アステカの祭壇は検索してはいけない言葉!?恐怖の心霊写真の正体!

「アステカ=残酷」というイメージがあったとご紹介しましたが、このイメージは短絡的であり、文化の惨い一側面だけを、誇張しています。そこで、アステカ文明について少し補足し、ただ残酷な行為を行っていたわけでないことをお話します。

アステカという国家

「アステカ」は、研究者が名付けた名で、当初国家名はありませんでした。1428年から1521年までメキシコ中央部で続いた、メソアメリカ文明の国家です。「ナワ族」の中の、「メシカ」という民族を中心に構成されたと云われます。

アステカの人身御供は重要な儀式

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アステカが「残酷」と言われるのは、この「人身御供(ひとみごくう)」の儀式が関係しています。メソアメリカでは、太陽はいつか消滅するという「終末信仰」がありました。太陽の消滅を防ぐために、神へ「人間の心臓」を捧げなければならないと云われており、重要な儀式のひとつだったのです。

雨乞いや豊穣祈願にも、「人身御供」は必須でした。また、アステカの場合、「ツォンパトリ」と呼ばれる祭壇を用いて儀式が行われますが、この祭壇は「数千もの頭蓋骨」で、できています。頭蓋骨の7割は男性、2割が女性、あとは子の頭蓋骨も含むそうです。

生贄は特別な存在、誰でも良いわけではない

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人身御供に選ばれる人間は誰でも良いわけでなく、選ばれるのは名誉なことでした。その反面、儀式自体は惨いもので、祭壇に手足を押さえつけられ、生きたまま胸を石のナイフで裂き、心臓を鷲づかみでとり出すのです。

また、豊穣の儀においては、心臓をえぐり出したあとに皮を丁寧に剥ぎ、司祭がそれを纏って踊っていたそうです。残虐な儀式ではありましたが、生きた人間を捧げるのが、神への最高の奉仕であるため、長く行われていたのです。

日本にもあった「人身御供」

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実は日本にも「人身御供」は存在していました。どのような経緯があって日本で執り行われたのか、アステカで行うような儀式と同じであったのか、また、アステカとどう違うのか、少しだけ紹介していきます。

代表的なものは「人柱」

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「人柱」も「人身御供」のひとつで、日本で主に行われていたのが「人柱」です。日本では、「天災が起きるのは髪が怒っている証拠だ」と考えられ、例として水害が酷い場合は、川の傍に、人を生きたまま埋めたといいます。

「アステカ」との違い

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アステカとの大きな違いは、「ひっそりと行う」点です。大衆の前で儀式は行わず、少人数で、密かに儀式を遂行するのが日本の人身御供の特徴です。生贄に選ばれるのは、決まって「ケガレ」のない処女やこども、また、その地に身寄りのない旅人であることが多かったそうです。

再現可能!心霊写真「アステカの祭壇」の撮影方法

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デジタルカメラが普及した今、心霊写真の数は減少したと言われています。というのも、フィルム式カメラで心霊写真は「作れる」からです。どのように撮ることができるのか、方法をご紹介します。

NEXT フィルムカメラを使うと再現可能