無実の罪で斬首刑となったアン・ブーリン|強く生きたその生涯をご紹介

アンブーリンは決して美人では無かったものの、フランス留学を経て身につけた洗練された立ち居振る舞いによりイギリスのヘンリー8世の王妃にまで成り上がった人物です。しかし、そんな彼女も最後は娘のエリザベス1世を残して無実の罪で処刑されてしまいます。この記事では、イギリス国教会の設立の発端ともなっているこのアンブーリンの激動の生涯をじっくりご紹介していきます。

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音楽と執筆をしています。幼稚園の時にジュラシックパークを映画館で観てからというもの古生物好き。英語をよく使う環境にいます。

アンブーリンってどんな人?無実の罪で処刑された悲劇の王妃

アンブーリンとはどのような人物だったのでしょう。日本ではもしかすると名前も今知ったという方も多いのではないでしょうか。彼女は誰と結婚し、どのような生涯を送ったのでしょう。まずは大まかにアンブーリンについてお伝えしていきます。

アンブーリンはヘンリー8世の2番目の王妃

アンブーリンは当時の国王ヘンリー8世の2番目の妻であり、王妃の座についた女性です。彼女は、アンと知り合った当時はまだ前妃キャサリンと結婚していたヘンリー8世が離婚してまでも手に入れたがった聡明な女性でした。

悲劇の運命をたどることになったアンブーリン

RondellMelling / Pixabay

頭脳明晰で魅力ある女性であったアンブーリン。王妃の座にはついたものの、後継者となる男児には恵まれず、最終的に王の心は離れ、様々な罪状を言い渡されついには処刑されてしまいます。ここからは詳しく彼女の波乱に富んだ生涯に迫っていきましょう。

アンブーリンの出生からヘンリー8世に出会うまで

アンブーリンはどのようにして育ち、国王と出会い、王妃となるに至ったのでしょうか。彼女は英才教育を受けながら育ち、幼いころから類い稀な語学力を発揮しました。まずは彼女の生まれからヘンリー8世に出会うまでの経緯を紐解いていきましょう。

16世紀初めに農民の家系で生まれたアンブーリン

アンブーリンの曾祖父は地方の農民の家系でしたが、ロンドンに出てからは帽子屋として成功して財を築き、ついにはロンドンの市長を務めるまでになりました。それからブーリン家は娘や息子を伯爵家と結婚させるなどして社会的地位をどんどん上げていきました。ブーリン家は上昇志向の強い家系であったようです。

アンの父であるトマス・ブーリンはラテン語やフランス語に秀でており、宮廷で外交官を務めていました。その血を色濃く受け継いだアンブーリンは1501年ごろに生まれ、一家は1504年にケントという町のヒーヴァー城へ移り住みます。その城はトマスが自身の父であるウィリアムから相続したものでした。

現在のヒーヴァー城

アンブーリンが暮らしたヒーヴァー城は、現在ではアンブーリンの記念館としての役割を担っています。その美しい庭園には季節の花々が咲き乱れ、城内には当時の貴重な品々が数多く展示されています。

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