騒音おばさんの事件の裏には驚きの真実が?
全国的にニュースでも取り上げられ、当時話題になり一躍時の人となったわけですが、マスメディアの情報では完全に悪者ですが、実は報道されなかった隠された真実があるのです。この記事ではその真実について記述していきます。まずはどういう人で何をしたかを、皆さんに改めてご紹介します。
騒音おばさんとは?
そのあだ名と言っていいのかわからない名称からもどういうことをした人なのか想像つきます。名前は河原さんと言うそうで見た目はごく普通の主婦ですが、果たしてこの人は何をして、このような名前がつけられたのでしょうか?
この出来事は今でも覚えている方がいらっしゃるはずですが、風船おじさんなるひともこの日本にいました。どんな人だったか何をした人なのか、気になる方がいらっしゃいましたらこちらの記事をご覧ください。
布団を叩く、ラジカセで音楽を流すなどの迷惑行為
騒音といえば、色々な音が当てはまるのですが、この場合の騒音は布団をバンバンと叩く音と、ラジカセの大音量の音楽や怒号の事です。大音量のラジカセはもちろん騒音ですが、前者に関しても限度を守らず布団をたたいてしまったり、時間帯によっては騒音になり、近所からしたら迷惑になります。
隣人夫婦に精神的苦痛を与えた
一番の被害者である夫婦にその騒音やおばさんの色々な行為により精神的苦痛を与えたのです。どれだけの被害を受けたかは、当事者である本人しかわからないと思いますが、相当なモノだったといえるでしょう。
テレビなどで取り上げられて有名に
勿論内容的には民事事件なのですが、その騒音の大きさの規模や異質な嫌がらせ方により、各メディアが取り上げ全国的でニュースとして報じられていたのです。実際の騒音を立てている様子も映像として放映され、一躍有名になったのです。
騒音おばさんが騒音を出す迷惑行為を始めたきっかけ
ではなぜ故意に騒音を出してそのようないやがらせを始めたのでしょうか?そのきっかけについてはあまり周知されていないようなので、こちらの見出しでご紹介していきます。徹底して騒音を出すのにもきちんと理由があったのです。
朝に布団を叩いていたことを注意された
朝に布団を叩く。というのはあまり悪いことにも思えませんが、この朝とは6時くらいだったといわれています。その時間に布団を叩いてたことを近くの夫婦が注意したのです。そのことが気に食わなかったのか、それが発端となって今回の事件になるわけです。
騒音おばさんの娘に対して隣人夫婦が悪口を言った
この事件の前に加害者であるオバサンには娘がいました。その娘は当時まだ赤子で、その赤子の鳴き声がうるさいと近くに住んでいた夫婦が苦情を入れたのです。そして不幸にもこのあと、その娘は若くして亡くなってしまうのですが、その夫婦がその亡くなった娘に対して悪口を言ったそうなのです。これも大きなきっかけと言われているのです。
近隣住民が騒音おばさんに対して民事訴訟を起こす
これからお話しするのは実際にニュースとして取り上げられ、有名になる前のお話しです。取り上げられる前にもこのおばさんは隣人トラブルを起こしていたのです。そのトラブルも民事裁判まで発展するのですが、そちらをご紹介します。
1996年に近隣住民が民事訴訟を起こす
近くに住む近所の住民ともめごとが起こり、喧嘩するようになったのですが、このトラブルは収拾がつかなく最終的には、近隣住民が1996年に民事訴訟を起こすのです。この裁判では住民が敗訴して、これを機に住民は越してしまいます。この後、あの夫婦がターゲットとなってしまうのです。
1999年に60万円の慰謝料が認められる
先ほどの裁判が終わった後、一日中朝夜問わず、毎日大音量のラジカセが鳴り響かせていたのですが、その被害に遭った先ほどとは違う住民がまた1999年に裁判を起こすのです。その裁判では住民側が勝訴して60万円ほどの慰謝料が認められたのです。
民事訴訟後に騒音おばさんの迷惑行為はエスカレート
この裁判で60万円の賠償金を支払うことになったこと、そして裁判に負けてしまったことでさらに火をつけてしまったのか、とどまるどころかこの後さらに迷惑行為はエスカレートしていたのです。これまでの執着した嫌がらせももちろんすごいのですが、ここからさらにその嫌がらせの規模が大きくなってくるのです。
24時間大音量で音楽を流す
一日中ラジカセを使って、ジャンル問わず様々な音楽を頭がおかしくなるような大音量で流すのです。それはいくつかの壁を隔てても、地響きのように聞こえてくるのです。そしてそれが一年中毎日のことなので、精神的ダメージは相当なモノでしょう。
車のクラクションを鳴らす
道路を走ってる車が普通にならしても、驚いたりしてしまう大きな音のクラクションですが、これを至近距離で故意になんども鳴らすのです。想像しただけでうるさくて生活に大きな支障をきたすのが分かるはずです。
音楽に合わせて怒号を上げる
更には先ほどの大音量ラジカセの音楽のリズムに合わせて、大きな声で怒号をあげるのです。怒号の内容は様々なのですが、特有名なのは『引っ越せ』と連呼するものです。まさに全身からでている声と言っても過言ではないくらい響いて大きな音だったのです。
騒音おばさんの有名なセリフ
行為のなかでも異質であるのが怒号。その怒号はあまりの迫力と、ラジカセの大音量に合わせて歌うように発するその言葉やセリフは、一部の間では名言、迷言として記憶に残っているのです。そんなセリフをご紹介していきます。
一番はやっぱり
一番印象深いセリフはやはり「引っ越し!」や「引っ越せ!」でしょう。実際に真似をするときなどはそのセリフを言いながら布団をバンバン叩くふりをすることが多いのです。掛け声のように短い言葉を強い口調で話すため、記憶に残りやすくインパクトも大きいのではないでしょうか?
空耳がある?
「またしゃしゃり出てきとる、抗議する!」というセリフを言うのですが、それがなんとなく聞いたら英語に聞こえるしく、しゃしゃりがサニーデイに聞こえたり、抗議する!がコールディスと聞こえるらしいのです。気になる方は一度聞いてみいてはいかがでしょうか?
2005年に騒音おばさんが逮捕される
エスカレートした迷惑行為からおおよそ5年後にいよいよ逮捕されることになるのですが、実刑として判決されたのがこれだけ時間がかかってしまったのはなぜなのでしょうか?逮捕に至るまでの経緯を詳しく解説していきます。
テレビで頻繁に報道されたものの証拠不十分
テレビで頻繁にその迷惑行為の一部始終、たとえば怒号や布団をバンバン叩く行為などが映像として報道されていたのですが、証拠としては不十分だったらしく、そのためすぐに逮捕にすることができなかったそうなのです。
被害を受けた隣人夫婦の診断書などでようやく逮捕される
被害者である夫婦が医者に診てもらい、実際に病気を患っている、療養が必要であると判断された診断書や騒音レベルの測定により、長い年月を得てようやく逮捕されることになったのです。逮捕されたことも当時のニュースでも相当話題になりました。
騒音おばさんは裁判で無実を主張
裁判では無実を主張し続けたのですが、その無実を証明する理由や見解についてこちらの見出しでご紹介していきます。当時の裁判中の様子や判決に至るまでの流れを、みなさんに分かりやすくお伝えしていきます。
奈良地裁では音楽を流す行為は傷害ではないと無実を主張
まず初めの奈良地裁では、音量に問わず音楽を流すそのものの行為は傷害ではないと、無実を主張したんです。音楽そのもの自体が傷害ではないということは理解できますが、その音量の限度が超えてくると、それが傷害であるか判断するのが難しくなってきます。
大阪高裁ではいじめにあっていたと無実を主張
また初めに原因を作ってたのは夫婦側だ、と主張するように、過去にいじめにあっていたことを、数十枚の手紙を通して読み上げようとしたのですが、途中で裁判官に止められてしまいました。このようにしてひたすら無実を主張したのです。
2007年に判決が確定
そして長い裁判を経て、2007年に夫婦側が勝訴し判決が確定したのです。懲役約2年の実刑が認められたのです。はじめは懲役1年でしたが、被害者側の弁護がそれでは実刑として短すぎるという主張があり、それが認められ実刑が延びたのです。