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ギリシャ神話における「黄泉戸喫(よもつへぐい)」
ギリシャ神話においても、「黄泉戸喫」に類似したお話が存在します。ここで紹介するのは、「ペルセポネの冥界下り」、もしくは「ペルセポネの略奪」と呼ばれる神話です。ギリシャ神話ではどのように描かれているのか読み解きます。
「ペルセポネの冥界下り」が似ている
女神・ベルセポネは、野原で水仙の花を摘もうとしたとき、冥府の神・バーデ―スに連れ去られてしまいます。何日も冥界で過ごさざるを得なくなっていたペルセポネは空腹に耐えかね、バーデ―スからもらったザクロの12粒のうち、4粒を口にしてしまいます。補足すると、食したのは6粒だったという説もあります。
冥府のものを食べてしまったら、冥界に属さなければならないといった決まりがありました。ですが、ペルセポネは様々なことが考慮された交渉の末、食べてしまった粒の分だけ、つまり1年のうちの三分の一の期間だけ、冥府で過ごすことになったのでした。
ザクロという果実について
ペルセポネが受け取ったのはザクロでしたが、ザクロという果実はギリシャ神話において「豊穣のシンボル」とされていました。ペルセポネもまた、「豊穣の女神」であったので、とてもゆかりのある果実でありました。ここでは、ザクロについて少し掘り下げてお話します。
ザクロの花言葉
ザクロはその果実の中にぎっしりと種子が詰まっており、美しい花を咲かせることから、「成熟した美」という肯定的な花言葉を持ちます。その一方で、安易にバーデースから受け取ったものを食べてしまったというペルセポネの行動から、「愚かしさ」という否定的な意味も持っています。
ザクロの味は人の味?
「ザクロは人肉の味がする」と見聞きしたことがある方も少なくないでしょう。本当に人の味がするわけではありません。「ザクロ人肉味説」は、鬼子母神像がきっかけです。子どもを抱え、右手にザクロとされる果実を持っています。鬼子母神は、自らの子育てのために人の子を捕らえて喰っており、人々から恐れられていました。
そのため、鬼子母神は「子どもが食べられない代わりに、人の味のするザクロを持っているのだ」という噂が立ちました。ザクロの味についての、よろしくない噂です。しかし、実際には右手にもっているのは吉祥果という果実であり、ザクロで表現されるようになったのは中国文化の影響を受けてのことです。
仏壇に供えたものを食べるのは「黄泉戸喫(よもつへぐい)」なのか?
お盆やお彼岸、法事の際には、仏壇にお供え物をします。お菓子や果物を供えたり、ときには一汁一菜の食事をお供えします。お供えした食事は、基本的には下げて食べるのが良いとされていますが、ここでは、「あの世」との一種の境界でもある仏壇に供えたものを口にしても良いのか、という疑問について回答します。
よもつへぐいにはならない
供えていた食べ物を仏壇から下げて、それを口にしても、「黄泉戸喫」にはなりません。理由をお答えすると、仏壇にお供えしたものはすべて、現世で調理したり、調達したものであるからです。仏壇から下げたものは食べたほうが供養にもなりますから、むしろ口にした方が良いのです。
「黄泉戸喫(よもつへぐい)」を治すと言われる食べ物
治す、という意味とは少し異なるかもしれませんが、「黄泉戸喫(よもつへぐい)」をしたときのように、身体が急速に衰弱したり、「霊障」に遭った場合、この世の食べ物を口にできなくなる場合があります。そんなとき、どのようなものを口にすれば良いのか、少しお話します。