まるで警告を発しているかのように、廃車姿のセダンを目前にしながら白のセダンは迂回してくださいとの不思議な文言が書いてあるのです。白いセダンでの訪問は絶対に避けなければならないのです。
セダンでこの道を利用するとまるで何かあるかのように書かれているのです。奇妙な出来事でも過去にあったのか、その真実は不確かではありますが、けっしてセダンに乗ってこの地に近づかないほうがいいといわれています。
犬鳴村の都市伝説③
村に侵入したとに限らず、周辺では奇妙な現象にさいなまれるといわれています。その現象は、村人から襲われる以外にも恐ろしいもので、決して人をよせつけたくないといわんばかりのものです。
携帯電話が圏外で使用不能
一切の連絡を絶つように、この村では全メーカーの電話の電波が通じなくなるといわれています。山奥にあるからということも関係はしているのでしょうが、このご時世にすべてのメーカーがアんえな一つ絶たなくなることなんて日本であり得るのでしょうか。
一切の電波がないので、当然村の中からは連絡手段はありません。なので、村人から襲われた際にも助けは決して呼べないということになります。しかし、連絡が宇宇治田として、日本の法律が及ばないこの地域に果たして助けは来るのでしょうか。
近くのコンビニにある公衆電話は警察に通じない
連絡手段に問題を抱えるこの地域ですが、電波が通じないこの村周辺近くにもコンビニがあるのですが、このコンビニにも不思議な噂が伝えられています。というのも、このコンビニ公衆電話では警察に通じないというのです。
助けを呼ぼうにもこのコンビニからは呼べない状態になっているわけです。こちらのコンビニは実際に存在しているとされており、村から10分程度の距離に2つその存在も確認済みですが警察に通じないかどうかは確証がないようです
しかし、この噂が立つということは公衆電話からの連絡がつかないことでもあったのでしょうか。警察に限らず連絡が繋がらないとなると、ますます孤立した状態や村の存在が怪しくなってきます。
犬鳴村は実在した?
都市伝説が色濃く残る村ですが、実際に村が存在したかどうか核心に迫っていきましょう。村人が襲ってくるなどの根も葉もない噂だけでは確証もありません。実際に危険ならば生きて帰ってきた人がいるのも不思議なことです。実在したのでしょうか。
犬鳴谷村はあった
犬鳴村とは直接関係はありませんが、実はこの時には犬鳴谷村と呼ばれる今では廃村となった村がありました。存在したのは1889年4月までのことです。この場所も今の都市伝説が絶えない峠の近くであり、江戸時代から人が存在したといわれています。
この村では農林業を盛んに営んでおり、山村として栄えていたといわれています。小さな村は1889年以降、周辺の村と合併し集落としてさらに拡大しますが、その後取る理由により、廃村となっていきます。
現在はダムの底に沈んで消えた村
村が亡くなり消えた理由についても紹介しましょう。その理由は、ダム建設による水没です。合併後1997年までこの村は続いていくのですが、1997年にダムの建設計画が完了しダムが建てられたのです。その結果、ダムのそこに沈む形で村は姿を消します。
ダムの建設に伴い、村のそのほとんどが水没する結果となったため、この地に暮らしていた人たちは、このダム建設を皮切りに都市部へと転居していったといわれます。そして、その名残として、現在も犬鳴の名前を使った地域があります。
その名前が、宮若市犬鳴です。この住所は現在も確認でき、実際に存在が確認できます。とはいえ、古くに存在していたという犬鳴谷村は犬鳴村と関係はなく、存在を立証するに足る情報も一切持ち合わせてはいないようです。
【閲覧注意】犬鳴峠で起こった事件
数々の都市伝説など、まだまだ確証のない情報ばかりが後を絶ちませんが、しかしこの土地では過去に無残な事件がりました。その事件は、確かに存在し悲しく無残な事件だったといわれています。
この峠や地域を語る上では避けては通れない話ともいえるでしょう。また、現在は検索してはいけない言葉として挙げられるほどの事件内容ですので、注意してみてください。