てるくはのる事件とは?
今回お伝えする殺人事件は幼い子供の命が奪われるという非常に後味の悪い殺人事件です。そしてこの事件の犯人が謎の暗号を残して自殺した点やそれによる警視庁の失態という点でも話題になりました。ここではこの事件の簡潔な内容について見ていきたいと思います。
1999年に京都で起きた殺人事件
この事件はまだ小学生の少年が顔を隠した男性によってナイフによって刺殺されました。この男性は犯行の後自転車を使って逃げています。非常に痛ましいこの事件には犯行の際に残したとされる文字があり、それが今回の事件が非常に注目されるものとなったのです。次から犯人が現場に残した謎の文字について迫っていきます。
犯行文章に「てるくはのる」の文字
今回の事件が行われた現場には殺害の際に使用されたとされる凶器類や犯人が書いたとされる手書きの紙が残されていました。そしてそれらには今回の事件に関する内容や犯人自身が学校に恨みを持っていたこと、自身を探すなといった事などが書かれていました。
しかしこの文書の中で最も奇妙な部分はてるくはのると書かれた文で、あまりにも意味不明なこの文字の並びが、何か犯人の重要な意味を含んでいるのではないかとマスコミを中心とした報道によって知った人々の間で噂となり、この文字に関してあらゆる憶測が飛び交うようになったのです。
てるくはのる事件の捜査の流れ
このようにして犯人が残した非常に奇妙な文字列から話題になったこの事件ですが、今回の事件について様々な捜査を行いました。ここではその内容について、日にちの順を追って説明していきます。
事件当日1999年12月21日犯行
当日の捜査は、被害者の子供の学校から少し離れた距離にある公園内で犯人のものとみられる血が付着した衣類品や逃げた際に使用したと考えられる自転車の発見といった内容でした。これ以外にも新品のナイフが捜査によって現場から発見されています。
そして捜査の結果、この自転車は防犯用の登録がされており購入先の店舗も判明しました。その結果購入した人物は山崎という人物で、犯行現場の近くの店舗の住所が登録の際の住所として記載されていることが分かりました。
12月30日に犯人と似た人物を確認
そして9日後、ついに犯行場所から少し離れた場所にあるホームセンター内で現場で発見された凶器と同じものを購入していた男性がいたことが分かりました。更に店の防犯カメラの映像の姿から容疑者の姿と似ていることも確認され、捜査の足取りが一気に進むこととなりました。
1月28日に犯人画像を公開
そしてこれまで容疑者にマークしていた男性の顔写真が公に公開される事になります。しかしながらこの人物以外にも、実は犯人なのではないかとこちらの男性を疑う以前にマークしていた男性がいました。
その男性は犯行現場近くに住んでいる20代の浪人生の男性をマークしており、その最大の理由は彼が学校の子供の教育の為の制度に対して不満を持っている人物だからだとされています。このように複数の容疑者がいた今回の事件ですが、この後警察は20代の男性の逮捕に踏み切ることとなります。
てるくはのる事件は2月5日に急展開|警察への批判も
こうして犯人の姿が明らかになっていった今回の事件ですが、事件は急展開を迎える事になります。ここでは犯人である20代の男性を逮捕するまでの詳細な内容と、犯人の自殺によって起こった警察の批判についても触れていきたいと思います。
午前7時頃に警察が岡村浩昌に任意同行を求める
午前7時ごろに警察は犯人を逮捕する為に男性の自宅へ向かい、同行するように促します。しかし男性は失礼だとこの同行を拒否します。その後親に息子を説得して欲しいと話し、そして公園でなら話しても良いと捜査官と共に公園へ向かいます。
その後午前8時ごろに公園で同行の説得を試みるも男性は拒否を続け、中々話が進展しない膠着丈太が続くこととなります。その後公園に男性の母親を再び呼んで説得を試み、そしてついに自宅の捜索を始めることが決定しました。
午前11時頃に自宅で証拠を発見
そして午前の11時には自宅の捜索が始まり、男性の自室から今回の事件に関する内容が記されたメモなどが見つかり、犯人が逃げる際に使用したとされる自転車の購入者の名前がそのメモ内に記されていたことから証拠として押収することとなりました。
しかし犯人は直前に持っていた荷物を警察に投げつけ、お店に逃げ込むとさらにその後少し離れたところにあった団地アパートに逃げ込みます。そしてこの後、犯人の男性は衝撃的な行動を起こす事になるのです。
午後0時40分頃、岡村浩昌飛び降り自殺
なんと犯人の男性は逃げ込んだ団地の屋上に出るとそのまま飛び降り、自殺をしてしまうのです。当初警察は団地の13階から自殺を行ったと発表したものの、実際には団地の屋上まで、逃げ込み、その後そこから飛び降りたことが判明しています。
犯人岡村浩昌の自殺で警察に批判が殺到
こうして事件は犯人の逮捕前に自殺をしてしまうという非常に後味の悪い終わりを迎えました。そして同行を求めた人物に簡単に逃げられ、それどころか逮捕もできず自殺を許してしまった点について世間から多くの批判を受け、担当していた捜査員たちはこれらの杜撰な操作の実態について非難されることとなりました。
てるくはのる事件の犯人岡村浩昌の生い立ちとは
こうして犯人の自殺、警察の杜撰な捜査に対しての世間の多くの批判といった形で今回の事件は幕を閉じましたが、ではここで今回の犯人が一体どのような人生を歩んできたのか、事件を起こすまでの軌跡を見ていきたいと思います。
犯人は21歳の浪人学生「岡村浩昌」
今回事件を越した犯人は後述する高校を卒業した後大検を受ける為に勉学に勤しむ浪人生だったようで、家にこもりがちな青年でした。この浪人生だった青年がなぜ罪のない子供を殺害したのか、その点について触れていくために、まずは小学校時代の彼の姿から見ていきたいと思います。
岡村の生い立ち①小中学校
彼は小学校時代に父を亡くし、家計は母親が働いて生計を立てていました。小学生の頃は生清優秀であり、足も速く大会にも出場していたようですが、同級生から食べ物を買いに行かせられたり、お金を取られるといったいじめをうける辛い少年時代でもありました。
中学校に進学した後も成績優秀なのは変わらず、部活も野球部に所属するなどしていました。しかし5歳年上の兄の家庭内暴力などこの頃の家庭の環境は酷かったようです。その後犯人の男性は第1志望の高校受験に失敗し、違う高校に進学することとなります。
岡村の生い立ち②高校~
こうして高校に進学し、1年生時は成績も優秀で普通の高校生活を送っていました。しかし2年生になると突如高校を中退するといった事を考えはじめ、学校も休みがちになってしまいます。その後は家族やカウンセラーの先生と話し合い、1年の休学期間を設けることとなりました。
しかし休学から復学後も彼の学校を辞めたい気持ちは変わらず、担任の先生が必死に手助けをしつつ最終的には単位の足りない彼の為に追試を受けさせることで卒業することになりました。しかしこれに関して納得がいっていなかったのか卒業について取り消ししてもらいたいという事を犯人は何度も話していました。
てるくはのる事件はなぜ起きたのか?
ここまで犯人の高校卒業までについて見ていきました。卒業に関して不満を持っていたことが分かりましたが、ではなぜ犯人は今回の事件を引き起こしたのでしょうか。ここでは犯人がこの事件を起こした動機について見ていきたいと思います。
犯人岡村浩昌の犯行動機とは
この犯人の動機についてですが、犯人の男性はこの犯行を行う前、テレビゲームにはまっていたことが分かっています。そして今回の計画性の全く感じられない犯行内容や暗号のような文体といったフィクション世界の様なものを残すという点から犯人はゲーム感覚で今回の犯行を行った可能性が高いです。
犯人が事件について語る前に自殺によって永久に口を閉ざしてしまったために犯人が犯行前何を考えていたのか、何に恨みを持っていたのか、真実にはたどりつくことはできませんが、もしこのような考えで罪のない子供の命を奪ったのならば、非常に稚拙で許しがたい動機だと感じます。
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