佐村河内守はどんな人物?
かつて世間を賑わせた代筆者騒動の主人公である彼は、音を失った素晴らしい才能を秘めた音楽家として注目されてましたが嘘がばれていき、現在では姿を見ることはなくなりました。どんな人物でどんなことで注目されたのでしょうか?
耳が聞こえないにも関わらずゲーム音楽などを担当
鬼武者のゲーム音楽や原爆をイメージして作曲したクラッシックメロディが共感を呼び、無音の音楽家として一躍時の人となりました。ですが、つかの間徐々に嘘がばれていき本当の正体が暴かれていくこととなるのです。
2014年に楽曲の全てがゴーストライターによるものと判明
事の発端は、新潮45で実は無音ではないのでは?と疑惑がでたことから、ある人物が週刊誌に直筆で彼が作り上げるメロディは嘘であると主張したことで、世間は賑わいます。
この直筆で訴えメディアに騒動として取り上げられたのが、真の音楽家である人物であったのです。
聴覚障害も嘘であると証明される
現代のベートーヴェンのような無音の音楽家として賞賛された彼ですが、再度検査をうけた診断結果は、中度の難聴でした。このレベルは障害者手帳を受け取れる対象ではないと判定されています。
これによって無音の世界を生きる障害を持ちながらも音楽を作ることができるという特徴が嘘だと世に知れ渡ることとなりました。
難聴音楽家として脚光を浴びる
NHK特番で彼の総集編が組まれたことで、一気に彼の音楽が世に知れ渡り多くの人が共感をしたのです。メロディだけでなく彼の曲に対する熱意やイメージを掴むための入りこみ方も独特だったことから、徐々にブームを引き起こします。
童謡について詳しく知りたい方は、こちらも良かったらご覧ください
佐村河内守がついた嘘とは?
彼の嘘は無音の耳だけはありませんでした。化けの皮が剝がれるように次々と何かが崩れ落ち、彼の人生を大きく左右することとなります。一体どんな嘘をついていたのでしょうか?
4歳からピアノの英才教育を受ける
母親からの熱心な指導の甲斐あって、10歳でベートーヴェンやバッハといった難易度の高い歴史ある曲を弾きこなしてしまい、「もう教えることはない」と言われたとインタビューで応えています。
でも実際は?
非常に初歩的なレベルで、小学生がピアノ教室を習って弾くようなものよりも低かったのです。しかも楽譜も全くかけないこと、ピアノ自体もなかったことが判明しています。
17歳で原因不明の聴覚障害を発症
原因不明の病や無音となってしまった耳を公表しています。また同じころ、音を感じなくても心で想像しながら作曲する独自の方法を発見したとも言っています。
真意は?
中度の難聴のため、聞きにくい音はあっても全くの無音の世界とは程遠かったのです。そして楽譜も読めず譜面も書けないため幽霊ライターを依頼し自分が作ったと世に出していたのです。
ゲーム「鬼武者」などの曲を作成
2001年にゲームの挿入曲として発表され、完成記者会見まで開きました。その際、耳の障害に加え数多くの病気を持病として持っており、常に頭の中で異常な音が響いていると公言するのです。
強制的なキャラ設定
このゲーム曲発表を境に音の全く聞こえない音楽家である設定にし、実際は音が聞こえていて仕事のやり取りも普通に会話で済ませるほど聞こえていたといいます。
新垣氏の名前も公開すると言い志願
電子ピアノを用いて曲を作っていたのですが、限界があることを悟り、新垣氏に協力してほしいと頭を下げます。この際に、佐村河内と作曲して表に出すこと、そして真の音楽家は裏方の演奏家として名前を出すこと、そして近い将来は必ず名を世に出し有名にさせるとの条件を出したといいます。
大きな嘘だった
新垣氏の名前は一切出ることなく、彼だけの作曲として世に拡散されていき彼だけの名前が有名になっていくのです。徐々に彼の要望が増えていき新垣氏は常に影の音楽家としてせっせと制作に励んだのです。
佐村河内守は「本当に耳が聞こえていないのか?」について疑惑の記事
一躍スポットライトを浴びてしまうと批判をする人物が出てきます。彼もそうでした。本当に障害があっても作曲できるものなのかと疑問を解いた記事は新潮45に掲載されたのです。
野口剛夫による楽曲批判
音楽そのものが本当に素晴らしければ、わざわざ全聾であることや病苦を強調して人から同情を得ることに熱心である必要はないはずで、そうなると彼の場合、音楽そのものだけでは自信がないのではないか、と思えてくる。(引用元「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か―新潮45より)
このように曲自体に自信があれば障害であるとか持病を持っていて毎日の体調の変化があるということを、わざわざ公表しなくてもいいのではないかといった内容です。
記事はあくまでも全聾への疑惑についてだった
疑惑は、耳が聞こえないことやたくさんの持病などのハンディキャップは、総集編のように集められた病であり、本当にそのような絵にかいたような重なる病が現実に起こり得る物なのかといった疑惑を書いています。
2014年に週刊文春にゴーストライター新垣隆の告白が掲載
ついに真実が明かされるときがやってきました。週刊文春が彼の本当の姿をスクープしたのです。その掲載された翌日に彼は代弁しますが、これにも嘘をつき通したことで幽霊ライターであった真の音楽家が動き出すこととなりました。
これまでの楽曲は新垣隆が作曲したものだった
彼は代言人を通して代弁しました。耳が聞こえたくなったため作曲家に依頼をしていたが、その人物は表に出れない事情があるとして公表しましたが、その翌日に代筆者が騒動の詳細を明かすためについに表舞台に出たのです。
佐村河内守は楽譜も読めない素人だった
新垣氏が表に出たことによって、次々と彼の嘘で囲った姿が剥がされていくのです。音楽家と装っていますが楽譜も読めずピアノも初歩的レベルの音楽家とは程遠い素人だったのでした。
佐村河内守の耳は聞こえており、会話も問題なくできる
新垣氏とのメロディ作りは打ち合わせをし、ときには作曲したメロディを聞きながら試行錯誤していたといいます。そして自分の指示も会話で伝えていました。耳で音を感じ取っているからできるやり取りだったのでした。
新垣隆の衝撃的な記者会見とは?
自分の好きな音楽で世間を誤魔化したくないとの意向から、表舞台に登場した新垣氏に世間は衝撃を受けるとともに、人柄の良さが滲み出ていた会見から同情や応援する声がネットで出回ります。
一体会見ではどのようなことが明かされたのでしょうか?
18年間で報酬はたったの700万円前後
提供した曲は20曲以上にも及ぶといい、その報酬はそれ相応とは言い難い価格でした。作曲家に依頼する金額相場は40~50万前後ですが、偽って曲を提供していたことに後ろめたさがあって強くは言えなかったのでしょう。
軽い気持ちで始めた
最初はほぼ無名時代に話が持ち込まれたことです。軽い気持ちで楽曲制作を引き受けます。のちに曲の反響が出始め曲も音楽家も有名になっていけばいくほど、嘘をついている自分が許せなかったようです。
「曲を書かないと自殺する」と脅迫されていた
やめたいと常々伝えていたようですが、認めるどころか曲を提供してくれなければ妻と一緒に自害するとまで脅されており、泣く泣く続けていくしかなかったと会見では明かしています。
精神的にも追い込まれていた新垣氏は、このように会見できたことで安堵の気持ちもあったと思われます。
世間からは同情する声が多かった
衝撃なニュースで賑わっていた最中、世間では新垣氏に対して非難の声よりも同情する声が多かったのです。幽霊ライターとして影で動いていた光景を察して、苦悩を癒してほしいと応援の声までありました。
会見に挑んだ理由
ソチ五輪で、フィギアの高橋大輔選手が自身が提供した曲をプログラム曲にしていると分かったこと、これを黙っていれば高橋選手までもが嘘の共犯者の一員になってしまうことは何としても避けたいと思い、真実を話そうと決断に至ったのだと言います。
世間を騒がせた佐村河内守の記者会見
騒動の張本人も会見を開きました。彼の前には物凄い数のマイクが置かれ報道陣も会場に溢れかえっていました。それほど世間の注目度の高さをうかがえるのですが、この会見では嘘はなく真実をきちんと話すことができたでしょうか?
以前の姿から一変した姿で登場
今までのスタイルは髪の毛は肩まで無造作に伸ばし、真っ黒なサングラスをかけ怪しげな風貌でしたが、一変し髪の毛は綺麗にカットされておりトレードマークであったサングラスも外し、清潔感ある姿で会場に現れたのでした。
その姿からは、反省しているようにうかがえたのですが、真相はどうでしょうか?
再検査の結果「聴覚障害ではなかった」
彼は会見前に、医療機関で耳の音を司る力を調べてきたと口を開きます。そして耳は聞こえており3年ほど前から通常の生活には困らないレベルにまで回復していたことから、障害者手帳を返還したとも明かしました。
今までは聞こえてなかった?
彼はイベントに出演する際に必ず手話通訳者を同行させていました。この会見で今までも聞こえていたと公表してしまうとさらに非難の声が拡がる恐れをなし、この会見でも手話通訳者をつけ、このことに関しての質問は受け付けないと願い出たのです。
「新垣隆さんを名誉毀損で訴える」
彼の会見よりも一足早く新垣氏は会見を開き、今まで明かされていなかったことを公表したことに対し、嘘がたくさんあるため名誉棄損で訴える意向であることも会見で公言しました。
意見の食い違い
お互いの真意には食い違いがありました。ただ今まで、あれだけ耳の聞こえない音楽家をアピールしてきたにもかかわらず3年前から回復しており、それを隠してきた彼にはペテン師の資質を疑ってしまうほどであります。
佐村河内守は作曲の設計図を書いていた
新垣氏に仕上がりを伝えるために譜面ではなく設計図を書き、それを元に曲作りが進んでいったといいます。音楽を作成していく中で、設計図という言葉が出たことに世間も驚きを隠せず、音楽家としての素質を疑う発言となったのです。
NHKも異例の謝罪会見を開く
ブームの発祥となったNHKは彼の会見後に、場を設け作曲していないのではないかと怪しむことができなかったことや耳が聞こえることも気づけなかったことを謝罪しました。調査報告書まで作成されています。
佐村河内守と新垣隆の騒動は収束へと向かう
世間を賑わせた騒動もゴールに近づこうとします。お互いが会見を行い自らの声で意見したことで徐々に静まりが戻りつつありました。一体どちらが真実を明かしていたのでしょうか?