怖くも美しい重瞳(多瞳孔症)!【閲覧注意】なその正体は?原因は?

虹彩離断は程度などにもよりまずが、自然に治る場合もあります。しかしかがら炎症による眼圧の低下や、出血による眼圧の上昇、感染症などの可能性はあります。自然に治る場合でも、眼科医の検査や治療が必要となります。

虹彩縫合手術

視力の低下、あるいはモノを見るときに不快な眩しさを感じたり(眩眩)、光が異常に眩しいような状態になること(羞明=しゅうめい)、多瞳孔症などを示すような重い虹彩離断は、切れて離れてしまっている虹彩(瞳の周囲の色の薄い部分。カメラにたとえると絞り、つまり目に入る光の量を調整する)と強膜を縫い合わせる手術をします。

実はあの人も重瞳だった!?噂の偉人たち

歴史上の偉人のなかにも、重瞳だったという伝説が残っている人がいます。はたしてどんな人の名前があげられているのでしょう。また、本当に重瞳だったという科学的な証拠は残っているのでしょうか。

豊臣秀吉

織田信長をついで天下統一を成し遂げた秀吉は農民の子から関白太政大臣に上りつめたことでも有名です。当時の宣教師ルイス・フロイスの著書には秀吉が6本指であったことが記されていて、同時に重瞳であったという伝説も残されています。が、科学的な証拠には乏しいようです。

平清盛

平安末期、日本で最初に武士で太政大臣となって実質的に最初の武士政権を実現した平家の棟梁が、平清盛です。この清盛が偉人の相、重瞳だったという説があります。また平氏を滅ぼした源義経も重瞳だった伝説もあります。秀吉の話も含め、これも証拠はなく「尊い人の証」」として重瞳伝説が生まれたと考えられています。

ダビデ像

イタリア・ルネッサンス期の偉大な彫刻家であるミケランジェロ代表作でもあるのが、ダビデ像。何となく瞳の形がハート型です。よく見ると眼が2つあるのです。この時代にこのような作風は見られないために、ダビデ、つまり彫刻のモデルが重瞳だったのでは、と考えられています。

どんな人が重瞳になりやすいの?

重瞳(多瞳孔症)には、先天的と後天的があります。後天的なものは事故なので、誰でもなる可能性はあります。では先天的なものになりやすい人とはどんな人なのか。これは科学的には解明されていません。が、ある特定の地域で双子が多かったり、ベトナム戦争の枯葉剤で奇形が多く生まれたりしています。何か原因物質があるのかもわかりません。

中国人に多いらしい

黄帝の史官で漢字を発明した蒼頡(そうけつ)は目が四つ、瞳が8個といわれていて、伝説もここまで行くと妖怪じみてきます。小説「項羽と劉邦」でも有名な西楚の覇王、項羽。伝説の五帝の1人虞舜。前漢時代には元帝皇后である王政君の甥にあたる王莽。彼らも重瞳だといわれています。重瞳が身分の高い人の象徴であるかのように伝えられます。

重瞳は中国人に多いといわれています。しかし重瞳の原因がわかってない以上、中国のどこかに重瞳になる原因物質、あるいは環境があるのか、それとも過去の偉人に対する伝説が重瞳を多く感じさせているのかはわかっていません。

現代は発症数もかなり少ない

jarmoluk / Pixabay

現代では原因も解明されつつありますし、外科的な治療もすすんでいます。むしろ重瞳になりやすい人は歴史上の偉人であるようです。これは、これまで見てきたように、目が多いとモノの見方が変わる、人と違うものが見える、つまり神通力を持つという空想の産物である場合が多いようです。

どこか惹かれる魅惑の重瞳!再現方法!

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