柳田哲志アナウンサーの放送事故とは?怪我の詳細や現在の活動について

アナウンサーとして活躍していましたが、1973年に歌謡ショーの舞台から転落し、脊髄損傷を受傷し車いす生活となりました。「車いすの司会者」として1976年まで司会者を務め、1977年からは政治家として活躍しています。

現在は「宮崎県ボッチャ協会」の副会長を務めている

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「ボッチャ」というスポーツを聞いたことがありますか?柳田哲志さんは現在、宮崎県ボッチャ協会の副会長を務めています。柳田さん自身もボッチャの選手として試合に出場することもあり、ボッチャを通して人とのふれあいの機会も多く持っています。

「ボッチャ」はスポーツ

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ボッチャはヨーロッパ発祥の、重度脳性麻痺や四肢麻痺の人のための考案されたスポーツで、パラリンピックの正式種目でもあります。年齢や性別、障害の有無に関わらず、どんな人でも一緒に競い合えるスポーツです。

ボッチャはジャックボールと呼ばれる白いボールに、赤・青それぞれ6球ずつのボールをいかに近づけるかを競います。ボールは投げても、転がしても、蹴っても、他のボールに当てても構いません。投げることが難しい人は、専用の滑り台を使ってボールを転がすこともできます。

団体戦で優勝

柳田哲志さんは、脊髄損傷受傷後も前向きにリハビリに取り組み、スポーツができるまでに回復し、宮崎ボッチャ協会の副会長にも就任しました。2017年9月27日のブログでは、大分オープンボッチャ大会で自身の所属する宮崎ボッチャクラブチームが初の優勝を勝ち取ったことを綴っています。

柳田哲志アナウンサーのブログ

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柳田哲志さんは、以前から自身のブログを運営していました。しかし、2008年6月の脊髄損傷受傷後は、更新が滞っていました。現在はテレビ宮崎の公式ブログで、”轍”というブログを運営しています。

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