから始まった

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この廃病院は、事件が起こるおよそ2年前1985年に移転する為閉鎖された場所でした。放射線治療も行っていたこの病院。そのため放射性物質を使う機会も置かれておりました。放射線治療の為の照射機器は移転と共に早々に別の場所に移動しました。が、今回の汚染源…セシウム137は、なんと機械丸ごとそのまま放置されていました。

なぜ?放置された照射機器

「そんな危険なものを無人の状態で放置するなよ!」と、お思いになった方も多いでしょう。ぐうの音も出ないほどその通りで、ちゃんとこちらも一緒に移動していればこの事件は起きず、249名の被爆者や4名の死亡者が出ることは防げたのです。

放置という状態になってしまった理由…それは、なんと「所有権」関する問題でした。地元自治体とトラブルになり対応が遅れた結果の放置。しかも、出さなければならないはずの届け出も、この時未提出だったようです。事前準備のあまりの杜撰さに驚きです。

大変なお宝!流れた噂

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廃病院となれば、もしかしたら高価な薬や機材が残されてるかもしれない!と住民の間でなったのでしょう。ここにあったとされるセシウム137、推定50.9TBq。重さにして約91g。とても高価なものですのでこの量を買おうと思ったらとんでもない額が必要になります。そういった意味では確かにお宝に違いありません。

しかし、知識の無い人が扱えばお宝どころの騒ぎではありません。が、2人は見事セシウム137が封入されている回転遮蔽装置を持ち運び出来るサイズに解体、持ち帰ってしまいます。意気揚々と帰った2人でしょうが帰りの道中すでに彼らの手は放射性物質に侵されていました。

呪われたダイヤモンドについての記事はこちら

廃病院のお宝。中に入っていたものとは?

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ここまできたところで皆さん「セシウム137って?」と気になってきたと思います。今後の記事の恐怖、事の重大さをしっかり理解するために、ここで一度セシウム137について詳しく掘り下げをしておこうと思います。

ゴイアニア被曝事故の原因は放射性物質、セシウム137

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見つけたお宝ことセシウム137は、樹脂を混ぜて手芸に使うビーズのように加工され、機会では使用されていたそうです。しかし持ち帰った時はボロボロに崩れ、白い粉のようになっていたそう。しかも、なんとこの粉、混ぜられた樹脂と反応を起こして青白く光っていたそうです。なんの知識もない人が見たら、お宝だ!と思うのも無理はないです。

セシウムという放射性物質

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セシウムは主に癌の放射線治療や食品の殺菌・殺虫のため使われており、キチンと正しい知識を以って扱えばとても有益な物質です。しかし、セシウム化合物はやっかいで、ほとんどが水に溶けやすい性質を持っています。すなわち、雨や唾液で溶けやすいということ。ここでも、この特性が猛威を振るいます。

ちなみに余談ですがこの放射性物質は、ヨウ素131、ストロンチウム90、プルトニウム等の健康被害が大きい放射性同位体と肩を並べるレベルの代物です。1945年の広島・長崎の原爆投下やかの有名な原発事故、チェルノブイリ原発事故でもまき散らされ、多くの死者と後遺症に悩む人々を出しました。

放射線物質セシウム137による汚染が始まった

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