京都最強の都市伝説・深泥池タクシー怪談|心霊スポットで語られる恐怖

深泥池に隣接した場所に京都博愛病院という総合病院があります。綺麗な病院で市民の評価も高く地域医療に大きく貢献する立派な病院です。この京都博愛病院に関してこれから記載する内容は過去の事や噂のレベル域を出ないものであり現在の京都博愛病院とは関係ないものだと最初にお断りしておきます。

病院には死体安置所が存在していた

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病院には遺体安置所があり、亡くなった方を一時的に安置して保管するための施設です。京都博愛病院の前身は結核療養所でした。結核菌は生きている人間だけではなく死んだ人間の体からも感染します。荼毘にふすのにも特別な方法が必要でした。また後期高齢者を沢山受け入れていた経緯から特別大きな死体安置所があったとも噂されています。

不治の病、結核の療養病院だった

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京都博愛病院の前身は昭和3年に開業した結核療養所でした。当時の結核という病気は治ることのない不治の病でした。結核菌は咳やくしゃみで拡散するため、全国各地では結核の療養所の建造に反対運動が起こるなど悲痛な歴史を持っています。療養する患者さんも決して病院から外に出ることはできませんでした。

療養所に1度入ると2度と出られない

結核は不治の病でした。結核治療が確立される以前は結核に罹患し療養所に収容されれば2度と外に出ることは許されませんでした。京都博愛病院の前身である結核療養所も悲痛な思いで外の世界から隔離された患者さんが沢山いたはずです。人生に絶望した患者さんが療養所を抜け出し、深泥池に身を投げたという「噂」は多数残っています。

タクシーに乗った女性は結核患者だったのか?

タクシーの乗った女性は結核患者だったのでしょうか?結核は矢も楯もなく強制的に収容される病気です。咳や痰で感染が広がっていくので家族との接触だってできません。乗り込めばどこへでも行くことが出来るタクシー。女性は怨念となってどこへでも行けるタクシーに強い嫉妬を感じた?それとも自由への憧れでしょうか。

結核と同じく隔離されたハンセン病

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ハンセン病は国が法律で隔離を強制した病気の一種です。結核と同じく不治の病とされ、療養所に入所したら最後、2度と外に出ることは許されませんでした。隔離政策は1996(平成8)年まで続いたのです。ハンセン病は感染力が極めて弱い事や、特効薬による治療法が確立されてもなお風評被害は消えませんでした。

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