心霊写真「アステカの祭壇」の正体
恐ろしい噂とともに有名になった「アステカの祭壇」、好奇心でワード検索し、閲覧し、後悔した人も多いでしょう。たとえ噂を信じていなくても、うっかり見てしまったときには良い気持ちにはなりませんよね。まずは「アステカの祭壇」への向き合い方をお伝えします。
結論:写真をみてしまっても大丈夫です
単刀直入に言わせていただくと、写真を見てしまっても大丈夫です。写真を見ると「呪われる」、「死に至る」という話が広まっていますが、地上波で放送された点を鑑みると、噂に信憑性はありません。
ただの「撮影ミス」
「アステカの祭壇」が撮れてしまう経緯として、よく語られるのは、単なる「撮影ミス」による写真です。あとで詳しく解説しますが、意図的にミスを引き起こし、同様の類の写真を撮ることも可能です。
なぜ「アステカの祭壇」の噂は広まった?
どうして「アステカの祭壇」の「心霊写真」は、ここまで恐ろしく、一種のタブーのように扱われてきているのでしょうか。「アステカの祭壇」の噂がなぜ廃れることなく現在まで残っているのかを考えます。
初出は2003年
のちに「アステカの祭壇」と称される「心霊写真」が世に出回ったのは、2003年(平成15年)、地上波での放送です。10年以上経過してもなお、噂の力は衰えないのには理由があります。オカルト的な視点から一度離れ、つまらない話を始めてしまいますが、カギを握るのは、「インターネット」の存在です。
インターネットの普及率の差
当時は今のように、インターネットでの情報交換は盛んではありませんでした。総務省のデータを参照すると、2003年時点は64.3%だった普及率が、たった10年間で、82.8%まで上昇します。近年はスマートフォンの普及で、個人が気軽にインターネットにアクセスする機会が増えました。
現在、オカルト系の噂というのは、科学的に実証可能だと判明すれば、一気に鎮火しますよね。当時はそのような鎮火はできません。そのため、今では「アステカの祭壇」は都市伝説のように鎮座し、人々を恐怖に陥れる「呪い」として成立し、色あせることなく存在しています。都市伝説に興味がある方は、以下を参照ください。
知らない人のための「アステカの祭壇」
先ほどから名前だけ独り歩きしていますが、「アステカの祭壇」とは一体どのようなものなのでしょうか。どんな写真か、といった解説はもう少し後の項目で詳述していきますが、ここでは「アステカの祭壇」の言葉を詳しく知りたい方のためのお話をしていきます。
「検索してはいけない言葉」のひとつ
「アステカの祭壇」は、その噂の性質上、「検索してはいけない言葉」の危険レベル8段階中、もっとも低いレベル1に指定されるキーワードです。本当に死者や呪いに悩まされている方が出ていたら、レベル1に置かれることはありません。その点でも、怯えすぎる必要はないといえます。
多くの霊能者から危険性を指摘されタブー的存在に
2003年、あるテレビ番組の中で、この「アステカの祭壇」が写ってしまった写真が鑑定されます。すると全国の霊能者が、この写真について抗議の電話をしたと云われます。その内容の多数が「危険なものを地上波で写すな」とのクレームで、「なんてことをしてくれたんだ!」という声もあったといいます。
ただ、もう一つの説として…殺到したのは霊能者からではなく、カメラを専門的に扱う方々からの電話だった、という話もあるんです。「心霊写真」として扱ったことに対し、「撮影ミスの写真なのに、デタラメなことを言うな!」という苦情だったともいわれます。
「心霊写真特集」の番組が減少した原因
いずれにしても、この苦情電話殺到の結果、当時の流行りでもあった心霊写真を特集する番組が減少していったともいわれています。もちろん他にも理由はあるでしょうが、このような説が出てしまうほど、「アステカの祭壇」に対する当時の反応は「過敏」でした。
どうして「アステカの祭壇」と呼ばれる?
なぜ「アステカの祭壇」という名前が付けられたのでしょうか。その理由は、やはり「写真」そのものにあります。どういった写真か先に説明すると、全体が赤っぽいモヤに包まれた不気味な雰囲気のものです。
盃にも、祭壇にも見える形を、浮かび上がらせているかのようにモヤがかっています。その形を見た上で、どうして「アステカの祭壇」と呼ぶことになったのか、当時の背景から解説していきましょう。
別々の場所で撮られた複数の写真に同じものが写り込む
写真は一枚のみならず、当時何枚も存在しました。しかも、すべて別の場所で撮影されたのでした。赤の光は、当初から危険や何かの警告を報せる色で、霊能者も鑑定に気合が入りました。こんなモノがたくさん撮れるのは、「何か日本で不吉なことが起きる報せなのでは?」という噂も、ともに広まりました。
実は番組内で「アステカ」とは言っていない
この「心霊写真」が番組で扱われた際には、そんな呼び名はついていません。番組内での鑑定では、形について「祭壇のような物」程度にしか言及していません。霊能者はほかにも、昔の「残酷な儀式」で使用した、という情報を残しました。
アステカは連想から付け足された?
この「祭壇」というキーワードと、「残酷な儀式」の側面から、アステカ文明における「人身御供」の儀式が連想され、これらを総じて「アステカの祭壇」と名付けたと言われています。「残酷といえばアステカ」という、安直な発想だったのです。
アステカに対する誤解
「アステカ=残酷」というイメージがあったとご紹介しましたが、このイメージは短絡的であり、文化の惨い一側面だけを、誇張しています。そこで、アステカ文明について少し補足し、ただ残酷な行為を行っていたわけでないことをお話します。
アステカという国家
「アステカ」は、研究者が名付けた名で、当初国家名はありませんでした。1428年から1521年までメキシコ中央部で続いた、メソアメリカ文明の国家です。「ナワ族」の中の、「メシカ」という民族を中心に構成されたと云われます。
アステカの人身御供は重要な儀式
アステカが「残酷」と言われるのは、この「人身御供(ひとみごくう)」の儀式が関係しています。メソアメリカでは、太陽はいつか消滅するという「終末信仰」がありました。太陽の消滅を防ぐために、神へ「人間の心臓」を捧げなければならないと云われており、重要な儀式のひとつだったのです。
雨乞いや豊穣祈願にも、「人身御供」は必須でした。また、アステカの場合、「ツォンパトリ」と呼ばれる祭壇を用いて儀式が行われますが、この祭壇は「数千もの頭蓋骨」で、できています。頭蓋骨の7割は男性、2割が女性、あとは子の頭蓋骨も含むそうです。
生贄は特別な存在、誰でも良いわけではない
人身御供に選ばれる人間は誰でも良いわけでなく、選ばれるのは名誉なことでした。その反面、儀式自体は惨いもので、祭壇に手足を押さえつけられ、生きたまま胸を石のナイフで裂き、心臓を鷲づかみでとり出すのです。