市川一家4人殺人事件の全貌|犯人関光彦の生い立ちや生き残った長女の現在も

こうして逮捕後、死刑判決が下った関光彦死刑囚ですが、その後の死刑執行までの間、彼は一体何を考え、何をしていたのでしょうか。ここでは関死刑囚の判決後から刑の執行について見ていきます。

裁判のやり直しを求め、再審を請求

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関死刑囚は裁判所の死刑という判決を不服として死刑判決のおよそ1年後には再審の請求をしています。彼は専門医療機関による精神鑑定や精神面での脳の精密検査を行い、それを証拠として提出したのです。

しかしこれらの証拠からは精神の異常性や心神喪失だったことは証明できず、再審は却下されることとなります。犯行の内容から少なくとも自分の意思でこの凶悪な犯行を行ったものだと判断されたのです。

第2審が行われた2001年、死刑が確定

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しかし結局のところ死刑判決が覆ることはありませんでした。彼は事件に対しての罪を償うという気持ちはなく、第二審が行われた2001年に死刑が確定します。当初は未成年であること、犯人の家庭環境や生い立ちなど同情されるべき点もありましたが、今回の事件の凶悪性を考慮し未成年犯罪の中でも非常に稀な結果となったのです。

死刑が近ずき、関光彦に心境の変化が現れた

死刑判決を受けた関光彦はとうとう自分自身に対しての心境に変化が見られるようになってきました。彼は生き恥をさらしたくはない、家族に迷惑をかけたくはないと人生をあきらめたような発言が増えていきます。

そして被害者家族の納骨を行ったお寺の住職宛に写経を送るといった贖罪ともとれる行為を行ったり、時には関光彦の母に頼まれて来た住職と面会をしたりもしていました。その際に住職から見た関光彦は自分の犯した罪に苦悩しているように見えたと語っており、死が近づいてようやく罪と向き合うようになったのではないかと感じます。

2017年12月19日関光彦の死刑が執行

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そして2017年に関光彦の死刑が東京の拘置所で執行され、事件から20年以上が経っての処刑となりました。この死刑までに体重が120㎏にまで増えており、これは噂では弁護士が死刑の執行を逃れられる可能性があるからと体重を増やすように指示されたからだと言われています。

死刑囚・関光彦の最後の言葉

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最期に発した言葉はこれまで担当していた弁護士に向けた言葉だといわれており、裁判記録は先生の元へと言い残しています。非常にたんぱくな最期の言葉に、人生を完全にあきらめた様子が伺えるように感じます。

また、事件に関して被害者家族に対しての謝罪といった発言は発せられず、本当に彼自身は反省をしていたのか、疑問だけが残ります。どす黒い心の中を真に理解することは誰にもできなかったのです。

市川一家4人殺人事件の被害者長女の現在は?

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こうして犯人の死刑によって結末を迎えた市川一家4人殺人事件ですが、この事件の被害者少女は何をしているのでしょうか。ここでは被害者家族の長女の現在が果たしてどうなったのかについて見ていきます。

事件後は母方の実家で生活し美大へ進学

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生き残った被害者家族の長女は事件後は両親の知人の家に住んでいたようで、その1年後には母方の実家のある熊本に移り住んでいます。高校を卒業した後は夢だった美術系の大学に進学し、キャンパスライフを送っていました。また事件については前に進みたいから忘れたと話しており、前に進む強い姿がそこにはありました。

2004年に結婚しヨーロッパへ

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長女は美術系の大学を2000年に卒業し、その後死刑判決が下される前から交際していた男性と結婚をしました。そしてかねてから家族の夢だったヨーロッパでの暮らしを実現させるために現在はヨーロッパで暮らしています。ヨーロッパの地でも家族と共に幸せな生活が続くことを、心から願うばかりです。

市川一家4人殺人事件の加害者家族の現在

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生き残った被害者は現在幸せな生活をしていることが分かりましたが、では加害者の家族は事件後どのような生活をしていたのでしょうか。ここでは加害者家族の祖父、母と弟の事件後について見ていきます。

祖父のうなぎやが潰れた

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犯人に関しての負のイメージは死後もいまだに存在しており、事件後うなぎ屋はつぶれてしまっています。その最たる原因は孫の関光彦が起こした事件によるイメージダウンからくるものであるとされています。

うなぎ屋に金を払うと犯人の弁護士へ金を支払う事になると噂になり、うなぎ自体の評判は良かったのにも関わらず犯罪者の血縁者の店に金を払いたくないと客足が遠のいていってしまうこととなったのです。

母親と弟

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事件後にはどうやら二人で身を寄せてひっそりと暮らしているようで、事件に関しての誹謗中傷は母と弟に少なからず向かっていったことが伺えます。関光彦は死してなお家族に迷惑をかけ続けていたのです。

弟の見た感じは非常に穏やかで礼儀正しい性格だったそうで、弟と兄はあくまでも他人で、犯罪者の家族だとしても家族には罪はありません。だからこそこ弟の兄とは正反対な性格はより一層辛く感じてしまいます。

市川一家4人殺人事件の本「19歳」が出版された

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実は関光彦の事件の内容を新聞記者以外にも文通、面会で調べていた作家の男性がそれらをまとめて本として出版していました。ここではその本が出版されるまでの取材の経緯やその内容について見ていきたいと思います。

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