乙事主に驚きの裏設定!?名前の由来や祟り神のモデルなどその秘密に迫る!

国内外問わずジブリを代表する名作『もののけ姫』。さまざまな印象的なキャラクターが登場しますが、人間ともののけとの争いやタタリ神を語る上で欠かせないのが乙事主です。今回はさまざまな憶測や裏設定もある乙事主について詳しく解説します。

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乙事主の驚きの裏設定!?

映画『もののけ姫』には、魅力的なキャラクターが数多く登場しますが、乙事主もまた存在感の大きいキャラクターです。その存在の凄みや迫力、底深さは、劇中では語られていない隠れた設定に起因するものとも言われています。多くの人が知らなかった乙事主の裏設定とは、いったいどのようなものなのでしょうか?

実はモロと恋仲だった!

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美輪明宏さんが演じるモロ。物語のヒロインであるサンを我が子同然に育てた、大きな雌の山犬です。劇中で彼女が、タタリ神となりかけている乙事主に対峙した際のセリフに「言葉まで失くしたか…」というものがあります。宮崎駿監督はアフレコ時、このセリフを収録する美輪さんに、演技の参考として次のような隠れた設定があることを伝えました。

「実は、モロと乙事主は、かつて恋仲になったことがあり、100年前に別れている」というものです。宮崎監督はこのセリフで、モロの女らしさも表現してもらいたかったと言います。山犬と猪が恋愛関係にあったという設定には、関係者ですら驚きを隠せませんでした。ちなみに、モロの劇中での年齢は300歳、乙事主は500歳です。

名前の由来は宮崎監督の別荘?

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乙事主という不思議な響きの名前は、地名が由来だと言われています。それは、宮崎監督の別荘がある「長野県諏訪郡富士見町乙事」という場所です。ちなみに「エボシ御前」や「甲六」という名前も、同様に長野県富士見町の地名が元となっています。では、「乙事」という地名にはどういった意味があるのでしょうか。

「乙事」という地名の由来は?

「乙事(おっこと)」はかつて「音骨・乙骨(おつこつ)」と呼ばれており、これは「遠近(おちこち)」という言葉がなまったものだとされています。遠近とは、「あちこち」の元となった言葉。つまり、遠いところと近いところという意味の言葉です。乙事には「あちこちから人が集まってきた場所」という意味があるのです。

乙事主が居た鎮西ってどこ?

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乙事主の最初の登場シーンにおいて、猟師が「鎮西の乙事主だ」と言い、ジコ坊が「鎮西?海を渡ってきたというのか」と驚くセリフがあります。乙事主のもともとの住処は「鎮西」と呼ばれる場所であることがわかりますが、それはいったいどこなのでしょうか?

鎮西は九州

「鎮西」という言葉の意味は、本来「西を鎮めること」を言います。日本においては、かつて鎮西府(大宰府)が置かれていた場所、つまり九州のことを指しました。乙事主は配下の猪を従えて、九州から本州へ渡ってきたのです。

どうやって九州から渡ってきたのか?

九州と本州の間を隔てる関門海峡は、最も幅の狭いところで600メートルほどの距離です。猪が泳いでこの距離を渡ることはできるのでしょうか?実は、意外と不可能ではありません。

猪という動物は、本来は水が苦手で泳ぐことはありませんが、その気になれば30キロメートルほどを泳ぎ切ることがあると言います。実際に、九州や瀬戸内海では、数キロ離れた島に向かって泳ぐ猪が、度々目撃されています。

もののけ姫の舞台ってどこ?

スタジオジブリの公式ホームページによれば、『もののけ姫』制作の際に参考にした場所として、屋久島と白神山地が挙げられています。しかし、これらはあくまで絵作りのモデルとして参考にした場所であって、物語の設定上の舞台ではありません。

「タタラ場」や「シシガミの森」のがある場所は、中国地方、中でもたたら製鉄が盛んであった出雲の国(現在の島根県)であると言われています。

500歳の猪神乙事主の目は見えていない?

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劇中において乙事主は、遠く離れた場所に隠れていたジコ坊らを察知し、非常に優れた知覚能力を持っていることを示しました。一方で、乙事主に会ったサンは、その目を見て何かを察し、そののち「乙事主さまの目になりに行きます」というセリフを口にします。このことは、乙事主というキャラクターの、どのような特徴を表しているのでしょうか?

目には目やにが!もう目は見えていない?

劇中で、乙事主と対面したサンは、彼の目を気遣います。クローズアップされた乙事主の目は、白く濁り目やにも出ているようです。目やには典型的な眼病の症状です。その上、瞳が白く濁っていることから、乙事主は「白内障」を患っていることが推察できます。

白内障は老化によってかかりうる病気です。齢500歳になる乙事主なら患ってもおかしくはありません。彼の目は最早ほとんど見えてはいないでしょうが、ほとんど不自由なく動き回れるのは、優れた嗅覚やそれ以外の鋭敏な察知能力によるところでしょう。

乙事主のような白い猪は現代でも希少で縁起が良い

猪は多産であることから、古代の日本においては豊穣の象徴とされました。その名残からか、猪を守り神や神の使いとして祀る神社は、いくつか存在します。特に白い毛の猪は、希少で縁起の良いものとされ、時折捕獲されることがあると、それらの神社に奉納されます。

大分県玖珠郡九重町の宝山には、財宝を守る白い猪の伝説があり、その姿を見たものは幸福になると伝えられています。2005年にこの宝山と近くの山で2匹の白い猪が見つかり、山中に建つ宝八幡宮に奉納されました。他にも鹿児島県霧島市にある和気神社では、神社の守り神として白い猪が飼育されています。

乙事主のモデル?古事記に登場する大猪

日本神話の古事記には、度々大猪が登場し、人間の王や英雄の前に立ちはだかります。特に乙事主を連想させるものとして、二つの話を紹介します。一つは、伊吹山の神の化身である白い大猪の話、もう一つは、葛木山の大猪とその山の神、その名も「一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)」の話です。

どちらの話も、人が神の力を恐れていたことを伝えるもので、『もののけ姫』で描かれる時代には、その力関係が逆転していることが読み取れます。

ヤマトタケルを打ち負かした白い大猪

古事記の英雄、ヤマトタケルが、伊吹山(滋賀県と岐阜県にまたがる山)の神を平定しに向かいます。「この山の神は、素手で倒す」と徒手空拳で山に登ろうとするヤマトタケルは、麓で牛ほどの大きさのある白い猪に遭遇しました。彼は「この猪は山の神の使いに違いない。帰る時に殺してやる」と宣言します。

ところが、そのまま山を登って行ったヤマトタケルは激しい雹や雨に打たれ気絶し、その後何とか山を下りたということです。実は、大猪は神の使いではなく、山の神そのものの化身だったのです。使いと言われて怒った神が、雹を降らせてヤマトタケルを追い返したのです。

葛木山の大猪と「一言主(ひとことぬし)」

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雄略(ゆうりゃく)天皇が葛木山(奈良県と大阪府にまたがる山)に登った際の話しです。彼の目の前に、大きな猪が姿を現します。天皇がその猪に向かって矢を射かけると、怒った猪が突進してきました。天皇は木に登って難を逃れます。

また別の日に、雄略天皇は役人らを連れて葛木山に登りました。すると、装束から姿かたちまで、全く似通った一団と鉢合わせます。天皇は「この国の王は私しかいないのに、そのようにふるまうのは何者だ」と尋ねると、相手も同じ問いかけをしました。

怒った天皇一行が弓矢を構えると、相手側も同じく矢をつがえます。「名を名乗れ」と再び問う天皇に対して、相手は「葛木山の神、一言主である」答えました。天皇は畏まって一言主に献上品を差し出し、一言主は天皇の敬意に答え、一行が帰る際に麓まで送ったとのことです。

乙事主の有名なセリフ

『もののけ姫』という作品において、乙事主は重要なキャラクターであり、彼の発した言葉には、考察の余地のある深みがあります。それらから、彼がどのようなキャラクターで、どのような運命をたどるのか、紐解いていきます。

セリフシシガミの森でモロらとのやりとり

猪達は物理的な力を信じ、文字通り猪突猛進で人間に挑もうとします。そんな彼らには、何故一族からタタリ神が出てしまったのかがわかりません。それは、少しは話の分かる乙事主も同じでした。

そのためアシタカの「この呪いを消すすべはないのだろうか」という問いに答えられず、「小僧、森を去れ。今度会ったら、お前を殺さんといかん」と、せめてもの慈悲をかけることしかできなかったのです。

セリフ②「戻ってきた!黄泉の国から戦士が帰ってきた」

圧倒的な人間の力を見せつけられ、戦士達を殺された彼の心に、人間への恨みと、死への恐怖が募っていきます。「シシ神よ、いでよ!汝が森の神なら、わが一族を蘇らせ、人間を滅ぼせ」と続くこのセリフは、死から目をそらし、人間への恨みを晴らそうとする彼の心情を表したものであり、タタリ神となる一歩手前にいることがわかります。

セリフ③「熱いぞ。からだが火のようだ」

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彼の最後の言葉です。これ以降、彼はタタリ神に変貌してゆき、言葉を失ってしまいます。人間への怒り、恨み、憎しみそして、理不尽な死への恐怖が、まるで火のように沸き上がり、もはや自らの理性では制御できなくなったことが伝わるセリフです。

何故乙事主はタタリ神に成ったのか?

物語の序盤において登場するタタリ神は、ナゴの守という猪神のなれの果てでした。そして、クライマックスでは、偉大な猪である乙事主が、醜いタタリ神に変貌してしまいます。いったい何が、彼らをタタリ神にさせてしまったのでしょうか?

「死への恐怖」が原因?

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ナゴや乙事主がタタリ神に成ってしまった理由のヒントは、劇中のセリフにあります。「奴は死を恐れた」とモロは言いました。モロもナゴの守と同じく、石火矢のつぶてをその身に受けていますが、タタリ神にはなりません。彼女は死を恐れず、向き合っているからです。

乙事主もナゴも誇り高い戦士でした。しかし、だからこそ、人間により制圧される憎しみや、強制的に殺される恐怖に耐えられず、タタリ神と成ってしまうのです。

乙事主は完全にタタリ神に成ったのか?

タタリ神に成った証として、体から蛇のようなものが出るという現象があります。しかし、ナゴの守と乙事主とでは、この蛇の出方が違っていました。完全にタタリ神と成っていたナゴは、黒い蛇が全身を覆いつくしています。一方、乙事主がタタリ神化した際は、赤い蛇が体の一部から出ているに留まっていました。

また、変貌する乙事主に触れたサンが、アシタカのように呪いを受けなかったことからもわかるように、彼は完全なタタリ神と化してはいませんでした。エミシの村のヒイ様によれば、ナゴは「走り走るうちに呪いを集めタタリ神に成ってしまった」ということです。完全なタタリ神となるには、怒りや憎しみを増幅させる期間が必要なのです。

タタリ神にはモデルがいた!?

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まるで蜘蛛のような姿で村を襲ったタタリ神。あの造形にはどのような意味が込められていたのでしょうか?実は、このタタリ神にはモデルになった妖怪がいたのです。その妖怪の正体から、宮崎監督の意図を汲み取っていきます。

モデルは妖怪の土蜘蛛

「アシタカがタタリ神を倒した伝説が、長い年月のうちに源頼光の蜘蛛退治の話になった」というのが、宮崎監督が作品に組み込んだジョークでした。タタリ神のモデルは源頼光が退治した蜘蛛ということです。これは「土蜘蛛」という妖怪です。

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