白丁とは
朝鮮の身分の一つです。日本語では「はくちょう」と呼びますが朝鮮では「ペクチョン・ペッチョン」と呼びます。人間としての扱いを受けられず酷い差別を強いられた白丁の実態に迫ります。
朝鮮の被差別民
この差別は1392年から1910年にかけての国家だった李氏朝鮮時代に始まりました。この時代から身分制度をさらに細かく分別し、最低身分の位置づけとして白丁としました。
絶対服従だった李氏朝鮮時代
朝鮮の国民は、李氏朝鮮の支配された中に住んでいる人間として扱われていたため、李氏朝鮮の国王が一番であり絶対服従の思考でした。逆らうこともできず与えられた任務をひたすら励むことしかできない時代でした。
白丁が受けた差別とは
数多くあった身分制度の中で最も過酷だったわけですが、人間に対応するとは思えない酷い仕打ちを受け続けてきたのです。どんな内容だったのでしょうか?順番にご紹介します。
屠畜、食肉商に就くことを強制
最低身分ですから、人々がやりたがらない職業を強制し働かせます。他には皮革業、骨細工、柳細工がありました。これらの職業以外で働くことは一切禁止としたのです。
学校へ行くことの禁止
文字を読むことや書くことは必要ないと定められ、学校へ行くことを禁止させました。その学びに使う時間があるならば労働に費やしなさいという教えでした。
戸籍を持つことの禁止
学ぶこと、職の自由を奪われた人々は、基本的な人権さえも認められません。ですから戸籍も必要なく姓を持つことも許されませんでした。人間としての尊厳はありませんでした。
隠れた楽しみが一つだけあった
人間扱いされない人々にも、唯一の楽しみがありました。支配階級が財産を没収することさえも嫌ったため、当時の朝鮮の中では唯一貯蓄することができる身分だったのです。
日当たりの良い場所に住むことを禁止
私たちも物件探しで日当たりの良さを気にしますが、彼らは日当たりの良い場所や高台には住めませんでしたしお墓も同じで常に日陰の存在だったのです。
徴兵制度禁止
現在も制度は残っていますが、当時の朝鮮での徴兵志願者は優秀な物しかなれないという特別扱いを受けていました。ですが最低身分の彼らは志願するよりも、戸籍も姓もない人間扱いではない人ですから制度すらありませんでした。
白丁の唯一の誇りを示すもの
仕事も好きに決める事ができない彼らは、ひたすら肉を捌きます。その中から彼らは生きがいを見つけ出し逞しく生きていました。唯一の誇りをするものを見つけ出したのです。
神の杖
肉を捌く際に必要だった刀は、彼らの大切な商売道具です。この刀の事を「神の杖」と呼び称え辛い仕事の中での生きがいを見つけていったのです。彼らの唯一誇りを示す道具だったのです。
白丁の起源
そもそも白丁とは、由来はどこからでしょうか?諸説として神話説や北方移民族説があります。一体どんな風潮から名づけられたのでしょうか?それぞれご紹介します。
神話説
神話が由来で差別されているとする説です。神話とは神秘的なイメージを抱きやすいですが、その反対に無生物のものを例えることにも用います。白丁はこの無生物というところから由来したのではないかと説があります。
北方異民族説
身分の低い扱いを受けていた朝鮮族や、高麗に帰ってきた中央アジア系の異民族の人々が、以前に政治の混乱を招いたことが発端となり、治世を保つために差別を受けるようになったという説があります。
朝鮮の身分制度とは
当時の朝鮮では国王、両班、中人、常人、賤民と身分が区別されていて、着るものや食べるもの、住む場所も身分によって区別されていました。ですが李氏朝鮮時代になるとこの身分がもっと複雑になり過酷な差別となるのです。
李氏朝鮮の時代に複雑化
勢力争いが勃発したために、国王は勢力を鎮めるために身分を細かく分け、それぞれの身分を複雑化しました。そして奴隷の下に白丁という人間扱いしない身分を設けたのです。
白丁は賤民の中の最下位
賤民はさらに七般公賤、八般私賤などに細かく分けられ、白丁はその中でも最下層でした。暗い家に住み、職業も決められ文字は読めず学校も行けず、ただひたすら働いて日が過ぎるのを待つ生活でした。
インドにおけるカースト制度と類似
バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つの身分に分けた制度で、学校入学や奨学金制度の優先順位が適用されています。現在でも根強い制度ですが、この制度と李氏朝鮮の作った身分制度は類似しています。
白丁の身分解放
日露戦争に勝利した日本政府によって、韓国は総監府が設置されることとなり、戸籍制度が導入されました。そして白丁にもやっと日の光が浴びることができるようになっていったのです。
1909年日本政府によって姓を許可
今まで、姓を持てなかった彼らはやっと姓を持つことができ身分差別から解放されました。今まで影の存在で胸を張って歩くことも許されず日陰の存在でしたが、やっと人間らしい生き方ができるようになったのです。
朝鮮国民は激しく反対
ですが日本政府の急な身分平等化をすんなりと受け入れることができなかった朝鮮国民は、激しく反発し反対運動を繰り返したのです。ですが日本政府は「人は平等であるべき」と断固として主張し反発運動を鎮めていきました。
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白丁の現在は?
現在の身分制度は完全になくなりました。人はみんな平等であり、人としての自由な生活を自由に選択できることを掲げています。ですが、表向きは平等としていますが裏では差別に悲しい思いをしている人々がいるのも事実なのです。真相をご紹介します。
身分制度は廃止
人口が都市部に移動し始めたことで、差別は徐々に薄れていきました。ですがもともとの拠点となっていた済州島などの地域では、いまだに差別意識が残っており全て消え去ったとは言えない状況なのです。
人を罵るときに使う
「白丁」という単語は、今も見下す言葉として認知されていて、人に対して罵倒する際に使われることがあります。これは人としての生き方が出来ずにいたことの名残から、使わているのです。