髪が伸びるお菊人形は魅力がいっぱい!恐れられる人形のかわいい素顔に迫る!

二つ目は、単純に、その当時「市松」という名の子が多かったため付けられた、との説です。三つ目は、販売の際に「市松模様」の服を着ていたから「市松」…という説ですが、ほとんどは裸の状態で売られる状況を考慮すると、その説は薄いといえます。

「お菊人形」の現在

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一時期すごく話題になった「お菊人形」、今はどこに居るんでしょうか?今ではまったく話題に出なくなってしまったのですから、気になりますよね。現在のお菊人形の居場所や、今の姿をお伝えします。

北海道岩見沢市の「萬念寺」に居る

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お菊人形の噂が出始めた当初から言われる、北海道岩見沢市栗沢町の「萬念寺」にいまも居ます。お寺の戸の左側には「お菊人形安置場」と大きく書かれた木の看板が立っています。年に一度、3月にお菊人形の「整髪会」が執り行われるそうです。

見学はできるが写真撮影はNG

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お寺の住職やスタッフに声を掛ければ、お菊人形に直接会うことができます。撮影は動画でも静止画でもNGです。お菊人形に宿る魂が撮影を嫌がり、とくに写真だと不機嫌そうな顔や恐ろしい表情を浮かべてしまうためだそうです。実物に会ってみると、「意外と怖くなかった」との声が多いようです。

「お菊人形」を知る人が今でも訪れる

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当時のオカルトブームで、「髪の伸びるお菊人形」を知った子どもたちが大人になり、実際に会いに来るというケースも多いのです。また、単純に現在のお菊人形の姿を拝もうと、何度も訪れる方も少なくないそうです。

「お菊人形」が有名になった経緯

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なぜ「お菊人形」は、世に知れ渡ることになったんでしょうか?お菊人形がオカルト好きの間で知られるきっかけとなった記事を紹介し、変化していった「お菊人形の伝説」を比較しながら、お話していきます。

「髪が伸びる人形」として雑誌で知られる

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初の登場は、1962年8月6日号の『週刊女性自身』です。同誌上では、1958年に鈴木助七は、娘の「清子」が大切にしていた人形を「萬念寺」に預けます。預かり受けて3年後のある日、住職は夢の中で助七に「人形の髪を切って欲しい」と伝えられます。翌朝、住職が人形を確認すると、なんと髪が伸びていたんだそうです。

続いて、1968年7月15日号の『ヤングレディ』では、時代背景が大正になり、娘の名前も「菊子」になります。父の助七が娘に人形を買い与えた一年後、菊子は病死してしまいます。樺太に行くことになった助七は、人形を「萬念寺」に預け、数年後、住職が人形の髪が伸びていると気付く…というストーリーでした。今の伝承と若干違います。

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