内ゲバとは?その意味や実際に起こった主な事件をご紹介!

2か月後に革労協は報復的内ケバ事件を起こします。それが浦和車両放火殺人事件です。被害にあったのは革マル派のメンバー4人。革マル派のメンバーは報復を恐れていたので車の窓ガラスに鉄板や金網で防護した特殊車両に乗っていました。

トラックで前後を挟んで車両にガソリンを流し込む

革マル派の車を前後トラックで挟み込むと約10人が車を囲みます。そして車両の窓からガソリンを注ぎ込み4人の被害者が乗車したまま火を付け焼き殺しました。戦争という表現がぴったりくる凄まじい内ケバです。

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内ゲバに関する悲劇的なエピソードも

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内ケバによって引き裂かれた恋がありました。内ケバが大学構内で頻発していたことからもわかるように、内ケバは学生運動とは切っても切れない運命にあります。自分の青春を学生運動や闘争に賭ける熱い時代があったのです。

「学生運動のロミオとジュリエット」

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内ケバの最大の舞台となってしまった各マル派と中核派。この組織内対立の末に永遠の別れをしなくてはならないカップルがいました。それが奥浩平と中原素子です。闘争と警察による逮捕。激しい内ケバの中で奥浩平は自決という道に突き進んできます。

関係が引き裂かれ自殺

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奥浩平と中原素子は愛し合っていたカップルでした。しかし2人は中核派と革マル派という殺し合いを演じる組織に属していました。どちらの組織からも抜け出すことは出来ません。関係が悪化し思い余った奥浩平は「青春の座表」という遺稿を残しこの世を去ってしまいました。

幕末の水戸藩でも内ゲバがあった?

幕末の水戸藩でも内ケバが発生していました。水戸藩は吉田松陰や西郷隆盛にも影響を与えたとして有名です。しかし明治の新政府には水戸藩ゆかりの人物は皆無です。それには水戸藩の内ケバとも言われる天狗党の乱が大きく関係しています。

天狗党は尊王攘夷の急先鋒

幕末期の水戸藩で実験を徐々に掌握し尊王攘夷の考えを推し進めていたのが天狗党。この天狗党は藩の改革を進める革新勢力。天狗党には身分が低い武士が多かったのでそれを揶揄したのが既成の保守勢力。天狗になって調子に乗っている、といったのです。

天狗党の乱が勃発

江戸幕府が倒れる3年前。天狗党は公武合体を非難し尊王攘夷を成し遂げるために水戸藩から乱をおこします。それが天狗党の乱です。しかし幕府からの討幕軍により敗走。水戸藩は旧保守派の公武合体派によって政権が運営されます。

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