雫石慰霊の森は日本最恐の心霊スポット!心霊体験談と悲劇の事故の真相

ユーチューブに事件現場の詳細を記録した写真を繋げて動画にしたものがあります。2度とこのような悲しい事故が起こらないように!そして事故を風化させないためにここにアップします。完全な遺体が沢山出てきます。見る人は覚悟をもってみて下さい。

雫石慰霊の森誕生の要因|一番の要因は操縦者の不注意?

慰霊の森が誕生するきっかけとなった飛行機事故。多くの乗客がの命が一瞬のうちに無残に消えてなくなりました。乗客は何が起こっているかもわからないままパニックの客室の中で最後の時を迎えたことでしょう。この事故を風化させないためにも事故の原因を簡単に紹介します。

自衛隊訓練生が注意不足だった

自衛隊訓練生は当時の年齢で22歳。将来有望な幹部候補自衛官でしたが飛行技術は未熟でいした。共に飛行していた教官機との編隊を意識しすぎ旅客機の発見が遅れています。旅客機を発見したのが接触の2秒前です。

全日空運転手が回避行動を取らなかった

全日空運転手は接触の7秒前に自衛隊訓練機を視認しています。そこから緊急避難の旋回に入りますが間に合いませんでした。常に飛行空域を見張っていた運転手はなぜか自衛隊機に気が付けませんでした。

自衛隊教官の回避指示も遅れた

接触した訓練生と編隊飛行をしていた教官機も全日空機を視認するのが遅すぎたとわれています。その為訓練機への避難指示が遅れ接触が回避できませんでした。また訓練機は通常の訓練をする高空域からジェット機が飛行する高空域へ侵入していました。

総合して考えるとそれぞれのミス

重大な惨事を招いた全日空機と自衛隊機の接触事故ですが、詳細を見ていけばそれぞれのパイロットが小さなミスを重ねてしまったことが分かります。その結果通常では考えられない、まさかと思うような事態を引き超してしまったのです。いわゆるニアミスが原因だったのです。

全日空雫石衝突事故のその後

悲惨な事故を経験し二度と同じような事故が発生することが無いように「航空安全緊急対策要綱」が策定されました。この対策要綱では上空で飛行機同士が接触することを防ぐことが最大の目的にされていました。

この事故によって、現在の飛行制度が作られた

全日空雫石衝突事故のあと、上空で飛行機同士が接触するという事故は日本国内では発生していません。全日空雫石衝突事故で多くの事を学んだ航空関係者の尽力と、犠牲者の御霊によって現在の安全な飛行が確立されました。この事故で策定されたルールの一部を紹介します。

  • 自衛隊航空機の飛行空域を他飛行機と完全分離
  • 自衛隊レーダーサイトによる訓練支援の拡充
  • 航空路監視レーダーによる航空路管制の拡充

戦闘機の訓練生のその後は?

接触した事故機から自力で脱出した訓練生は後戦闘機のパイロットから救助飛行機のパイロットへと所属を変え、定年退官するまで人命の救助を専門とする自衛官として活躍をしました。彼の人生も事故によって大きく変わってしまいました。

訓練機のパイロットはパラシュートで離脱

全日空機と接触した訓練機は機体が操縦不能に陥りきりもみ状態で落下していきます。その中で訓練生は脱出レバーを操作しパラシュートにて脱出に成功しました。接触した両機の中で唯一の生存者となりました。

教官機の自衛官は失職

教官機のパイロットをしていた自衛官は自衛隊法によって職を解任され失職しました。再審請求をするべきであるという声も大きかったのですが、元教官はそれを辞退し退官をしました。またパイロットとしての職に就くことも2度とありませんでした。

雫石慰霊の森では今日も手厚い供養が行われている

雫石慰霊の森では今でも事故で亡くなった162名の供養が手厚く行われています。被害者の家族だけではなく地域住民によっても神聖な場所として清められているのです。手を合わせる人は今でも途切れません。

毎年清掃活動や献花が行われている

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事故があった7月には毎年、供養祭が執り行われ清掃活動や献花が手向けられます。事故の関係者や家族にとってここは忘れることが出来ない場所なのです。また、航空関係者は2度と同じ事故を繰り返さないための使命を新たにする場所でもあるといいます。

2019年航空安全記念の塔改修工事が始まる

2020年には事故から50年という歳月が過ぎます。雫石慰霊の森の供養塔やその周りの階段や手すりも老朽化が進んでいます。これからの世代へ事故の悲惨さと安全の大切さを受け継いでいくために施設の改修工事が始まりました。

NEXT 2020年に50回忌が行われる