白鳥由栄4度の脱獄歴!「昭和の脱獄王と呼ばれた男の驚きの能力と方法とは?

白鳥由栄の名言

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白鳥には脱獄に対して彼なりの美学があったといいます。生涯4度の脱走はすべて単独で行い、だれ一人傷つけても巻き込んでもいません。ただ囚人たちの扱いが酷い刑務所や刑務官に対しての警告であり仕返しだったのです。

名言①「人間のつくった房ですから、人間がやぶれぬはずがありませんよ」

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白鳥はのちに囚人たちにも英雄扱いされたのですが、そのときに、自分自身の口から語られた言葉が語録と揶揄されるように語られています。すでに白鳥は有名人で、時の人です。学校では白鳥ごっこなる遊びが流行りました。

「ヤモリを考えてもらえばいい」

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これは網走刑務所から脱走したときのことを聞かれたときの答えでした。垂直な壁を上る訓練をひそかに開始しました。壁の角を背にして、両手足を突っ張りよじ登ります。もともと体力には自信があったのです。

「毛布をもう一枚下さい。さもないと脱獄します」

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看守もきつかったのです。脱走者が出れば、懲戒解雇や減給になります。自分が担当の時にやられたらたまったものじゃありません。白鳥はそれを知りながら。低い声で看守に向かい「脱獄するぞ」と言っては怯えさせていました。

白鳥由栄4度の脱獄の果に

白鳥は4度の脱獄をして、世の中に名前を知られるようになりました。札幌刑務所を脱獄してから白鳥の足跡は完全に途絶えていました。脱獄してから295日後白鳥は札幌市琴似町で職質を受けます。大きな荷物を背負っていました。

与えたタバコが白鳥の心に響いた

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彼が背負っていた風呂敷包は、1人でかつげる量ではありませんでした。この頃でもまだ怪力でした。その包に怪しいものはなかったのですが、調べるうち、日本刀が一振り入っていました。調べていた巡査は泥棒を疑ぐりました。

その男がタバコが欲しいと言ったので、当時貴重だった光を、一本渡しました。すると、男は脱獄犯の白鳥だと名乗ったため、巡査は派出所に連行しまさした。あまりにも有名な白鳥だと聞いて、巡査は震えました。

模範囚として服役・仮釈放

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タバコ1本で張り詰めていた白鳥の気持ちは崩れたと、のちに本人が語りました。厳しい刑務所暮らしで、人の優しさに脆くなったのです。白鳥の護送に警察は頭を悩ませました。東京まで、普通の犯罪者なら一般人と同じ列車で護送されます。GHQは、特別に郵便貨物での護送を認めました。

護送官は6人、6日もかかる旅でしたが、白鳥は眠らないのです。超人的な体力を思い知ったと語られています。白鳥は懲役20年と無期懲役3年でした。死刑を免れていました。白鳥は逃げることをやめました。

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府中刑務所の所長は白鳥が着くやいなや、手枷も足枷も外しました。すぐに外してしまうなら、意味がないと思ったのです。すぐに入浴させ、房には花が飾られていました。房の鍵も外されました。これで白鳥もまた脱獄する理由がなくなったと話しました。

白鳥由栄の最期

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府中刑務所でおとなしく運動場所に座っている白鳥に所長が声をかけたことがありました。なぜ逃げないかと問われた白鳥は「もうつかれましたよ」と答えます。所長はこのとき白鳥の仮出獄の申請を決めたと言います。申請が叶ったのは10年後。白鳥は出所後保護師のところにいました。その後は転々と住まいを変えて日雇いの仕事をしていました。

白鳥由栄はとうとう病に倒れます。1972年2月24日三井記念病院にて、心筋梗塞のため死去しました。遺体の引き取り手はいないとされ、無縁として埋葬されることになりました。その時、仮出所している時に親しかった女性が、現れて遺体を引き取りました。享年71歳。富士山の見える墓地に眠っています。

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