後年、事件に影響された模倣犯が多発しました。翌年、翌々年と犯罪予告が2ちゃんねるに書き込まれ、逮捕から有罪に至ったケースもあります。
また平成13年には京都府の市営バス乗っ取り事件、平成20年には愛知県で14歳の中学生がバスジャック犯になるという異例の事件が発生しました。
西鉄バスジャック事件の判決
逮捕後、犯人には精神鑑定の命令が下されました。結果、隔離施設で医師の観察が必要ということで、医療少年院への送致が決定されます。
やがて「犯人の少年」から「元少年」と呼ばれるようになるまでの数年間、彼はここで過ごすことになります。
医療少年院へ送致
京都府の医療少年院に送致された当初、彼は心を閉ざし面会も指示も徹底して拒絶しました。
そこで(神戸連続殺人事件の犯人が受けたものと同じ)生活訓練を経て、平成18年に京都府の医療少年院を出所したのは、彼が成人してしばらく経った頃でした。
少年犯罪での弁護士
犯人の弁護士は正式に公表されていませんが、中田憲悟弁護士であるという説が有力です。犯人に精神療養所への入院歴があり、退院後の現在も精神疾患を抱えていると意見しました。
現在も法律事務所の所長として活躍し、幅広いジャンルの案件を担当されています。
西鉄バスジャックの犯人谷口 誠一の現在
事件当時、未成年だった犯人の情報はほとんど公表されませんでしたが、成人した現在、本名が「谷口誠一」であることが周知されています。
本事件の知名度の高さを考えると、出所後も本名のままとは考えづらく、現在は改名して別人として暮らしている可能性が高いです。
生中継から判明した事実
これにはメディアの力が大きく、バスの中に立てこもっていた犯人の姿が、全国に生中継されたためです。
鮮明とまでは言えなくとも、彼を知っている人であれば容易に気づけたことでしょう。報道こそ控えられたものの本名はすぐに公然のものとなりました。
2006年2月1日に退院し社会復帰を目指す
平成18年2月、京都府の医療少年院を退院した谷口は、保護観察期間を経て社会復帰を果たしました。その後の行方は公表されていません。いずれにせよ、ニュースに名前が挙がらなくなったということは、一般市民として静かな人生を送ったということになります。
西鉄バスジャック事件犯人(ネオ麦茶)被害者とその家族のその後
事件はこうして収束しましたが、被害が消えてなくなったわけではありません。恐ろしい体験は被害者の中に残り続け、大切な人を失った悲しみは続いていくのです。人質とされた被害者たちは、その後の人生や出所した犯人とどう向き合ってきたのでしょうか。
被害者
被害者の家族
亡くなった塚本達子さんのご家族も面会に行きましたが、犯人は謝罪を繰り返すばかりでした。それでもご遺族は「会ってよかった、一生をかけて罪を償ってほしい」と語りました。
余談ですが、亡き塚本さんは上記のような著書も執筆されており、子供想いで熱心な教育家であったことが伝わってきます。
西鉄バスジャック後に取られた再発防止策
当時のバスには乗っ取りを想定した対策がありませんでした。事件後、日本バス協会が立ち上がり、統一対応マニュアルと緊急連絡体制を整備、車両にもバスジャックを想定した各種備品が用意されることになりました。