モスマンとは?
モスマンは不幸の象徴とされている、アメリカなどで有名なUMAです。UMAとは未確認生物のことで、有名なところではヒマラヤ山脈のイエティやネス湖のネッシー、チュパカブラなどがいます。
世界中にいるあのUMA達は本当に存在するのか、気になる方はこちらもご覧ください。
不幸を呼び込むUMA(ユーマ)
不幸の予兆。なぜモスマンがそう呼ばれているかというと、目撃されたとされる場所やそこに居合わせた人々、モスマンを題材にした作品に携わった人間に不幸や悲劇が訪れた、という話があるからです。
モスマンの名前は「蛾」のイメージから!
初めの頃は目撃されていた地域の住人たちからにバード(鳥)と呼ばれていましたが、地元の新聞社がこのUMAをモスマンと名付け報道して以降はそのように呼ばれるのが定着し一般となりました。
モスマンの鳴き声
姿に次いで特徴のあるもの、それは声です。当時の目撃者の中には声を聞いたという人もおり、モスマンはネズミなどのげっ歯類やコウモリなどが発するそれによく似た「キィキィ」といった声で鳴くと話しています。
また、その他に一部の猛禽類もそのような声で鳴きます。名前について触れた際に紹介した元々の呼び名バードというのは、実は大型の鳥類なのではと考えた人々がそう名付け読んでいたものとされています。
モスマンが一番目撃された時期!
一番最初に目撃されたのは1966年、アメリカ合衆国。当時のアメリカでは宇宙人やUFOの話題が人気で、そのことからこのモスマンも宇宙から来た生物かもしれない、という説があったほどです。当時がどんな時代だったのか、出現時期やそれに重なる時期及び時代に起きた出来事、事件について少し紹介していこうと思います。
モスマンは1966年頃から多く見られた!
モスマンが最も多く見られた時期は1966年から1967年頃。場所はウェストバージニア州(以下Wv)ポイント・プレザントとされています。最初の目撃例から13ヶ月もの間モスマンの目撃はしばしば続き、また同時に事件が起こります。
ビートルズやローリング・ストーンズの流行った時期
1966年から1967年は、イギリス出身のロックバンドであるビートルズとローリング・ストーンズが世界的にとても流行っていた時期です。日本でも流行し、1966年6月にはビートルズが初来日を果たしています。
また音楽シーンだけではなくファッションの変化も有名で、女性の間ではミニスカートが流行りました。67年にはミニスカートがシンボルのファッションモデル、ツイッギーが来日し多くの女性の憧れとなります。
東京オリンピック・ケネディ暗殺と様々なことが起こった時代
60年代にはその他にも色々なことが起こりました。1964年には東京で日本初のオリンピックが開催され世界から多くの人が訪れます。また開催するにあたり建てられた建造物の多くが今でも残っており、日本武道館もその一つです。
1963年にはアメリカのテキサス州で当時の合衆国大統領ジョン・F・ケネディが暗殺されるという事件が起きます。全世界に影響や衝撃を与えた大きな事件ですが、犯人とされる人間が逮捕後に射殺されてしまい証言を得ることができず、多くの謎を残し今もなお事件についての議論が続いているという状況です。
モスマンとの遭遇事件が後を絶たない!
そんな激動の時代の最中、ある日モスマンは現れます。Wvにある墓地で初めてその姿を目撃されてからの約1年間、その姿を見たという目撃情報や事件が度々続き、その奇妙な体験に人々は恐怖します。
ウェストバージニア州にある墓地が皮切り
1966年11月12日、同州に位置するクレンデニンにある墓地で初めてモスマンが目撃されます。目撃したのは棺を納めるために地面を掘っていた5人の男性とされており、大型の鳥類のような風体の生き物が飛ぶのを見たと証言しています。
目撃情報が後を絶たないモスマン!
墓地での事件から2日後、同州ポイント・プレザントのトリニトロトルエン(爆薬)製造所があったエリアでドライブをしていた若者たちがモスマンに追われます。その恐ろしさに運転していた人が車の速度を160kmまで上げるも、ものともせず追ってきたといいます。同日夜に別の目撃者も現れています。
ウェストバージニア州シルバー・ブリッジでの目撃が最後?
最初の目撃から13ヶ月もの間モスマンの目撃は集中しますが、1967年12月15日Wvのポイント・プレザント、オハイオ州のカノーガ間に架かっていたこの橋付近でモスマンが目撃されて以降、モスマンについての報告は途絶えています。
シルバー・ブリッジ崩落事件はモスマンの仕業?
そしてその橋で悲劇は起きます。モスマンの姿が確認された1967年12月15日、シルバー・ブリッジが崩落してしまいます。今でも多くの人々にモスマンが関係しているのではと言われているこの出来事がどんなものなのか、その強度についてやその時の状況などを中心に皆さんにも知って頂きたいと思います。
犠牲者46人、負傷者多数の崩落事故
事故が起きた12月15日はクリスマスシーズンで、食材などの買い出しやプレゼントを購入する人が多い時期です。そんな人々の車で橋の上が埋まっている時に崩壊が起き、巻き込まれた46人もの人々が亡くなってしまいます。また負傷者も多数出し、2名は行方不明のままとなっています。
崩落当日橋の上にモスマンがいたとの情報が
また当日、付近でモスマンが目撃されただけでなく、橋の上にその姿を見たという情報や写真が残っています。偶然居合わせただけなのか、それとも橋の崩落とモスマンには何らかの因果関係があるのかは謎のままです。
1928年に建設され同時期に建設された橋に同じような構造のものも多いことから、建設当時想定された橋にかかる負荷に対し十分な強度があったものと考えられます。しかし、1928年から1967年の間に一般家庭に普及する自動車の重量が変わり、それに耐えかねた部品の破損から崩落したのだろうとされる文書も提出されています。
不思議な出来事と自然の多いウェストバージニア州
動物や河川、森などの緑豊かな大自然に恵まれたウェストバージニア州。モスマンだけではなく、この地域には先に上げたUFOや、幽霊が現れるなどの怪奇現象も多く見られるそうです。モスマンのことも含め不思議な出来事が多いのは自然と関係しているのでしょうか、ウェストバージニア州の謎を他にも少しだけお話しします。
幽霊の手を借りた警官
Wvモーガンタウンには警察に協力した幽霊の話があります。遊びに出かけたまま行方不明となった少女2名についてある警官が捜査をしていた時のことです。捜査を始めてから3ヶ月ほど経った頃、近所で別の事件の捜査をしていた彼が依頼人からあの少女達はどうなったのだろうという疑問を投げかけられます。
すると警官の体に幽霊が憑依し、その口を借りて事件の真相を語り始めたそうです。彼は少女たちは既に亡くなっていること、遺体の遺棄されている場所や犯人についてまで知ることができ、事件を無事解決することができたのです。
UFOというより宇宙船?巨大な飛行物体
次は1979年、同州にある小さな町レイネルで起きた出来事です。兄弟とピクニックへ向かっていた目撃者が線路付近を歩いていた時、なんと90ヤードほどもあるとても大きなUFOがゆっくりと近づいてきて、ツアーバスのように街の中を通り過ぎていったというのです。
通り過ぎていく途中で、機体の窓の向こうにエキゾチックな風貌の宇宙人が見えたそうです。その場には他にも20名以上の人がおり、10分ほどかけて見えなくなっていくUFOを皆ただただ驚きながら眺めることしかできなかったと言います。
モスマンの映画「プロフェシー」でも不幸が相次ぐ
プロフェシー(原題The Mothman Prophecies)はモスマンについてのストーリーの映画で、原作はジョン・A・キール氏がモスマンについての調査結果及び実体験を元に書いた「モスマンの黙示」という作品になっています。どんな映画なのか、そして制作陣を襲った不幸とはなんなのかを書いていこうと思います。