搾取子とはなに?
搾取子という言葉を聞いたことはあるでしょうか。近年増加傾向にある搾取子とその親の関係は社会問題の一つとなっています。本稿ではその実態に触れながら、少しでも搾取子である当事者の手助けになるよう解説していきます。
搾取子の意味は?
搾取という文字から連想されるように、時間の搾取から精神的な面での搾取、金銭に及ぶまで様々な要素を親から搾り取られる子どもの事を指します。
マインドコントロールや虐待の一種
過度に行動制限を設けられる、一方的に将来を決めつけるなどは虐待の一種です。小さい子どもにとって親は絶対的な存在です。期待を裏切れば見捨てられてしまうかもしれないという恐怖を抱きつつ、親の機嫌を損ねないような行動をとるようになります。ほかに頼る人を自力で見つけ出すことが難しい子どもにとって、その教育はマインドコントロールと変わりなく、虐待にあたります。
搾取子の特徴
前途の通り、搾取子の人々はあらゆる面での行動制限、モラルハラスメント、金銭の搾取を受けています。先に挙げた全てを受けていないにしても、当人にとっては重大なストレスであり、許される事ではありません。ここでは実際にあったエピソードを添えつつ、その実態について解説します。
金銭を要求される
現在専業主婦として生活しているAさんは、十代の頃から親と別居している現在に至るまで、実の親に金の無心をされ続けました。彼女が高校生の頃、両親が経営していた会社の経営が傾き、一気に収入が落ち込みました。しかし、切迫した状況の中でも彼女の両親は生活水準を下げる事が出来ず、以前と同じような贅沢な暮らしを続けていました。
彼女はアルバイトで稼いだお金を両親に渡し、他の兄妹たちも同様に家にお金を入れ続けました。彼女が結婚してからは更に要求がエスカレートし、両親は毎月のように数十万単位のお金を無心してくるようになっていたのです。また、他の兄妹たちは両親の保証人にされたり、無断でクレジットカードを使い込まれるなどの被害にあっていました。
搾取されていたと気づくまで
成人して結婚し、自らの子供にも恵まれ穏やかな生活を送っていた彼女でしたが、唯一の気掛かりは事あるごとに金の無心をしてくる両親でした。しかし彼女の両親も高齢になりやがて亡くなってしまいました。
葬儀などの準備に追われ、全てが片付いた後になって彼女は自分が搾取されていた事に気が付きました。
トラブルの原因を自分のせいにされる
現在30代のAさんは幼い頃から貧しい家庭で育ち、実の親からは「うちが貧しいのはお前のせいだ」と言われ続けて育ちました。毎日の食事は子どものAさんにとっても到底足りる量ではなく、給食費さえ払って貰えずにひもじい思いをしましたが、全てお前が産まれたせいでうちは貧しいのだから諦めろと何一つ取り合っては貰えませんでした。
そんな環境で育ったAさんは自分が置かれている状況を疑問に思うことがないまま成人し、社会へ出た後も実家へ収入の殆どを仕送りしていました。
結婚破断
30歳になり、付き合っていた女性との結婚を考え始め彼女を連れて実家へ帰ったところ両親は大喜びし、お前が結婚出来るほどに成長できたのは親のおかげ、結婚してからは嫁の収入も増えるのだから仕送り額を倍にしろと要求してきます。そんなAさんの両親を見て彼女はAさんの元を去ってしまいました。
結婚の予定と彼女を失ったAさんは無気力状態に陥り、以前のように仕事をする事が困難になりました。医者へ相談するとうつ病との診断が下り、カウンセリングを受けて初めて両親の異常性に気が付き絶縁に至りました。
自由な時間を与えられない時間的搾取を受ける
子どもであれば、親に決められた門限や就寝時間など基本的なしつけの一環として時間の制限を設けられる事はあります。しかし、搾取子の場合は行き過ぎた管理状況におかれ、門限を一分でも過ぎれば自宅に入れて貰えない、学校以外の時間は全て勉強や家の家事をさせる等、子どもの自由な時間を一切与えない虐待も存在します。
Aさんの家は姉弟の両親の4人家族で、長女であるAさんだけが過剰な門限を設けられ、家事の全てを押し付けられていました。そんなAさんを見かねた弟が、近くに住む祖父に姉の扱いについて相談を持ち掛けました。その結果Aさんの現状を重く見た祖父が学校と児童相談所に掛け合いAさんと両親共々カウンセリングを受ける運びとなり、今では平穏な家族に戻れたそうです。
搾取子をはどんな家庭で育ちやすいのか?
機能不全家族または、親自身が搾取子であった過去を持つ場合など搾取子が育ちやすい家庭では子どもにとって健全でない環境である場合がほとんどです。搾取子が置かれた家庭環境は大まかに以下の特徴に当てはまるケースが多く見られます。
兄弟・姉妹が甘え上手
幼い頃から上に兄姉がいる子どもは、親の兄姉に対する態度を見て育ちます。第一子であれば、下の兄弟が産まれるにあたり、長男・長女としての意識を植え付けます。その結果、甘えてばかりではいられない兄姉と対照的に、甘やかされて育つ弟妹という構造が成り立ちます。
また、その幼少期の体験から大人になっても他人への甘え方が分からない第一子、他人への甘え方が上手な次男・次女という両極端な性格に育ちます。
両親が不仲で子どもにあたる
オーソドックスなパターンで言えば、子供に無関心な父親と、逆に子どもに対して過干渉すぎる母親という組み合わせの家庭が挙げられます。
搾取子が育ちやすい家庭では父親の存在はほぼ無いに等しく、母親が一方的に子どもへ干渉し、それに対する子どもからのSOSを無視する父親という構造があります。または父親が母親側に立ち、面倒から逃れようとする傾向も多々見られます。
親が自分の考えを子どもに強制する
搾取子の親は「子どもはこうあるべき」という考えや、子どもが親に反抗的な態度をとる事はあってはならない等の固定観念を強く抱いている傾向があります。
男児であれば強くあるべき、イジメられるのは根性がないからだ、女児であれば家事は全て出来て当たり前など過度な「〜であるべき」論を振りかざし子どもの自発的な行動を抑えつけるケースが多く子どもの健全な成長に水を差してしまいます。
なぜ搾取子はその状況に反発しないのか?
ここまで搾取子の特徴を見てきて「何故そのような状況なのに反発しないのか」と疑問に思う方もいるでしょう。ここでは、搾取せれ続けている現状から抜け出す事を困難にさせている、搾取子本人の心の内をご紹介します。
「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」という言葉
兄弟が居る人であれば、幼い頃に一度は言われた経験がある方も多いのではないでしょうか。
この言葉によって搾取子自身も自分で全てやらなければ、という思考回路になってしまいます。その思いが少しずつ酷くなると強迫観念に囚われ、親からの理不尽な要求に対しても自分がやらなければ、と受け入れてしまう人格に育ちます。
兄弟が可愛がられ甘え方が分からなくなる
兄弟・姉妹が産まれた事により、第一子はお兄ちゃん(お姉ちゃん)らしくしようと努力します。また、親も産まれたばかりの次男・次女の世話に追われ、第一子には自立して欲しいと願い、子どもに対しても前途の通り「お兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだから」と我慢を強いります。
そんな環境で過ごすにつれ、搾取子は親や周囲に甘える方法やタイミングが掴めないまま成長してしまい、困難な状況に陥っても自力で解決しなければならないと考えてしまうようになるのです。
長野の「おじろくおばさ」の精神状態に似ている?
長野県に昭和初期まで残っていたといわれる悪しき因習おじろくおばさをご存知でしょうか。その昔、身分制度の残骸が残る田舎の山岳地帯では、食料不足による貧困から口減らしや病人の隔離などが当たり前に行われていた時代があります。おじろくおばさもそんな日本の暗部の一つです。
世襲制である農家では長男以外の子どもは厄介な存在とされ家畜同然の暮らしを余儀なくされていました。労働力としてのみ扱われ、他者との交流すらも禁じられたままその生涯を終えていたのです。
奴隷として洗脳されていた彼らの心理状態は、過剰に抑圧された搾取子にも通じるものがあります。
おじろくおばさについて詳しく知りたい方は以下の記事からご覧ください。
実際の搾取子の体験談をご紹介
ここからは日本中から寄せられた、搾取子の実体験をご紹介します。搾取という名の虐待にも様々なものがあります。暴力や過度な干渉、金銭の搾取など驚愕のエピソードの数々をご覧ください。
姉妹間差別
姉と妹、両親の4人家族で育ったAさんは幼い頃から勉強を頑張り、スポーツの面でも優秀な成績を収めてきました。しかし両親はそんなAさんの事を一度たりとも褒めてくれず、Aさんは自分の頑張りが足りないせいだと、より一層勉学に励みました。
Aさんが10歳になる頃妹が生まれ、両親は妹が何をしても大袈裟に褒め称えチヤホヤと甘やかして育てました。そんな家庭環境のまま高校を卒業したAさんは家を出て一人暮らしを始め、20代半ば頃には結婚して子供も生まれ幸せに暮らしていました。
懲りない両親と姉妹のその後
そんな中、一人暮らしを始めて以降一切連絡を取っていなかった両親がAさん宅に押し掛け、妹が少年院送りになったと告げました。また、妹の育て方を間違えた、Aさんは褒めずに育て妹は甘やかす事で互いに競争心を持つように教育してきたのに、失敗だったと言います。
更にはもう一度子育てがしたいからAさんの子供を寄越すように要求してきました。激怒したAさんは両親を追い返し、以降両親とは音信不通になりました。妹さんとは和解し現在は幸せに暮らしています。
母の日の悲劇
両親、祖父母、姉弟の6人で同居していたAさんは日頃から自分の気に入らない事があるとヒステリックに暴れる母親に怯えて暮らしていました。普段から暴力や暴言が絶えず、その度に祖父母がAさん姉弟を保護し、父親は離婚を考えていましたが、親権を母親にとられるかもしれないという恐怖から二の足を踏んでいました。
そんな生活の中でも、まだ小学生であったAさんは母親を憎みきず、母の日のプレゼントとして手料理を作ってあげる事にしました。
異常な凶暴性
祖母に手伝ってもらいながら母の好物であるハンバーグを作り、パートから帰宅した母親をリビングに招きました。
しかし母親は食卓の上に並んでいるハンバーグを見るなり激怒して、Aさんの顔面を殴りつけました。突然の痛みにAさんが泣きじゃくる中、母親は「ナメた真似しやがって私の料理への当てつけか!」と更にAさんにつかみ掛かろうとします。祖父母が暴れる母親を取り押さえると母親は「ガキの味方なんかしやがって、お前ら全員くたばっちまえ!」と絶叫すると、そのまま家を出て行きました。
その騒動後、離婚が成立したものの母親は親権を自ら放棄し、母親の暴言や暴力の証拠が残っていたにも関わらず父親の財産の殆どと家を慰謝料として取り上げました。
借金と暴力にまみれた生活
当時両親と3人で暮らしていたAさんの家庭では常に父親からの暴力や暴言にさらされていました。定職につかずギャンブルに生活費を使い込んでしまう父親は、気に食わない事があるとAさんに暴力を振るい、身の回りの物や勉強道具などを壊すなど傍若無人な振る舞いを繰り返していました。
父親とは逆に教育熱心な母親は塾に大金を費やし、Aさんに毎日習い事に行くように言い渡しており、毎日の暴力と休みない習い事にAさんは辟易していました。
そんな中でも家族だからとひたむきに生活していたAさんですが、ある日いつものように父親に言い掛かりをつけられた彼女は怒りが頂点に達し殴り合いの喧嘩になりました。騒動に駆け付けた母親は「大人しく殴られていればいいのに、言うことを聞けないなら死ね」と冷酷な言葉を吐きます。
家族との絶縁
母親の一言でそれまで我慢していた事が何もかも無駄であったと感じたAさんはそれを期に両親とは一言も口を利かないまま学生生活を続けました。
そんな環境のままAさんが成人を迎えた頃、父親がギャンブルでつくった借金の形に住んでいた家を売却する事となりました。住む家を失った両親は、Aさんが借りたアパートに一緒に住みたいと持ち掛けましたが、Aさんは拒否し事実上の絶縁を両親に突き付けました。
母からの嫌がらせ
幼少期から動物好きでペットを飼いたかったAさんですが、犬に嚙まれた経験があり小型の大人しい動物が飼いたいと母親におねだりしました。そんなAさんの元にある日母親が大型犬を連れて来て、今日からこの犬の面倒を見るようにAさんに告げます。最初はおびえながら犬の世話をしていたAさんですが徐々に愛着がわき苦手だった犬を克服する事が出来ました。
犬を飼ってから数年後、Aさんが学校から帰ると犬が何処にもいません。母に尋ねてみると他所の家に譲ったと言います。Aさんが泣いて抗議すると母親は「犬嫌いのお前の為に引き取り手を探してやったのだから感謝しろ」とAさんを叱責しました。
母との決別
小学校高学年になり、運動が苦手だったAさんは絵画教室かピアノ教室に通いたいと母親に相談します。すると直ぐにプール教室と体操教室に入会させられました。運動が苦手なりに頑張って通った結果、病弱だった体も強くなり犬の件で不信感を抱いていたAさんでしたが、これも自分の健康を思っての事だろうと母親に感謝していました。
Aさんが成人し婚約者を実家に連れて来ると母親は猛反対し、母親よりも10才以上年上の無職の男性を連れてきて無理やりAさんとその男性を結婚させようとしました。